凡どどラジオ辞典

「兵庫県出身。姫路在住。泥は珍しい名前だが本名である。涅槃などを意味する仏教用語に姓 の由来があるらしい。「憲法+平和」が命名の由来と思われたことがあるらしいが、
実は親の名付けは「昭和の憲兵」である。

中学卒業と同時に自衛隊に入隊し、ミサイル部隊要員として青森に配属される。本人曰く、思うところがあって除隊。
ミサイル部隊のアメリカにおける発射訓練の前であった。その後、事業活動、そして法律関係の仕事に就き、「多重債務」や「生活保護」などの社会的問題に取り組む。

2009年頃から、「行動する保守」と呼ばれるクズレイシスト集団が関西で活動するようになり、それに対するカウンター活動を単独で開始する。当時、
周囲にはカウンターに参加する人はほとんどおらず、
2013年、東京で野間易通(→野間易通)の呼びかけで「しばき隊」(→しばき隊)が結成されるニュースを聞き大いに勇気づけられたと 言う。

2014年初頭に「悪性リンパ腫」の診断を受け、現在治療の傍ら、反レイシズム運動における関西のリーダーとして日夜活躍している。
悪名高いカルト集団 「統一協会」に入りそうな数人を独学で研究した「聖書」を片手に救い出した武勇伝はあまり知られていない。
きっかけは、「自分に告白した女性を振った直後に彼女が統一協会に入信した、その贖罪」という噂もあるが真偽のほどは定かではない。

「パレスチナとユダヤ人」「ABCD包囲網の真実」など歴史問題にも造詣が深い。その人柄から、
上京すれば大勢のカウンターの同志が集まる「時の人」でもある。
元自衛官が集まる「現行憲法のもとで自衛隊を生かす」をテーマにしたシンポジウム「『護憲』を超えて」などの集会などにはフォーマルな服装で臨む
 「ちょい悪」ミスターダンディ。

本人曰く「いくら仏教用語にルーツがあっても 泥はないよなあ」と今までこの名前でそれなりの「苦労」をしてきたことがうかがわれる。
でもまさに美 しい蓮の花は泥から咲くのである。それは蓮の花を生み出す本物の美しさが泥にはあるということだと筆者は思う。最後に泥が好きな言葉は
「棚からぼた餅」であることを付け加えておこう。 (MASA)」

泥憲和|ローチケHMV

「1954年兵庫県姫路市生まれ。1969年陸上自衛隊入隊。少年工科学校(現在の陸上自衛隊高等工科学校)を経てホーク地対空ミサイル部隊に所属。 1978年工場経営。1992年神戸及び姫路の弁護士事務所に勤務。現在は集団的自衛権、改憲問題、人種差別など様々な社会問題に体を張って取り組んでい る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
安倍首相から「日本」を取り戻せ!! 護憲派・泥の軍事政治戦略』より 」

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014072890070411.html
東京新聞

 「集団的自衛権は他人のけんかを買うこと。逆恨みされますよ」。神戸市の街 頭での泥憲和(どろのりかず)さん(60)=兵庫県姫路市=の「叫び」が、インターネット上で広がっている。四月にがんで余命一年と宣告された元自衛官。 集団的自衛権の行使容認が閣議決定される前日の六月三十日、マイクを握った。 (加藤裕治、写真も)

 初対面の若者たちに交じり、解釈改憲反対のビラ配りを手伝っていた。聞こえてくる演説を「分かりにくい」ともどかしく感じた。話が途切れた時、たまらず「ちょっとしゃべらせて」と、頼み込んだ。
 「私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました」「自衛隊の仕事は日本を守ること。見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけない」
 五分余りで話し終わると、自民党支持者を名乗る中年男性が「あんたの話はよう分かった。説得力あるわ」と寄ってきた。
 フェイスブックに全文を載せると、瞬く間に賛同する人たちが転載を繰り返し、ネット上に広がった。離れて暮らす長男から「おやじ、ほめられすぎ」と冷やかされた。
 泥さんが自衛隊に入ったのは一九六九年。六年間働き、故郷の姫路市に戻って皮革加工の仕事を始めた。被差別部落出身の仕事仲間と付き合いを深める中で、両親や親類と縁遠くなった。

 差別感情が強く残っている現実に直面し、被差別部落の解放運動に関わり始めた。その延長で、平和運動にも携わる。 自衛隊を違憲と考える仲間たちに、合憲という自分の意見を納得してもらうため、勉強を続けてきた。自衛隊は「専守防衛」。「自衛官時代に、国民を守り憲法 に従うという役割を教わった」。神戸での街頭演説は、これまでの活動の到達点でもある。

 二〇〇九年十二月、京都朝鮮初級学校に対する街宣活動が起きた。「日本からたたき出せ」「スパイの子ども」。ネットで知った泥さんは、ヘイトスピーチと呼ばれる差別的な発言をするデモに憤り、現場で反対の声を上げる「カウンター」活動も始めた。
 憎悪がむき出しとなる社会と歩調を合わせるように、政府は戦争放棄の憲法を解釈でねじ曲げようとする。がんの宣告を受けたのを機に仕事を辞め、講演会など表舞台にも立つようになった。
 「ヘイトスピーチをする人を蹴散らすことはできるかもしれない」。中心人物を孤立させ、社会的に包囲することが自分の役割と感じている。「その間に多くの人が良識を発揮してほしい。日本国民のピースマインドは、ばかにできませんよ」
(東京新聞)

残念ながら解読は後程。