あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和さんが夢猫をリツイートしました

標準朝鮮語は帝国政府ではなく朝鮮人学者が設立した「朝鮮語学会」がつくったもので、同学会は民族主義的だということで治安維持法で弾圧された。帝国政府は朝鮮に義務教育を敷かなかった。日本が朝鮮語を禁止したなんて嘘を吐くやつもいない。

ハングル学会

活動

1921年に結成された朝鮮語研究会は周時経の弟子たちが中心となって結成した団体である。この団体の活動精神は朝鮮語の学術的研究と朝鮮語を通した民族運動が2つの大きな柱となっており、その精神は基本的に現在に至るまで変わっていない。1930年には、この研究会(学会)の主要メンバーは朝鮮総督府とともに諺文綴字法を作成した。一方で民族主義的な活動がしばしば日本官憲の取り締まりの対象とされ、1942年には朝鮮語学会事件と呼ばれる大規模な弾圧にまで発展した事例もある。

植民地時代の活動

植民地時代の主な活動としては、以下のようなものが挙げられる。

  1. ハングルの日の制定:訓民正音創製480年に当たる1926年陰暦9月29日を「カギャの日(가갸날)」とし、1928年に「ハングルの日」と改称した。なお、現在のハングルの日は陽暦10月9日である。
  2. 雑誌「ハングル」の刊行:朝鮮語の学術研究と朝鮮語を通した民族意識の涵養のために、1927年に創刊した。民族主義的な内容により、発行停止などの処分を受けることもあった。
  3. 言語規範の制定:1933年に「朝鮮語綴字法統一案(한글 맞춤법 통일안)」、1936年に「査定した朝鮮語標準語集(사정한 조선어 표준말 모음)」、1941年に「外来語表記法統一案(외래어 표기법 통일안)」など、朝鮮語に関する各種の規範を定めた。これら規範はその後の南北の規範の基礎になっている。
  4. 辞典編纂:1929年に朝鮮語辞典編纂委員会を設置して辞典編纂事業を進めたが、初版の校正刷りが出る1942年に朝鮮語学会事件が起こり作業は中断された。解放後に1947年に「大辞典(큰사전)」として第1巻が刊行され、1957年に最後の第6巻が刊行された。
  5. 啓蒙活動:識字率が低かった植民地時代において、識字率を高める活動の一環として朝鮮語教材の編纂などを行った。このような活動は朝鮮解放直後には、学校教育において「国語」として復権した朝鮮語の教員養成などの活動へと続いた。
「朝鮮総督府とともに諺文綴字法を作成した」大日本帝国朝鮮の朝鮮総督府と共同で作っているのですが?」

「泥憲和先生のお得意のデマですね、朝鮮総督府とともに諺文綴字法を作成した」共同研究を片一方を外して、
切り張り捏造。

「さすがは、「無知」無学」「無教養」の三拍子そろった泥憲和先生、プロパガンダの天才ですね。」