それも、当時は労働争議が頻発していて、有名なのは、煙突スト、昔は高いところが煙突ぐらいしかありませんでしたから、煙突に立てこもって、ビラまいたり、労働歌歌ったり、警察も中々てが出せません。
ただ、蟹工船は脱法行為なんですよ、動く工場ですから、でも最後にはプロレタリアートの勝利で、しかも他の船にも波及、でプロレタリアートの敵、浅川という監督が首になるという話。
だいたい、戦前が真っ暗なわけがない、プロレタリア文学というものがあったのですから。
「種蒔く人」「戦旗」ちゃんと書店で売ってましたよ?
「無知」「無学」「無教養」の三拍子そろっていたらわからないでしょうね?
段々、労働争議って認められていたんですが?
逮捕されても微罪が多い、まあ小林多喜二氏は拷問で死にましたが、他のまだ非合法共産党の人は、ほとんど無傷、小畑リンチ査問で、宮本賢治氏は網走刑務所に送られましたが、太って帰ってきたのは有名な話。
網走は空襲がほとんどなく、囚人が農業していたので、看守よりいいもの食べてたりします。
ちなみにジャガイモが主食、本土で空襲にあっていた人よりカロリー高いので。
まあ、知っている人もすくにないのでしょうけど。