心より追悼の意を表します故偽防空ミサイル部隊経歴謎解同スパイ?元男組全解連?民商?日本共産党員不可思議経歴突然マイクで演説が東京新聞一面仕込み疑惑偽自衛官泥憲和氏

泥憲和氏自称元自衛官元陸自防空ミサイル部隊という謎と泥憲和氏のしばき隊や男組神戸支部長という論理的矛盾経歴の謎部落解放同盟より民主商工会、日本共産党員という不可思議な経歴また突然マイクを借りて集団自衛権反対演説するという事が東京新聞の一面になる仕込みの疑惑など自称元陸自元自衛隊員泥憲和氏経歴の嘘疑惑と暴力集団しばき隊や男組所属問題の正体とTwitter発言や集団的自衛権について検索から探し最近は泥憲和先生は講演会も引っ張りだこ、でもなぜか経歴が良くわかりませんですから 泥憲和wiki泥憲和正体泥憲和左翼泥憲和反日泥憲和余命泥憲和facebook泥憲和プロフィール泥憲和ブログ泥憲和本泥憲和 元陸自街頭にて突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。泥憲和 東京新聞一面泥憲和 飛び入り演説一面記事泥憲和 経歴泥憲和 嘘泥憲和 慰安婦泥憲和 余命泥 憲和 正体泥 憲和 男組泥憲和 反日泥憲和 元自衛官泥 憲和 左翼泥 憲和 wiki泥憲和 平和泥憲和 69年の平和泥憲和 70年の平和泥憲和 平和泥憲和男組神戸支部長泥憲和先生の真実を検証する泥憲和自衛官 泥憲和元自衛官泥さん集団的自衛権集団的自衛権泥泥憲和経歴泥憲和wi泥憲和嘘 泥憲和正体泥憲和左翼泥憲和反日たかが内閣差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for 泥憲和悪性リンパ腫心配泥憲和時代や歴史とは何か泥憲和悪性リンパ腫心配泥憲和体調心配泥憲和体調心配泥憲和プロフィール謎泥憲和余命心配泥憲和嘘?泥憲和経歴謎泥憲和 泥憲和様泥憲和さん泥憲和氏どろのりかず泥憲和泥憲和様泥憲和さん泥憲和氏どろのりかず泥憲和プロ市民?泥憲和日本共産党?泥憲和左翼?泥憲和正体謎泥憲和本泥憲和反日?元自衛官泥憲和?泥憲和日本共産党?自衛官泥憲和?元陸自?泥憲和大阪民主新報かもがわ出版泥憲和本泥さん集団的自衛権反対 泥憲和集団的自衛権泥憲和大阪民主新報泥憲和街頭にて突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。泥憲和見せかけの平和防空ミサイル部隊?泥憲和慰安婦泥憲和男組神戸支部長かもがわ出版泥憲和集団的自衛権泥憲和プロフィール謎泥憲和余命心配泥憲和嘘?泥憲和経歴謎泥憲和自衛官?泥憲和大阪民主新報かもがわ出版泥憲和本自衛官泥憲和?元自衛官泥憲和?泥憲和プロ市民?泥憲和元自衛官?泥さん集団的自衛権集団的自衛権泥泥さん集団的自衛権泥憲和自衛官?泥憲和元自衛官?防空ミサイル部隊?泥憲泥憲和自衛官?和集団的自衛権泥さん集団的自衛権泥憲和日本共産党?泥憲和大阪民主新報かもがわ出版泥憲和本泥憲和経歴泥憲和経歴泥憲和wiki泥憲和嘘泥憲和正体泥憲和左翼泥憲和反日泥憲和男組神戸支部長泥憲和男組神戸支部長泥憲和wikiあざらしじいさん泥憲和(@ndoro19542566)泥憲和経歴謎泥憲和肩書謎泥憲和肩書疑惑泥憲和肩書泥憲和元陸自泥憲和謎泥憲和防空ミサイル部隊謎泥憲和経歴泥憲和嘘泥憲和慰安婦泥憲和余命泥憲和正体泥憲和男組神戸支部長泥憲和反日泥憲和元自衛官泥憲和左翼泥憲和wiki泥憲和2ch泥憲和元陸自M5175mm高射砲泥憲和かもがわ出版泥憲和しばき隊慰安婦泥憲和元自衛官いわゆる慰安婦泥憲和プロ市民時代の不幸泥憲和集団的自衛権MSN東京新聞 泥憲和-Bing安倍首相ら「日本」を取り戻せ! ! 泥憲和男組関西支部長男組神戸支部長泥憲和経歴泥憲和嘘? 泥憲和慰安婦泥憲和 余命泥 憲和 正体泥 憲和 男組泥憲和正義の味方泥憲和 反日 泥憲和反差別運動泥憲和 元自衛官泥 憲和 左翼泥 憲和 wiki泥憲和経歴泥憲和しばき隊泥憲和wiki泥憲和投票誘導?泥憲和正体泥憲和仕込み?泥憲和左翼泥憲和反日 泥憲和男組神戸支部長泥憲和余命心配泥憲和facebook泥憲和プロフィール泥憲和ブログ泥憲和嘘泥憲和wiki泥憲和正体泥憲和左翼泥憲和反日泥憲和余命泥憲和ebook 泥憲和プロフィール泥憲和ブログ泥憲和本泥憲和 元陸自泥憲和 69年の平和泥憲和 70年の平和泥憲和 平和泥憲和 平和泥憲和 集団的自衛権街頭にて突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。東京新聞一面戦争法案反対泥憲和 東京新聞一面 集団的自衛権三要件泥憲和 飛び入り演説一面記事集団的自衛権集団的自衛権反対泥憲和 慰安婦泥憲和 元自衛官泥憲和 余命泥 憲和 左翼泥 憲和 正体泥 憲和wiki 元自衛官泥憲和泥憲和しばき隊泥憲和大阪民主新報泥憲和かもがわ出版東京新聞泥憲和泥憲和泥憲和正体元自衛官泥泥憲和左翼泥憲和経歴泥憲和反日泥憲和wiki 泥憲和余命泥憲和嘘泥憲和facebook泥憲和経歴泥憲和反日泥憲和wiki泥憲和余命 泥憲和嘘泥憲和facebook泥憲和正体泥憲和プロフィール泥憲和左翼 東京新聞元自衛官すごい説得力ー強烈な安倍首相批判=元自衛官泥憲和wiki泥憲和正体泥憲和翼泥憲和反日泥憲和余命泥憲和facebook泥憲和プロフィール泥憲和ブログ泥憲和本 泥憲和元陸自泥憲和経歴に関連する検索キーワード泥憲和wiki泥憲和左翼泥憲和正体泥憲和反日泥憲和余命泥憲和facebook泥憲和プロフィール泥憲和ブログ泥憲和本 泥憲和 元陸自街頭にて突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。泥憲和 東京新聞一面泥憲和 飛び入り演説一面記事泥 憲和 嘘泥憲和 経歴泥憲和 慰安婦泥憲和 余命泥 憲和 正体泥憲和 反日泥 憲和 男組泥憲和 元自衛官泥 憲和 左翼泥 憲和 wiki泥憲和 経歴泥 憲和 嘘泥憲和 慰安婦泥憲和 余命泥 憲和 正体泥 憲和 男組泥憲和 反日泥憲和 元自衛官泥憲和facebook泥憲和プロフィール泥憲和余命泥憲和反日泥憲和左翼泥憲和正体泥憲和wiki泥 憲和 wiki泥 憲和 左翼泥憲和 2ch泥憲和 元陸自泥憲和 かもがわ泥憲和 大阪民主新報泥憲和 しばき隊泥憲和 元自衛官泥 憲和 プロ市民泥憲和 集団的自衛権東京新聞 泥憲和泥憲和 経歴泥 憲和 経歴泥 憲和 嘘 泥 憲和 しばき隊泥 憲和 左翼泥 憲和 wiki泥憲和 元自衛官泥 憲和 正体泥憲和 反日泥 憲和 男組泥憲和 余命泥憲和 慰安婦泥憲和 氏に関連する検索キーワードなどから検証するブログです  

タグ:泥さん集団的自衛権集団的自衛権泥

状況証拠はそろっても、中々核心には至りません。

なにしろ、銃器の区別がつかない、高射特科なのにスカイスイーパーL-51をL-90と言い切る。

また、「防空ミサイル部隊」なる存在しない部隊にいらっしゃった。

経歴も曖昧、軍事知識も曖昧、中々泥憲和先生が少年工科から高射特科中隊地対空誘導弾ホークの要員だった
という、証拠がはっきりしません。

せっかく泥憲和先生の嫌疑を晴らそうとしても、中々うまくいきません。

ホークミサイルの要員といっても、発射は中隊長ですし、レーダーだのなんだのは、一年未満では扱えません。

まあ、警護だったのか、単に油圧ジャッキのボタン押しだったのかもしれませんが。

ところで泥憲和先生、半数必中界はご存知ですよね。

訂正

加筆修正しました




訂正ばかりで申し訳ありません。

おはようございます泥憲和先生。

日本共産党員として、プロパガンダ活動していらっしゃいますか?

体調心配しています、ご連絡いただければ、何かしら医学的な情報を

お伝えできるのですが。

少年工科学校の自衛隊生徒の方々って、桜友会で親睦を深めていらっしゃいますが
泥憲和先生はあまりご縁がないようですね
たまたま桜友会の方と、お話する機会がありまして
そういえば、年齢が一回り違いますが
軍事アナリストの小川和久先生も少年工科学校でしたね
でも小川和久先生は、憲法九条こそ、憲法違反という持論をお持ちでしたね
生存権に反するからだそうだそうですが
神浦さんは、中退でしたっけ?
自衛隊生徒は鉄の団結力って言われていますけれども泥憲和先生は、もう縁もゆかりもないようですね
少年工科学校ではないですが、漫画家の本宮ひろし先生も、自衛隊生徒でしたね
軍事アナリストの小川和久先生は、しっかり調べて沢山著作もありますけれど、戦艦ミズーリの長い影、はなかなか名著ですが
泥憲和先生ときたら、スカイスイーパー、L55と、L90の区別もつかないなんて
まあ、毎度お馴染み、九条守って日本が滅ぶ
茶番劇の狂言回しとしては、一年くらいしか、自衛官でなかった方は、平和念仏九条踊りには、うってつけですね
あのー集団的自衛権って国連も認めていますけど?

続きを読む

L-55とL-90の区別がつかなかったり
M1カービン
M1トンプソン
64式小銃
トミーガン
のことがごちゃまぜだったり
まあ自衛隊高射特科の地対空ホークミサイル部隊ならわかります
たださすがにホークミサイル発射要員ならこれは一種の技術者ですから
本人は発射訓練中は武装しません
あ、逆にホークミサイル自体一種のシステムですから
警護要員ならもちろん武装しています
けっこう手間隙かかりますから
レーダーからデータ処理目標確認、で発射ですが移動できるので移動要員もいますね
でも実射訓練していないなら
まあ、あんまり失礼ながら今じゃあ使えないですね
だから自衛官代表なんてよく言えると思います
あ、失礼勝手に東京新聞が記事にしただけですね
後、上手いのはツィッターの写真
ホークミサイルの影なんでホーク改かホークかわからないですね
ホークミサイルなんてもうすぐ退役ですから
泥憲和先生のお歳を考えると、即応予備自衛官でも予備自衛官でも予備自衛官補でもないですから
まあ単に元陸自って肩書で日本共産党員として活動されているだけですね
なかなか上手いですね日本共産党さんも

与論誘導はさすがに手慣れた者です

だけど、なんで院内統一会派組んで
法案阻止しないのでしょうか?

それがなぜ東京新聞の記事になるのでしょうか?不思議ですね

ものすごく経験不足ですがなぜ自衛官代表なんでしょうか

暴力には暴力でたいする


あれっ?CommentsAdd Star

編集

平和を望んでいないの?


嫌いな奴は出ていけCommentsAdd Star

編集

まさに逆さまのネトウヨ思考(笑)


どうしても正義感絡むと厄介ですね。

訂正


加筆修正しました



自分の気に入らない者を日本から叩きだせ!


ネトウヨCommentsAdd Star

編集

おんなじ思考回路


ネトウヨをCommentsAdd Star

編集

説得するのが先でしょう

なんだか本末転倒です。


訂正


加筆修正しました

説得力CommentsAdd Star

編集

みんな無知だなぁ、防空ミサイル部隊?

そりゃなんだ?


陸上自衛隊なら高射特科

航空自衛隊なら高射


と呼びます。


訂正


加筆修正しました


ちょっと時間と暇がないので人様のブログを借りています無断リンクへの抗議がありましたら削除致します

最後に、まとめをしておこう。


2-1では、
糸川英夫氏の推薦文と共に小室直樹の天才ぶりを紹介した。

2-2では、国際政治に関する著作を紹介し、戦争及び
国際法を考える上で有用なことを示した。

2-3では、至高の名著の一つ
憲法原論を紹介し、盛んになっている憲法論議への

土台を提供してくれることを示した。


2-4~は、
山本七平の発見した日本教を分析した著作を紹介した。

日本人の行動原理、つまり
日本教は、昔も今も変わっていないことを示し、

現在でも通用することを示した。


2-9~は、
小室直樹による韓非子の現代的位置づけを紹介し、腐朽した官僚制の分析に役立つこと

を示した。



さて、こうした小室直樹の著作で一貫していることは何だろうか?


それは、「社会に存在する法則を、構造機能分析を用いて分析する」ということである。



「社会には法則がある」という大発見をしたのは、
マルクス先生。


それを人間疎外(Entfremdung)という言葉を使って表現した。


マルクス継承する小室直樹は、その法則を分析しようとした。

それには、種々の方法があるが、
小室直樹社会学で研究された、

構造機能分析(structual-functional analysis)を使った。


構造機能分析とは、社会を一つのシステムだと考えて、そのシステムの制御や、


要請された機能を達成するために必要となるシステム内部の構造変動を分析する
手法

当時の
社会学では、最先端の手法だった。



小室直樹は、この手法を使って、例えば、ソ連の崩壊を予言した。

ソ連崩壊を分析した論理は、以下の通り。

社会には法則があるのだから、過去と現在の状況を参照すれば(あるいは現在の状況だけでも)、


その法則に従って、未来を予測することができる。


そこで
ソ連を見てみると、ソ連の社会には要請されている機能があるけれども、それを達成できない

でいる。


それだけでなく、社会を統合する機能も失われてしまった。


そうしたら、わざわざ社会を構成する必要が無いため、崩壊するに決まっている。(社会構造の変

動)



これが構造機能分析による社会法則の分析。



喩えるとこうなる。


地球上で、日常的な物体を持ち上げて、そのまま手を離せば、落下する。

そして、落下の位置も予測できる。それは、重力という自然法則があるから。



これと同様に、
ソ連社会に存在する法則を分析し、その行く末を予測したというわけ。


かようにして、
小室直樹は、真に社会科学の王道を歩んでいた。

社会科学者の主張は、「社会には法則があり、それは分析できるのだ」ということ。

そして、その研究結果は、より良い社会を作るためにある、という認識がある。


社会法則を知らなければ、まともな
改革・制度設計はできないのだ。

ベーコン先生の考えを使って言うと、"scientia est potentia."(知は力なり)

それ故、
社会科学は、近代社会を営む欧米では、大変に重要視されている。

他方の日本は、前
近代社会中世国家なので、社会科学は軽んじられている。

社会を作り変えよう、という
作為の契機を欠いているから、社会科学は必要無いのだ。

「俺たちゃ、俺たちの気分で好きにやるんだよ」と。


この点、そこらの暴走族となんら変わるところはない。


小室直樹日本社会から排除されたのも、またむべなるかな。


しかし、そろそろ見直すべき時だろう。


小室直樹の著作の多くには、ソ連崩壊の予言同様、種々の予言がなされている。


それは、社会法則に従ったモデルを作り、そこから得られた
論理的な帰結である。

ただのヤマ感とは違う。


そこには、膨大な資源が投入されており、高度の論理が貫徹している。


それ故、用いられているデータや挙げられている事例は古くなっていたりするけれども、



その論理構造や部分的な理論は今でも通用する部分が多い。


これを活用しない手はない。しかも、日本人向けに書かれているのだ。


小室直樹の著作を読んで、その遺産を十分に活かそうではないか。

急げや、急げ。


"Dum loquor, hora fugit."(こうして話している間にも、時間は過ぎ去ってゆく)



それと、どうやら今月末に、小室直樹に関する本が出るようだ。

小室直樹の世界―社会科学復興をめざして」

副題の通り、
社会科学復興できたら、いずれ政治音痴も解消し、


日本は「
普通の国」に向けて大きな一歩を踏み出すことができるだろう。

ちょっと時間と暇がないので人様のブログを借りています無断リンクへの抗議がありましたら削除致します

続きCommentsAdd Star

編集

今回は、国内に焦点を当ててみよう。

読むべき本が多々あり、悩んだのだが、「日本人のための憲法原論」。

これが良いと思う。動画の中で、橋爪先生も薦めておられる。

最低でも10回くらいは読みたい著作だ。

憲法論議が盛んになっている現在、これほど適切な書物は他に中々見当たらない。

憲法とは一体何なのか?」

原理原則に遡り、本質的な部分だけを切り出して分析する、小室先生の真骨頂を見られるだろう。

小室先生の晩年の著作は、格調高い文章になっているので、

読んでいて清々しいのも特徴的だ。

個人的には、80年代の剛胆無比で蛮勇な著作も好きだが。


さて、著作の紹介に入ろう。

講義形式で進められており、大変分かりやすいのはもちろんのこと。

思わずドキッとするような質問を投げかけて来られたりして、

小室先生と対話をしているかのような臨場感を味わうことができる。

巷(ちまた)に溢れる憲法学の本なんかとは、雲泥の差である。


本書は歴史的な構成をとっている。。

それは、憲法が歴史的な所産だからだ。

憲法は、ある日、ある時、突如として現れたのではなく、長い時間をかけて、

諸々の現象が複雑に絡み合う中で生まれたきたもの。

だから、その本質を知ろうと思ったら、歴史を遡らなくてはならない。

憲法とはこういうものである、と分析的に定義を下すことはできるが、

それを知るだけでは、何も分かったことにはならないのが憲法

その背後にある、情勢や悲劇、希望、欲望など、そうしたものも同時に知らなければならないのだ。


類比を使って、書くとこうなる。

「日本人とは何か?」という問いに対して、「日本国籍を持っている人だ」と答えるのは簡単。

あるいは、「日本語を話す人だ」と答えるかもしれない。

でも、それでは何も分かったことにはならないのは明らかだろう。

日本人の本質を知ろうと思えば、やっぱり歴史を遡って行くしかない。

本書を通じて一貫した考え方は、憲法は生き物である、ということ。

憲法は生きているのか、死んでいるのか。

憲法の条文にどんな立派なことが書いてあったとしても、それが慣習として定着していなければ、

憲法は無いのと同じ。憲法は死んでいるということ。

この判定こそ、本書のアルファでありオメガであり、憲法学の最も根幹の部分である。

そして、生徒の「日本の憲法は死んでいるのか」という問いに対して、

小室先生は、日本の憲法は死んでいる、と断言する。

また、日本は、民主主義でも、資本主義でもなく、日本に憲法は無い。

日本のご臨終も間近であると言う。

では、日本の憲法民主主義を蘇らせるには、どうすればいいのか?

小室先生は答える。

「現実を直視しなさい」と。

最後に、丸山眞男の言葉で締めくくる。

民主主義をめざしての日々の努力の中に、初めて民主主義は見出される」。


以上が、本書の大まかな内容である。


日本は、民主主義であり資本主義である、なんてことは、小中学校の教科書の中だけのこと。

今や常識となりつつある。

議会もある、成文憲法もある、選挙もやっている。

でも、民主主義ではない。

これらがあるだけでは、民主主義ではない。

エジプトベネズエラなんかにもあるが、まさかこれらの国々を民主主義だという人はいないだろう。

日本も同様で、民主主義に必要な部品はいくつか存在するが、

根本的なものがいくつも欠けている(*)。

民主主義である、ということと、かなり民主主義に見えるということの間には、大きな壁がある。

これらの2つは、全く異なったものなのだ。

毫釐(ごうり)の差は千里の謬(あやま)りの一例。

カール・シュミットの言う中性国家(neutraler Staat)なんて、夢のまた夢。

そんなのは妄想の領域に近い。

中世国家としてなら、実現しているのだが。

民主主義どころか、それよりずっと手前、自由主義の段階にすら達していない。

安倍首相を筆頭とする、超国家主義者(2-4参照)が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しているのを見れば明らか。

不支持率が7割か8割くらいでもおかしくないと思うが、現実は全く逆だった。

何とも不思議な光景である。普通の民主主義諸国ではありえないことだろう。

憲法を蘇らせるには、まずは、この現実を認識することから出発するしかないのだ。

そのためにも、小室直樹博士の著作を読み返そう。

博く之れを学び、審(つまび)らかに之れを問い、慎んで之れを思い、

明らかに之れを弁じ、篤く之れを行う (「中庸」第20章)。


因みに、本書の姉妹編「憲法とは国家権力への国民からの命令である」が7月に再刊になった。

本書は、「憲法原論」だが、姉妹編は「日本国憲法」に絞ってある。

より現実に近い内容。

こちらも参照するのが良いだろう。

訂正


加筆修正しました

ちょっと時間と暇がないので人様のブログを借りています無断リンクへの抗議がありましたら削除致します

戦争論CommentsAdd Star

編集

今回は、国内に焦点を当ててみよう。

読むべき本が多々あり、悩んだのだが、「日本人のための憲法原論」。

これが良いと思う。動画の中で、橋爪先生も薦めておられる。

最低でも10回くらいは読みたい著作だ。

憲法論議が盛んになっている現在、これほど適切な書物は他に中々見当たらない。

憲法とは一体何なのか?」

原理原則に遡り、本質的な部分だけを切り出して分析する、小室先生の真骨頂を見られるだろう。

小室先生の晩年の著作は、格調高い文章になっているので、

読んでいて清々しいのも特徴的だ。

個人的には、80年代の剛胆無比で蛮勇な著作も好きだが。


さて、著作の紹介に入ろう。

講義形式で進められており、大変分かりやすいのはもちろんのこと。

思わずドキッとするような質問を投げかけて来られたりして、

小室先生と対話をしているかのような臨場感を味わうことができる。

巷(ちまた)に溢れる憲法学の本なんかとは、雲泥の差である。

本書は歴史的な構成をとっている。。

それは、憲法が歴史的な所産だからだ。

憲法は、ある日、ある時、突如として現れたのではなく、長い時間をかけて、

諸々の現象が複雑に絡み合う中で生まれたきたもの。

だから、その本質を知ろうと思ったら、歴史を遡らなくてはならない。

憲法とはこういうものである、と分析的に定義を下すことはできるが、

それを知るだけでは、何も分かったことにはならないのが憲法

その背後にある、情勢や悲劇、希望、欲望など、そうしたものも同時に知らなければならないのだ。

類比を使って、書くとこうなる。

「日本人とは何か?」という問いに対して、「日本国籍を持っている人だ」と答えるのは簡単。

あるいは、「日本語を話す人だ」と答えるかもしれない。

でも、それでは何も分かったことにはならないのは明らかだろう。

日本人の本質を知ろうと思えば、やっぱり歴史を遡って行くしかない。

本書を通じて一貫した考え方は、憲法は生き物である、ということ。

憲法は生きているのか、死んでいるのか。

憲法の条文にどんな立派なことが書いてあったとしても、それが慣習として定着していなければ、

憲法は無いのと同じ。憲法は死んでいるということ。

この判定こそ、本書のアルファでありオメガであり、憲法学の最も根幹の部分である。

そして、生徒の「日本の憲法は死んでいるのか」という問いに対して、

小室先生は、日本の憲法は死んでいる、と断言する。

また、日本は、民主主義でも、資本主義でもなく、日本に憲法は無い。

日本のご臨終も間近であると言う。

では、日本の憲法民主主義を蘇らせるには、どうすればいいのか?

小室先生は答える。

「現実を直視しなさい」と。

最後に、丸山眞男の言葉で締めくくる。

民主主義をめざしての日々の努力の中に、初めて民主主義は見出される」。

以上が、本書の大まかな内容である。


日本は、民主主義であり資本主義である、なんてことは、小中学校の教科書の中だけのこと。

今や常識となりつつある。

議会もある、成文憲法もある、選挙もやっている。

でも、民主主義ではない。


これらがあるだけでは、民主主義ではない。

エジプトベネズエラなんかにもあるが、まさかこれらの国々を民主主義だという人はいないだろう。

日本も同様で、民主主義に必要な部品はいくつか存在するが、

根本的なものがいくつも欠けている(*)。

民主主義である、ということと、かなり民主主義に見えるということの間には、大きな壁がある。

これらの2つは、全く異なったものなのだ。

毫釐(ごうり)の差は千里の謬(あやま)りの一例。

カール・シュミットの言う中性国家(neutraler Staat)なんて、夢のまた夢。

そんなのは妄想の領域に近い。

中世国家としてなら、実現しているのだが。

民主主義どころか、それよりずっと手前、自由主義の段階にすら達していない。

安倍首相を筆頭とする、超国家主義者(2-4参照)が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しているのを見れば明らか。

不支持率が7割か8割くらいでもおかしくないと思うが、現実は全く逆だった。

何とも不思議な光景である。普通の民主主義諸国ではありえないことだろう。

憲法を蘇らせるには、まずは、この現実を認識することから出発するしかないのだ。

そのためにも、小室直樹博士の著作を読み返そう。

博く之れを学び、審(つまび)らかに之れを問い、慎んで之れを思い、

明らかに之れを弁じ、篤く之れを行う (「中庸」第20章)。


因みに、本書の姉妹編「憲法とは国家権力への国民からの命令である」が7月に再刊になった。

本書は、「憲法原論」だが、姉妹編は「日本国憲法」に絞ってある。

より現実に近い内容。

こちらも参照するのが良いだろう。


訂正



加筆修正しました

↑このページのトップヘ