横浜市民は、一年程ですが、あまり思い出したくないので、でも浜っ子の友人が沢山昔はいまして。
そうすると、疑問に対して、熱心に答えてくれる友人もいるんですね。
横浜は、ペリーの時代にすぐさかのぼります、浜っ子の昔の友人達は、生きてたのかい!その頃、というぐらい「あの時は」から話が始まったりします。
あと、歴史的地名が意外に残っているので、説明してくれるのですが、これまたペリーから始まります。
地名ではありませんが、関内駅というのがありまして、ふと「どうして関内か?」と聞くと、「こっちから向こうが関内、こっち側は関外」ようするに、かつての外国人居留地跡なんですね。
さて、関内からしばらく歩くと、東洋最大の中華街があります、地図ではわかりませんが、ごちゃごちゃしていますが
浜っ子の友人の説明だと、「こっちは〇〇省系で台湾派、あっちは〇〇省系で大陸派、区分けされているんです。」
そのため、学校も、横浜中華学院(台湾派)山手中華学園(大陸派)に分かれています。
さて、本題、中華街にも、端っこに小さいですが、在日韓国・朝鮮系の区域があります。
そこも、ややこしい事に、あっちは南系、こっちは北系だったりします。
ただ、何故かは知らないのですが、華僑と僑胞は、えらく仲が悪いんですね、まあ横浜中華街の華僑は、150年くらい前から住んでいますので、僑胞は後から来たよそ者扱いみたいです。
だから、日本人の感覚ではわからないのですが、華僑は僑胞を心よく思っていない、だから意味不明な、対立関係にあるんです。
武力闘争は知りませんが、行くたびに、僑胞系のお店が潰れていたりします、これまたややこしい事に、華僑が近くに、店出して、ダンピングで潰しているんです。
ここは、日本なんだから、できれば仲良くしてほしいと思いますが、やはり民族の違いか、歴史的経緯か、なんだか、わかりません。
横浜市民だったり川崎市民だったりしましたが、神奈川県は、不思議なところです、ですから同期生に、僑胞系の人や、華僑系の人がいるのは、自然なんですが、やはり何故だか、仲が良くない。
その対立の根源は、日本人で世田谷の団地育ちには、理解できません。
韓国に行っていたころ、韓国の知り合いに突然、「この辺りは奴らが住んでいる」と言われて、なにかわからないので聞いたら、華僑なんですが、韓国では華僑はなぜか嫌われていて、「チャンコロ」と言われて驚きました。
それは、日本で覚えたのか聞いたら、こっちの言葉だとか、日本人の悪い置き土産なのか、元々あった言葉なのかわかりませんが。
華僑は韓国では、ひっそり隠れ住む感じでした、あと仁川に、わずかながら華僑のコミュニティーがあるのですが
以前、たまたま仁川で、昼ごはんを食べようと、店に入ったら、中華料理屋でしたが、さすがにメニューが、ハングルだと、良くわからので、困っていたら、店のご主人が、こっちへと、別室に呼ばれました、メニューは中国語で
内装も、日本の中華料理店になっていましたが、なぜわざわざ部屋が二つあるのか?
店のご主人、わずかに日本語がわかる方でしたので、「やはり表向きは、韓国風にしないと」だとか、なんだか華僑は、韓国では差別されるらしく、防御策みたいです、ちょっと脱線ですが、店のご主人、山東省で生まれ、台湾で育ち、大阪で中華料理の修行して、仁川に店を開いたとか、大陸の人はバイタリティーがありますね。
でも、なんだか韓国人が嫌いみたいで、華僑系と僑胞系の対立は、いったいどこにあるのかわかりません。
しかし、力関係が逆転している、横浜中華街では、華僑が僑胞を抑え込んだり、見えにくい形で、追い出そうとしたり、何なんでしょうか?
歴史的経緯なのか、元々の民族対立なのか、正直わかりません。
ですから、ぜひとも横浜中華街で、差別はいけない、仲良くしようぜ、と泥憲和先生にカウンターをして頂きたいのですが?
それとも、レイシスト華僑を、日本から叩き出しますか?