当時は、まだ日本語世代の人がかなりいらっしゃって、日本人だとわかると、色々話掛けられました。

その場合は、韓国語で返さず、日本語で話すのがルールみたいなものです。

色々きかれましたが、困るのが、私は〇〇学校で、日本人の先生にお世話になったが、今どうされているか知らないか?です、さすがにわかりませんよ、でも親切な日本人の先生の話は、よく聞きました、家でごちそうになっただの、なにか成績がよくて、表彰されて、自腹でなにかいただいたとか。

あと、やはり語彙が古いので、私は比較的、古い言い方がわかるので、よけい話に花が咲く感じでしたね。

例えば、日本に旅行したとき時計を買ったが、おかしな物が付いているが?、見せていただいたら、ダイバーズウォッチでしたが、ダイバーが通じないので、とっさに、潜水夫の人が使う時計ですと言ったら理解してもらえました、おかしな物って、酸素の残量計る、時計の外のメモリですが、説明も潜水夫の人が、酸素の残りを計る目盛と言わないと通じません。

中には、自分は日本に留学して〇〇大学を、卒業したとか、これまた、恩師の〇〇先生は、まだお元気ですか?
もうわかりません。

あと、今あるのかな?箱みたいな、観光案内所があり、熱心に勉強されていた方に、これまた、お客さん日本の人ですか?
で、なにか、確か夏目漱石の小説読んでいましたが、漢字の読みがわからないので、聞かれるんですよ、まあ私も、お節介ですから、読み方と、あと当て字と説明、秋刀魚を三馬と書いていたりしますから、さんまだけど、当て字と言うと、熱心に鉛筆で色々書き込んでいましたね。

あ、なぜ日本人か聞かれるかと言うと、私なんだか露西亜系の顔に見えるらしいんです、昔ですがチェルネンコに、似ているだの、シャルル・ド・ゴール見たいだの、鼻が高いからですかね。

続く