医師としては、厳しく、人として優しい方でした。
喘息手帳、いまは、喘息日記ですが、考案者であり。
1995年、喘息治療のガイドラインの、監修者というより、理事会の理事長でした。
開業されて、一度だけ訪ねました、スタッフの方々は、そろっていましたが、検査器具の不備を、問うと。
「自分は職人だから、聴診器でわかるよ」
プロ中のプロ、いい加減な泥憲和先生が、与太話で稼いでいても、誰からも表彰されるわけではなく。
初期癌を、押して、後継者の方に、自らの技術とノウハウすべて教えて、人生を終えました。
もし、ノーベル小児科賞があれば、絶対受賞された方なのに、残念です。
泥憲和大先生へ、「貴方が生きて与太話で荒稼ぎ」「どろしね」日本語は同音意義語が多いので、どう受け止めるかお任せします。
年年歳歳花相似歳歳年年人不同、いい人が先に人生を終える、嘘つきが長生きする、理不尽ですね。