12期生の方々で渡河訓練中に13名の方が亡くなっています、痛ましい事故です。
その、顕彰碑は、15期ちょうど泥憲和先生の時作られました。
予算がなかったのか、隣の航空自衛隊武山基地に、ナイキ-J誘導弾を、配備するときの残土で、顕彰碑は作られました。
ならばなぜ、泥憲和先生は、配備が終わったナイキアジャクスを見たのでしょうか?
泥憲和先生が、15期でかつての陸上自衛隊少年工科学校に入られた時、もうナイキアジャクスは配備されていません?
「繰り替えしますが、ナイキ-Jを配備するために、以前書いたように、土手を造ったのですから、その残土から亡くなられた13名の、方々の顕彰碑が作られたのです」
では、なぜ泥憲和先生は、ナイキアジャクスを見て、ナイキ-Jに替わった時、カッコいいと思ったのか?
不思議ですね。