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2016年02月

日本国憲法は押し付けではないって?

当時の日本は、占領下の日本。

最高権力は、GHQ連合国占領軍。

主権が日本にない時に、押し付ける押し付けないではなくて、全てはGHQ連合国占領軍に主権があったのですから。

いくら、日本人が憲法改正と言っても、「改正しろっ!」GHQ連合国占領軍の命令。

「じゃあこれで認めてやる!」GHQ連合国占領軍の命令。

日本国には、国家主権がなかった時に、主権と支配権を持っていたのは、GHQ連合国占領軍。

忘れないで下さいね。

切り張り捏造、でっち上げ、某党の理論丸写し、「天才、泥憲和先生」

昭和27年04月25日、参議院法務委員会において、参議院議員宮城タマヨが、売春防止法を早く施行してほしいと求めています。

「東京の吉原を調べてみましても現在ざつと千三百人以上従業員がおります。そうしてこの様相は実に驚いたものがあるのでありますが、そういうことが一体今後いつまで許されるものか」

「慰安婦として政府が集めましたその人たちがまだ随分残つておる。それでその人たちは実に大手を振つて威張つてこの仕事に従事しておりますのでございま す。政府からもお招ばれしているんですよということをまだ言つておるのです。それで一つどうしても早い機会にこれは何とかしてほしいのでございますが、こ れにつきまして政府の御意見は如何でございましようか」

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/013/0488/01304250488030a.html
第013回国会 法務委員会 第30号
昭和二十七年四月二十五日(金曜日)
   午前十一時二分開会
  ―――――――――――――
 出席者は左の通り。
   委員長     小野 義夫君
   理事
           宮城タマヨ君
           伊藤  修君
   委員
           加藤 武徳君
           長谷山行毅君
           岡部  常君
           内村 清次君
           羽仁 五郎君
  国務大臣
   法 務 総 裁 木村篤太郎君
   労 働 大 臣
   厚 生 大 臣 吉武 惠市君
  政府委員
   法制意見長官  佐藤 達夫君
   法務府法制意見
   第二局長    林  修三君
   法務府法制意見
   第四局長    野木 新一君
   法務府検務局長 岡原 昌男君
   民事法務長官総
   務室主幹    平賀 健太君
   厚生省公衆衛生
   局長      山口 正義君
  事務局側
   常任委員会専門
   員       長谷川 宏君
   常任委員会専門
   員       西村 高兄君
  説明員
   文部省社会教育
   課長      高橋 真照君
  ―――――――――――――
  本日の会議に付した事件
○ポツダム宣言の受諾に伴い発する命
 令に関する件に基く法務府関係諸命
 令の措置に関する法律案(内閣提
 出、衆議院送付)
○日本国とアメリカ合衆国との間の安
 全保障条約第三条に基く行政協定に
 伴う刑事特別法案(内閣送付)

○宮城タマヨ君 今日少し声が出ませんのでおわかりにくいと思いますが、今伊藤委員のお尋ねになりましたことで私のお尋ねしたいことも大体 尽きたと思いますが一、二点についてちよつと。実は今度講和条約発効いたしますについて随分いろいろな各面で恩典が拡げられておりますことは大変喜んでお りますが、そのときに私はあの売春窟の中に落ちております而もやむにやまれない未亡人たち、母子たち、母がその子供を連れておりますあの生活苦に追われま して落ちておりますようなものが、何とかして救い出されないものかと思つて、実は今度のポ勅令によつて発せられる法律、あのポ勅の九号のようなものは今度 廃して頂き、新しい構想によつて時宜に適した法律を制定して頂きたいということを非常に念願いたしたのでありますけれども、事ここに至りまして止むを得ぬ と思つております。
 そこで伺いたいことは、この公娼廃止には今なつておりますけれども実際におきまして戦前、以前に増して集娼やそれから散娼も勿論のことでございますが非 常な数を増しております。例えば東京の吉原を調べてみましても現在ざつと千三百人以上従業員がおります。そうしてこの様相は実に驚いたものがあるのであり ますが、そういうことが一体今後いつまで許されるものか、つまり風俗営業という看板を掲げましてこの営業をもう公々然と許しておる。又赤線区域、青線区域 といつたようなものが、これ全く考え方によりますと警察も協力をしてやつておるというようなふうに見えるところまで行つておるのでございますが、一体こう いうことはいつまで許されておるのでございましようか。これについて法務総裁のお考えを伺いたい。つまりあそこにおりますこの従業員の一部分は実は終戦直 後に慰安婦として政府が集めましたその人たちがまだ随分残つておる。それでその人たちは実に大手を振つて威張つてこの仕事に従事しておりますのでございま す。政府からもお招ばれしているんですよということをまだ言つておるのです。それで一つどうしても早い機会にこれは何とかしてほしいのでございますが、こ れにつきまして政府の御意見は如何でございましようか。
○国務大臣(木村篤太郎君) 赤線、青線区域、実は甚だ不敏にして私はその点は余りよく存じないのであります。これからよく研究いたしまして今度のいま伊藤委員から仰せになりました法案作成のときにおきましては十分その点についても研究いたしまして万遺憾のないように処置いたしたいと思います。
○宮城タマヨ君 勿論今のポ勅九号で事が足りるとお考えになつていないということも十分わかつておりますのでございますけれども、私は実に こういう点に対して手当が薄いと思つておりますのは、調べてみましたところこれは二十五年度の統計でございますが刑法の百八十二条でつまり淫行の勧誘とい うこと、あの条文でございますがその事件が僅かに百四件、それで起訴されておりますのは十五件、それから労働基準法十七条の違反でございます、前借の法規 でございますがこれは僅かに全国で十九件、起訴が五件。それから児童福祉法の三十四条の違反が二十六年度で千九百三十件、起訴が六百四十八件ということ、 これは法務府のほうの統計によつて調べたものでございますが、これは実にこの児童福祉法のあの適用が一番数の上では多うございますけれども、まだまだ全国 でたつた僅かにこのくらいの程度でございますし、それから勅令九号違反を調べてみましたところがこれは二十六年度の統計でございますが全国僅かに千二百五 十、そうして起訴された者が二百三十九件で本当に実刑を科せられております者は僅かに三十七件でございます。如何にこの法律を抜けましてたくさんの業者が 利得を得ておりますかという件でございますが、殊に児童福祉法によりますものが一番有効に今適用されておるような事情でございますが、それにしましてもこ れは労働省婦人少年局の報告によりますと、大体八歳、九歳、十一歳といつたような者がこれは人身売買の事件として挙げられておるのでございますけれども、 この小さい子供から十八歳未満の者が昨年の九月の数を見ますと六百七十四、そうして男の子の大部分は労働に従事しておる。女の子の大部分は九歳あたりから 売春させられておる。これは実に由々しい問題でございまして、そうしてその総数から申しますと、これは推定数でございますけれどもどうしても二十五万、三 十万の者がおるとされております。そのときに実に今設けられておりますこの刑法によりましても、労働基準法、児童福祉法、それからポ勅の九号なんというも のはまあこれは本当に形のものだけであつて、殊にポ勅の九号なんというものはまあないよりはいいくらいだということでございますが、どうしてもこれは先ほ ど伊藤委員の質問に対して法務総裁はできるだけ早い機会にと仰せでございましたが、そのできるだけ早い機会は、一日も早いほうが私どもすべてのものが、そ の道に入つております者も勿論でございますが、これは性病の問題だけでなくて教育の面から、社会問題といたしまして大変な問題を救済する上に大事な事件で ございますから、どうかその早い機会を最も早い機会にして頂きたいとお願い申上げておきます。
○国務大臣(木村篤太郎君) 大体伊藤委員の御質問の要旨と同様に私思いまするが、これは我々といたしましても誠に御尤もな御意見と考えま す。殊に今承わりますと少年少女が人身売買で非常に困惑している、かようなことを承われば、ますます早く成案を得てそういうものの人権を保護する手当はい たしたいと、こう考えております。
○宮城タマヨ君 厚生大臣にお伺い申上げます。この売春取締の問題につきまして、勿論これは先ほど伊藤委員も仰せになりましたように更生施 設を設けまして今落つこちておりますものを救い上げますということが非常に必要でございます。と同時に落つこちないようにするということが、つまり落つこ ちないようにするということは生活の最低安定を与えるということでございますから、これはただ何とか予算措置をして行くというような軽々しい問題でなくて これには私は非常な予算を要すると思つております。それで第一番にお伺いしたいのは、今まで厚生省でこういう点についてどういう構想を持つて、どういう予 算措置をとろうとなさつたことがございますでしようか、それをお伺いしたいのでございます。
○国務大臣(吉武惠市君) 勿論女子に対しましても青年に対しましても、補導所を相当全国的に作りましてそこに入れまして一定の職業を授け る。腕に覚えなくしては職業といいましてもなかなかむずかしいということで補導所を相当たくさん作つております。中に入つておられる過半数は殆んど女子青 年のかたでミシンその他の方法をやらしておるわけであります。ただ先ほど伊藤さんもお話がありましたように、今日までの女子の売春的な状況というものは御 指摘のように終戦直後の非常な混乱状態に食つて行けない、従つてそういう道に入らざるを得なかつたという事情は私はあると思つております。これはだんだん と日本の国力が回復し秩序が維持されて行くと共にだんだんと解消して行くものであると私は見ております。従つて先ほども申しましたように、従来も補導その 他におきましてはやつてはおりますが、女子につきましてなお一層補導所等を設けまして、シンその他女に適当なる職を授けて行くという途を講ずることが必要 じやないかと、かように思つております。
○宮城タマヨ君 それは今仰せになりますことは児童福祉法による措置でございましようが、実は今年の予算を拝見しましたところが、児童福祉法のほうの予算措置は非常に外れております。どういうわけでございましようか。
○国務大臣(吉武惠市君) 児童福祉でございませんで、労働省のほうの補導所の予算として相当やつておるわけでございます。児童福祉法のほ うは保育院でありますとか母子寮でありますとかそういう方面の予算でございます。これらは御指摘のように今年の予算は若干減つております。それは逐年増加 の予算だけで維持費が減つておるわけではございません。逐年増加をして参りましたが過去五年の間に相当増設をして行つたから従来通りのカーブで増設という わけに行かんから、それは若干の増強にして行こうという意味で前年度に比べると減つておりますけれども、それは施設を減すわけではございませんで施設は依 然として増設するはかりでございます。
○宮城タマヨ君 職業補導ということは勿論大事でございますけれども、それよりもつと手近に必要なことは母子の最低生活をさせる母子寮とい うことが私一番大きい問題だろうと思う。この法律を作るのには多大の母子寮を設備しなかつたならどんな立派な法律を作つても運営することはできないと思い ます。それでこれは当法務委員会で調査いたしておりますのでございますが、二十四年の十二月末、少し古いのでございますけれどもこの調べましたものは、集 娼だけにつきましては七千四百人、その七千四百人の実に七八%つまり五千九百五十九人というものはもう全く生活難から落ちておるのでございます。そうして この集娼たちのいろいろな面を調べてみますと子供を持つておる人が三〇%くらいおるということを言つております。併しこれは実に内輪に言うておることでご ざいますが、私ども実態調査をいたしましたときに殆んど半分くらい、或る所では半分以上母親だつたのでございます。このことは私由々しい問題だと思つてお ります。こういう者に対して縛る法律を作つてみるよりもどうしてもこれを救い上げて行かなければならないし、転落さしちやならんということが第一番に手を 打たなければならない。そうしてこれはかかつて私は政治の責任だと思つております。でありますからこの生活難から来ておりますもの、そうしてむずかしい法 律でもできたらやめることができるかということを聞いてみましたところが、どんなことがあつたつて今の状態ではお役所にすがつても仕方がないからやめられ ないと申します者が六六%でございます。やめることができるだろうというのが僅かに二八%、そのほかもございますけれども、どうか私はこれは一つこの法務 府が立法の案をたてるといたしましても、どうしてもその前に厚生省がしつかりして頂いてこの生活の最低保障をして頂かなければこの法律を作つても駄目なん でございますから、そのことをお願いしたいと思つております。殊に立法に当りましてはどうしても国家的な総合的な施策によつてやる以外にはないものでござ いますが、実はこの前ちよつとそういうことを伺つたのでございますけれども、厚生省、法務府、それから文部省、労働省というような直接関係のある各省が一 つ共同で研究して頂きたい、それを切に願つておるのでございます。それにつきまして内閣に設置されております中央青少年問題協議会というものが、これは内 閣の直属でございますが、そこで一体どういう調査か、研究か、何か手が打たれておるのでございましような、法務総裁でも厚生大臣でもどうぞお答え願いた い。
○国務大臣(木村篤太郎君) 研究はしておるのでございますが、併しまだ十分でないと考えております。今御趣旨の点はよく了承いたしました。今後関係各省との間に緊密な連絡をとりまして、十分善処いたしたいと考えております。
○宮城タマヨ君 文部省に純潔教育委員会というものが設けてございまして、純潔教育についての調査研究がなされているかに伺つておりますが、その実情はどういうことでございましようか。
○説明員(高橋真照君) 昭和二十二年の二月四日に三十五名の委員を以ちまして純潔教育委員会というものを組織いたしまして、純潔教育につ きまして調査研究をして頂き、いろいろと文部省の行政施策の上におきまして助言を頂戴しておりますが、社会教育法ができまして社会教育審議会という法制の 上に認められた審議機関ができましたので、その専門の分科委員会といたしまして再編成をされました純潔教育分科審議会ということになりました。今日まで引 続きその活動を頂いております。最初に純潔教育の実施の大綱といつたような純潔教育基本要綱というものを作つて頂きまして、その後主として純潔教育の中心 の課題が性教育という問題になりますので、特にアメリカでいろいろと実践的な実施がなされておりますので、その関係の資料の収集ということをやつておりま した。併し男女の間の正しい関係というものを確立することが望ましいということで、男女交際のエテイケツトとも申すべき新しい男女のあり方といつたような 研究の成果も発表して頂きました。只今性教育は非常にむずかしいので学校、家庭、社会ともどもに関心を持つて行かなければなりませんので、その性教育のあ り方につきましてまだ日本の学校も、社会も、家庭におきましても十分な正しい考えが打ち建てられておりませんので、性教育のやり方につきまして幼年期、少 年期、成年期というふうに分けまして研究を頂いております。只今幼年期、少年期が大体脱稿に至りまして青年期に今入つております。青年期までのコースがで き上りましたならばこれを発表いたして世間の御批判を頂きたい、こういうふうに考えておるのでございます。主として委員のメンバーは医者のかたがたと心理 学者、教育学者、その他学校教育で実際にお扱いになつているかたがた、社会教育家というようなメンバーによりまして御研究を願つておる次第でございます。
○宮城タマヨ君 私自身もあの甚だこの文部省のこの性教育の問題、取扱われておりますこと、或いは社会に出て指導していらつしやる、そうい う点につきまして何か日本ばなれがしたような、それから地に着いていないような、非常に高いところに理想をおいていらつしやるようでありますけれどもどう もしつくりしないという感じを持つている。又世間もそういう批評をいたしております。それはまだまだこれから大いにおやりになるところだろうと思つており ますが、その問題は文部省にこういうものがありそうして文教の府に当りこれに心血を注いでいらつしやる人たちが、どうして風俗を乱すような営業の看板をた だ見過していらつしやるのだろうか。それから又東京には十三とか十七とか言われておりますあの赤線区域については文部省はなぜ黙つていらつしやるのか、何 か研究しているのですか。
○説明員(高橋真照君) すでにこれはPTなどで特に学校の環境との関連におきまして幾つか各地方で問題が起りまして、一つの国民運動とし ていろいろと学校環境の浄化ということで闘いまして成果を挙げている実例もございます。文部省の関係から申しますれば、少くとも学校教育の環境だけでもせ めてもよりよい環境を与えたいという気持を持つております。併しながら文教といつたような問題につきましても教育の立場ということも勿論でございますけれ ども、世間一般の風潮と申しますかその風潮に抗し難く、十分な成果を挙げ得ないところもございまして、今日御指摘のように十分な成果を挙げていないことを 残念に思つている次第でございます。一層環境の整備ということに対する国民全体の関心を高めて参りたい。これは社会教育の無力につきましては誠にざんきに 堪えない次第でございますが、心がまえといたしましては環境浄化に一層の努力をいたして参りたい。こう考えている次第であります。
○宮城タマヨ君 一番社会教育で今困つておりますのは、表は普通の商売屋のような、普通のしもたやのような恰好をしておりまして中では皆間 貸をやつております。それがもう日に日に数を増しておりましてそのことがこの子女の教育に大変大きな影響を及ぼしている。例えば山中湖でございますとか、 或いは何々県といつたような進駐軍のあの駐屯しておりますような場所は勿論のことでございますが、そうでございませんでも一般の新宿あたり、上野のあた り、浅草のあたりは一度お調べ下さいましたら実に心が寒くなるような状態でございますが、そうしてそれを見ております子供たちは元は東京でパンパンごつこ が大変はやつておりましたが今は地方津々浦々パンパンごつこがはやつている。よく地方に参りますとこれを取締る方法はないだろうかと申しておりますのです が、これは非常に深遠な性教育や或いは純潔教育なんかのうわついた指導をなさるよりも、もつともつと私は手近なところでこういうことを阻止する運動を一つ お起し頂いて、こればかりではございません、これに準じた子供の教育の点から特にこの委員会のみならず文部省が手を打つて頂きたいと思つております。
 それからもう一つはこれは今月の七日の読売新聞に、御承知だろうと思いますけれどもアメリカの一将校から日本へ寄せられました手紙でありますが、日本の 女性よ、フジヤマのような純潔の美を取返せというこの切々たる一文は、遠くアメリカの某大学を出て政治学を専攻した日本びいきの一米国将校から読売新聞社 宛に送られましたものでございます。その内容を読んでみますと、その兵隊が進駐して参りましたときに、日本の女性こそ命を以て貞操を守るものだと思つて実 は考えておつた、日本の女性にはこの朝鮮人や支那人や南洋の女性と違つて用心しなければいけない。誠に日本の女性は針を隠しているのだ。それで武器は針で あつて心臓部に針を突つ込むからそれで用心しなさい、しなさい、と言われて進駐してみた。ところがあに計らんや、日本の女性くらいもろいものはなかつたと いうことをこの新聞の手紙のみならず、あの当時の兵隊が申しておりました。ところがこの朝鮮人よりも支那人よりも南洋の婦人たちにも劣つた日本人がますま すこういう深みに落ちていつて、そうしてその結果、この手紙によりますと、日本女性の印象としては日本という国は品性も道徳もわきまえない動物的な女性ば かりの国だというふうに皆思つていると書いてあるのであります。もう貞操観念の認識されております今日これは非常に残念なことでございますが、勿論私ども この政治の面にあります女性も又家庭の母たちも気をつけますけれども、殊に私は今日は文部大臣においで願いたいと考えましたことは、もつと根本的なことに ついてお伺いしたいと思つて、そうしてどうしても文部省が一つこれに力を入れて噴きたい。私どもと共に力を合せましてどうしても、どうしてもこの法律の売 春処罰法を制定しますについての裏付の実行を一つ推して頂きたいということをお願いいたしまして私の質問をやめます


「○宮城タマヨ君
 厚生大臣にお伺い申上げます。この売春取締の問題につきまして、勿論これは先ほど伊藤委員も仰せになりましたように更生施 設を設けまして今落つこちておりますものを救い上げますということが非常に必要でございます。と同時に落つこちないようにするということが、つまり落つこ ちないようにするということは生活の最低安定を与えるということでございますから、これはただ何とか予算措置をして行くというような軽々しい問題でなくて これには私は非常な予算を要すると思つております。それで第一番にお伺いしたいのは、今まで厚生省でこういう点についてどういう構想を持つて、どういう予 算措置をとろうとなさつたことがございますでしようか、それをお伺いしたいのでございます。」

わかりますか?
いかに社会福祉を充実させて、母子を救うかについて、述べているのですが?
切り張りだと、わかりませんね泥憲和先生。

昭和23年11月27日、衆議院で一通の陳情文が読み上げられました。
陳情者は、大阪府接待婦組合連合会の会長、松井リウ。
接待婦とは、要するに売春婦です。
陳情書で松井は売春防止法の制定を延期して欲しいと述べます。
(国会議事録 第003回国会 法務委員会 第10号 昭和二十三年十一月二十七日)

自分たちは戦時中は看護婦や慰安婦としてお国に尽くせと言われ、帰ってみれば何の保障もなく、
あるいは夫が戦死したために生活に窮し、
女中に行けば雇い主から犯され、働きに出れば上役から関係を迫られ、
そんな男の身勝手が横行している世の中なのに、暮らしのために売春してはいけないとはどういうことか。
せめて暮らしていけるぐらいの経済力が身につくまで、また男たちの性に対する意識が向上するまで、売春防止法はつくらないでほしいと。

「私たち就業婦の中には、戰爭中白衣の天使として第一線に從軍し満洲、中支、南支、南方各地域において、また軍の慰安婦として働きおり引揚げたる者、その 他夫が戰死し子を持つ者、元ダンサー、女給、看護婦、女店員、女工等と諸種の前職を持つておる者ばかり」

「現在の接待婦以上のことをいたさねば生活ができず・・・、生活もろくにできず、衣類等を賣り盡くして現在の職業に入つて來ている者が少くないのであります。」

「いかに男女同権とか基本的人権の尊重が叫ばれましても、現在の社会はそんなりつぱなものではありませず、私たちのうち、女中奉公中主人にむりを言われ、 ビズネス・マンとして上役の人よりむりを言われ、いずれの職域においても職業婦人は横暴なる男性のために犠牲になり、苦労しているのが事実であります」

「経済界が安定して生活苦が少くなり、一般職業婦人が給料にて生活ができ、その上服の一着もくつの一足も買うことができ得るようになり、他面青年男女が一 定年令に達したなれば、結婚して主人の收入にて生活ができるよう、また全國民が衞生思想が発達し、性教育が今少し普及され、すべての点につき世界の水平線 まで進み、自他ともに認められる時期まで、今度の法律が出ぬようにしていただきたいと思います」



第003回国会 法務委員会 第10号
昭和二十三年十一月二十七日(土曜日)
    午前十一時七分開議
 出席委員
   委員長 高橋 英吉君
   理事 鍛冶 良作君 理事 猪俣 浩三君
      岡井藤志郎君    佐瀬 昌三君
      古島 義英君    松木  宏君
      井伊 誠一君    石井 繁丸君
      榊原 千代君    荊木 一久君
      北浦圭太郎君    中村 俊夫君
 出席國務大臣
        國 務 大 臣 殖田 俊吉君
 出席政府委員
        法務政務次官  田中 角榮君
        法務廳事務官  高橋 一郎君
        法務廳事務官  野木 新一君
        法務廳事務官  岡咲 恕一君
        法務廳事務官  青木 義人君
        法務廳事務官  古橋浦四郎君
 委員外の出席者
        議     員 今村 忠助君
        議     員 庄司 一郎君
        議     員 山本 幸一君
        議     員 坂東幸太郎君
        議     員 林  百郎君
        最高裁判所事務
        次長      五鬼上堅磐君
        最高裁判所事務
        官       小川 善吉君
        專  門  員 村  教三君
        專  門  員 小木 貞一君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した事件
 刑事訴訟法施行案(内閣提出第一八号)
 裁判所法の一部を改正する法律案(内閣提出第
 一九号)
 司法警察職員等指定應急措置法案(内閣提出第
 三一号)
  請願
 一、私立少年矯正施設存続の請願(庄司一郎君
   紹介)(第四二号)
 二、囚人獄外作業特別許可に関する請願(中嶋
   勝一君紹介)(第一一九号)
 三、苫前村に司法事務局出張所設置の請願(坂
   東幸太郎君紹介)(第一三四号)
 四、網野町に簡易裁判所設置の請願(大石ヨシ
   エ君紹介)(第一六五号)
 五、大垣市に刑務所支出設置の請願(山本幸一
   君紹介)(第二九一号)
 六、私立少年矯正施設存続の請願(圓谷光衞君
   外一名紹介)(第三二七号)
 七、岩井町に簡易裁判所及び檢察廳設置促進の
   請願(庄司彦男君紹介)(第三七六号)
 八、戸籍事務担当の市区町村吏を官
   とするの請願(今村忠助君紹介)(第三八
   五号)
 九、福島刑務所移轉に関する請願(山下春江君
   紹介)(第四七六号)
一〇、住居法の制定並びに戸籍事務関係運営法制
   定の請願(林百郎君紹介)(第五五七号)
一一、吉原市に刑務所支所設置の請願(宮幡靖君
   紹介)(第五八九号)
一二、司法檢察の淨化に関する請願(山口好一君
   紹介)(第六七〇号)
   陳情書
 一、敷簡易裁判所昇格等の陳情書外一件(岡山
   縣倉敷市長金子藤一郎外一名)(第一三三
   号)
 二、戸籍事務費全額國庫負担の陳情書(宮城縣
   戸籍事務協議会長岡崎榮松)(第二九三
   号)
 三、出雲市に松江刑務所支所設置の陳情書(出
   雲市長森山繁樹外一名)(第三〇二号)
 四、民法の一部改正に関する陳情書(北海道及
   び東北六縣地方労働委員会協議会長宮城音
   五郎)(第三一六号)
 五、代用監獄廃止の陳情書(岐阜縣公安委員
   会)(第三三七号)
 六、仮出獄及び保釈の取扱に関する陳情書(岐
   阜縣公安委員会)(第三四四号)
 七、倉敷簡易裁判所昇格等の陳情書(岡山縣吉
   備郡岡田村長武本又次郎外二十八名)(第
   三六四号)

 「八、賣春等処罰法案に関する陳情書(大阪市西
   成区山王町四丁目一番地松井リウ)(第四
   一七号)」
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/003/0488/00311270488010a.html

○鍛冶委員長代理 次は第八、賣春等処罰法案に關する陳情書、文書表第四一七号を議題といたします。專門員の説明を願います。
○村專門員 陳情者は大阪府接待婦組合連合会会長松井リウであります。
「私たち就業婦の中には、戰爭中白衣の天使として第一線に從軍し満洲、 中支、南支、南方各地域において、また軍の慰安婦として働きおり引揚げたる者、その他夫が戰死し子を持つ者、元ダンサー、女給、看護婦、女店員、女工等と 諸種の前職を持つておる者ばかりで、いずれの職域においても、現在の接待婦以上のことをいたさねば生活ができず、その上他の方面においては衞生設備は不十 分なるため、健康上おもしろくなく、不幸にして病氣にかかりましたら、一般の開業医にかかりますと藥價、治療費が高くかかり、いくらくふうして働いても医 者の奉公をしておるようなもので、治療はおろか生活もろくにできず、衣類等を賣り盡くして現在の職業に入つて來ている者が少くないのであります。戰いに負 けたとはいいながら、民主平和國家を建設して一日も早く世界の仲間入りをするためには、今度のような法律ができることは、理想からいえば当然とは思います が、このごろの世相よりしまして、さきに申し上げました通り、職業婦人として働いている婦人の中には、皆さんがお考えになつておられるような、給料だけで 生活しておられる方はほとんどないといつても過言でないと思います。」

「 こころみに街娼をごらんになりましてもおわかりの通り、あの中には一流会社の女事務員から百貨店の女店員、女学生、ダンサー、女給等とあらゆる職業婦人 であり、よし街娼はしなくとも、他の方法にて別の收入を得て生活していることは間違いないのでありまして、またそうすることによらなければ、今日このごろ 洋服の一着も靴の一足る買うことができないのが事実であります。私たちにいたしましても、決してすきや好んでこうした職業に入つたのではなく、諸種の職域 において職業外の收入の道をくふういたさなければ、子供を養うことも家族を助け、または兄弟のめんどうを見ることもできず、他の方面で苦労したあげく、健 康上安心して働ける衞生設備の完備した、こうした職業を選んで働いているような次第でございます。
 いかに男女同権とか基本的人権の尊重が叫ばれましても、現在の社会はそんなりつぱなものではありませず、私たちのうち、女中奉公中主人にむりを言われ、 ビズネス・マンとして上役の人よりむりを言われ、いずれの職域においても職業婦人は横暴なる男性のたにめ犠牲になり、苦労しているのが事実であります。現 在の職業に入り、一般世間の人のお考えになり御心配なされておるようなことはなく、まつたく自由であり、その上経済的に惠まれ、他の一面で同じような意味 で今日まで苦労をしたのがばからしいような氣がします。
 方のような意味よりしまして、職業婦人の一部のうち、特に近親のめんどうを見る一定の期間働くためには、どうしてもこうした職域が必要と思います。少く とも経済界が安定して生活苦が少くなり、一般職業婦人が給料にて生活ができ、その上服の一着もくつの一足も買うことができ得るようになり、他面青年男女が 一定年令に達したなれば、結婚して主人の收入にて生活ができるよう、また全國民が衞生思想が発達し、性教育が今少し普及され、すべての点につき世界の水平 線まで進み、自他ともに認められる時期まで、今度の法律が出ぬようにしていただきたいと思います。」

○鍛冶委員長代理
 これに対して政府の御意見があれば伺います。
○田中(角)政府委員 ただいまの陳情に対してお答えいたします。陳情の趣旨は十分了承しました。このような業務に從事する婦人の中には、 種々事情のあることも十分承知いたしておりますが、しかし戰後著しく増加して参つたこの種行為は、健全な性道徳を破壞し、善良な風俗をみだし、のみならず 恐るべき性病を蔓延せしめるもととなるものでありますから、政府としましてはかかる行為の絶滅をはかることを必要と考え、その一つの方策として、第二回國 会にも賣春等処罰法案を提出したのであり、あれは審議未了に終りましたが、近く、さらに同様の法案を國会に提出する準備をいたしておるのであります。われ われとしましては種々研究の結果、現在の事態に対処するためには、このような法案がぜひ必要であるとの結論に到達いたしているのでありますが、國会提出の 上は、國会において十分愼重な審議が加えられることを望んでいるものであります。
○鍛冶委員長代理 ほかに御意見なり御質疑はありませんか。ございませんでしたら、これをもつて一應審査を終了いたします。なおほかにありましたら、いずれ適当の機会に伺います。


「いかに男女同権とか基本的人権の尊重が叫ばれましても、現在の社会はそんなりつぱなものではありませず、私たちのうち、女中奉公中主人にむりを言われ、 ビズネス・マンとして上役の人よりむりを言われ、いずれの職域においても職業婦人は横暴なる男性のたにめ犠牲になり、苦労しているのが事実であります。現 在の職業に入り、一般世間の人のお考えになり御心配なされておるようなことはなく、まつたく自由であり、その上経済的に惠まれ、他の一面で同じような意味 で今日まで苦労をしたのがばからしいような氣がします。
 方のような意味よりしまして、職業婦人の一部のうち、特に近親のめんどうを見る一定の期間働くためには、どうしてもこうした職域が必要と思います。少く とも経済界が安定して生活苦が少くなり、一般職業婦人が給料にて生活ができ、その上服の一着もくつの一足も買うことができ得るようになり、他面青年男女が 一定年令に達したなれば、結婚して主人の收入にて生活ができるよう、また全國民が衞生思想が発達し、性教育が今少し普及され、すべての点につき世界の水平 線まで進み、自他ともに認められる時期まで、今度の法律が出ぬようにしていただきたいと思います。」

戦後の混乱期に、致し方なく、体を売って暮らしている方々が、経済が安定し、職業婦人として、自立できるまで、待ってほしい、時代的な問題と、経済的な問題の話ですが?

「あまり省略されたり、無い文章を差し込むのは、いかがかと思いますが」?
泥憲和先生、明治と大正、そして昭和の戦後混乱期、つながりがないのですが?

普通の年季奉公は、前借金でしばったりしないので、ただの有期雇用契約です。
この点を混同してはなりません。

あのー「年季奉公」についてですが、いわゆる農家の子沢山から、「口減らし」というケースが
ほとんどなんですが?

この場合、前借金がある場合と、無い場合にわかれますが、どのみち帰れないのですよ?

奉公先からにげだしても、実家では受け入れない、奉公先に戻るか、もっと悲惨なその日ぐらしになるか?

明治というのは、江戸時代の続きなんです、そこを間違えてはいけませんよ?

まあ、明治は一応、四十五年ですから、わずかづつ、社会構造の変化は、起きていきますが、なんでも一緒くたにしてしまうと、歴史というものが、わからなくなりませんか?

泥憲和先生にとっては、「うるせー」「馬鹿」かもしれませんが、前に紹介しましたよね「女工哀史」さて、初版は何年ですか?

あと間違えられやすいのですが「最暗黒の東京」当時の貧民窟のルポルタージュですが、
きちんと読むと、江戸の名残である、という解説があるのです、版によって違いますが。

金福童さんに、キム・ボクトンさんとあてる

文玉珠さんに、、ムン・オクスンさんとあてていたのを、ムン・オクスさんと慌ててあて直す。

しかし、ハングルの音韻法則では、カタカナであてるのは、難しいのです。

朴クネ大統領、朴槿恵(パク・クンヘ)と最初は、カタカナであてていましたが、いまはパク・クネ大統領ですが、実は
パク・クネと発音しません。

乗り越えネットの辛淑玉さん、間違って「シン・スグオク」とカタカナであてていましたが、いまは、シン・スゴです。

ただ、これも難しい事に、カタカナでの限界があるのです。

金福童さんに、キム・ボクトンさんとあてるしかし、カタカナであてると音が悪いので、あえてあてていないのでしょう。

ハングルの音韻法則は、二つ日本人がつまずく事があるのですが、私はクリアーしました。

また、韓国語といっても私がわかるのは、ソウルマルぐらいです。

北朝鮮だと、カナタラの語順や音韻法則が少し違います、私は文化語はわかりません。

ソウルマル、しかわからないと、済州道に行ったときものすごく困りました、通じないのですよ、ソウルマルが。

歴史的に、済州島は、タンラ国、高麗時代に征服されたので、文化も言葉もほとんど別の国です。

観光特区なので、観光タクシーがあり、よくタクシー兼ガイドとして雇って欲しいという話になるので、まあしかたなく値切りながらも、雇いましたが。

でも、聞いてはいけない事には、ふれませんでした、いわゆる済州島事件、そこは聞かないのが礼儀です。

雇ったドライバーの方、かなりご年配でした、また生まれや育ちについて、済州島事件を除いて話してくださいました。

生まれたのは、サイパン島、父親が南洋興発にお勤めだったとか、サイパン玉砕の前に、大阪に疎開、しばらく大阪で暮らして、韓国が安定したので、故郷の済州島に戻ったそうです。

あと、私はその地域の民俗博物館に必ず行きます、かなり驚きました、建国神話すら違う、文化も全くちがう。

ただ、済州島には、醜い日本人がまだいます、腹が立って椅子で殴ろうかと思いました、いわゆる売春とカジノ目当ての、グループです。

あいつら、なんとかしたいですよ、本当に、韓国語は全く分からない、ガイドの女性に女の手配を頼む、それもホテルの廊下ででかい声で、はては、いい女がいなければ君でもいいよガハハハハ。

ありゃ、癌ですな、ただ韓国人の新婚旅行地でもあるので、いかにも韓国人らしい行動とるのも見ました、観光地ならば、譲るべきなのに、専属のカメラマンつけて、新婚さんが、観光の一等地を占拠して、写真撮るまでどかないのです。

まあ、そういうものです、韓国の人々には韓国の理由、風習、立場があります。

しかし、日本人は日本の立場、理由、風習についてあまり主張しない、これは良くないと思います。

私は、そのあたりは、主張する人間なので、ソウルでも、何か言われたら、切り替えします、ただ独特の間合いと
瞬間的な判断が必要なので、慣れないと無理ですが。

その場合、喧嘩ではありません、掛け合いというか、挨拶みたいなものですので、実はかえって仲良くなります。
不思議に思うかもしれませんが、それは韓国の風習や民族性なので、良い悪いではありません。

例えば、独島は韓国のものか日本のものか?良く聞かれますが、切り替えしとして、独島は韓国領竹島は日本領、そう返すとだいたい、一瞬止まります、でも、いや日本は好きだとか、日本に旅行したとき親切にしてもらったとか、まああの掛け合い、もうできないかな。

韓国社会って、意外に面白いですし、毎回政権交代のたびに、様々な論争がおこります。

嫌韓ではないと、私が言うと、今の人は、異質に見えるようですが、反米保守で尊皇家である私としては、別に不思議ではないのですが。

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  • 157. 「従軍慰安婦問題」決着ーー泥さんが、右派のウソを元から断つ.

  • 157. 「従軍慰安婦問題」決着ーー泥さんが、右派のウソを元から断つ.

     泥憲和さんの従軍慰安婦についての一連の論考(Facebook)は極めて優れたもので、巷にあふれる右派の嘘・歪曲を元から絶つものです。
    そこで、泥さんの了承を得て、以下にその一連の論考をまとめて掲載することにしました。
    じっくりお読みください。

     なお、環境依存文字(○内に数字)は化けるので1)等に変更してあります。また、レイアウト、色付け等は、当方(古林)にて適宜調整しました。

     印刷用にPDFファイルを用意しました。
    ご利用ください。 =>クリックでダウンロード

     リンク切れ、リンクの誤りを修正しました。一部のリンク切れは現在調査中です。2014年12月4日


    追記:
    【従軍慰安婦の真実】英語版が出来ましたのでご紹介します。
    米国在住の三枝恭子(さえぐさきょうこ)さん(言語学)が【タケセンの「思索の日記」】を読んで、ぜひ英訳を、と申し出てくださいました。その成果がこの”The Truth about the Comfort Women”です。
         クリック=> The Truth about the Comfort Women Version 20150220©
    PDF版もあります。
         クリック=> The Truth about the Comfort Women (PDF)ダウンロード Version 20150220©
    ぜひご利用ください。

    なお、三枝さんの判断により、オリジナルの最後にある背景説明を最初に持ってきてあります。
    その方が読む人にとってはわかりやすいと判断したためです。
    以上、ご了承お願いいたします。

    2015年2月18日



      【従軍慰安婦の真実】 目次
    1. 慰安婦は性奴隷だったのか 1)
    2. 慰安婦は性奴隷だった     2)
    3. 慰安婦業者と官憲の行為は、どのような国内法に違反したのか
    4. 元慰安婦の証言に信ぴょう性はあるのか
    5. 従軍慰安婦という名称は間違っているという批判について
    6. 敗戦後の日本人慰安婦たち
    7. 慰安婦の働き方と報酬額 1) 慰安婦業者の契約書を確かめる
    8. 慰安婦の働き方と報酬額 2) 日本軍の契約書マニュアルを確かめる
    9. 慰安婦の働き方と報酬額 3) 秦郁彦説を批判する。
    10. 慰安婦の働き方と報酬額 4) 文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳
    11. 慰安婦の働き方と報酬額 5) 文玉珠(ムン オクス)さんの送金など
    12. 日本は韓国に賠償金を支払ったからそれでいいのか? 1)
    13. 日本は韓国に賠償金を支払ったからそれでいいのか? 2)
    14. 「なぜ何度も謝罪しなければならないのか?いい加減にしろ」という意見について
    15. 慰安所は戦地強姦を防ぐことが出来たのか
    16. 最終回



    【従軍慰安婦の真実】1.
    1 慰安婦は性奴隷だったのか 1)

     まるでネトウヨみたいなタイトルです(笑)
    いま もネットに飛び交うデマにだまされている人が、たくさんいます。
    カウ ンター仲間の中にすらいるそうです。
    そのことをFB友の渡辺先生から教えてもらいました。
      幸い、たくさんのカウンター仲間が私のページを読んでくれています。
      そこで、おさらいといった感じで、なるべくわかりやすく、日本軍慰安婦のことを書いていきたいと思いました。
      ご自身の勉強を確かめるため、またネトウヨとたたかうため、活用して頂ければ幸いです。
      何回にわたるのか、まだ未定です。
      質問があれば、なるべく丁寧にお答えしようと思っています。
      第一回は、ネトウヨが発狂するようなテーマです。
       「慰安婦は性奴隷だった」という話です。

    1 慰安婦は性奴隷だったのか

    「性奴隷」とはなんでしょうか。 
     奴隷状態で性労働を強制された女性が、性奴隷です。 

    では奴隷とは何でしょうか。 
    人身を拘束され、自由を奪われた労働者のことです。 
    人身を拘束されるというのは、居住の自由を奪われて、雇い主の指定する住居に住まわされ、移動の自由のない状態をいいます。
    自由を奪われるとは、転職や退職・廃業の自由を奪われて、いやでもそこで働かされることです。

    さて、慰安婦は奴隷ではないという意見があります。 
    なぜならば、とその人たちは言います。

      慰安 婦は自ら志願している。 
      慰安婦は高い給料を得ていた。 
      慰安婦は借金さえ返せば帰国できた。 
      慰安婦は接客を拒む権利さえあった。 

    この言い分を、仮に事実だとしましょうか。
    それなら、慰安婦の労働条件は奴隷でなかったと言えるのか、 
    このことについて、江戸時代の花魁(おいらん)と対比して考えましょう。 

    江戸時代、吉原などで、売春営業が公認されていました。 
    吉原の女郎には、それなりの給与が出ており、接客を拒む権利が認められおり、借金を返せば廃業を認められていました。 
    この待遇は慰安婦と同じです。 
    彼女たちは奴隷だったのでしょうか。そうではなかったのでしょうか。
      
      明治5年、できたばかりの維新政府は、吉原の花魁のことを、 
      「牛馬に異ならず」と評しました。 
      明治5年『芸娼妓解放令』に合わせて出された「司法省達」です。
      原文を末尾に資料として転載しておきます。
      現代語になおせば、つぎのように書かれていました。

      「娼妓・芸妓は人身の権利をなくした者であって、牛馬と同じことである。」

      当時は奴隷という用語がまだない時代ですが、 
      「牛馬に異ならず」という表現が、奴隷状態であるという認識を示しています。 
    どうして「牛馬に異ならず」なのか。 

    どんなに貧しくても、身体だけは本人のものです。 
      借金でその身体の自由さえ失った状態は、人としての最後の自由を失った状態であり、牛馬と変わらない存在だということです。 
      人と しての最後の自由を失った状態、すなわち、奴隷です。 

      吉原の花魁が借金で縛られた身分で「牛馬と異ならず」なら、
     同じように借金でしばられ、待遇も花魁と似ていた慰安婦だって「牛馬と異ならず」だったといえます。
     普通の年季奉公は、前借金でしばったりしないので、ただの有期雇用契約です。
    この点を混同してはなりません。

    こういうことで、慰安婦を性奴隷とみなすのは不当ではありません。 

      明治5年でさえ、この程度の人権感覚はあったのです。 
      21世紀に生きる安倍さんたち政治家が、慰安婦が奴隷状態であったことを否認するなんて、なんともはや、ため息をつくばかりです。

    ところで、明治のはじめにはこんなにまっとうな認識だった日本政府ですが、その後に後退してしまいます。
      「娼妓契約は人身売買ではない、だから娼婦は奴隷ではない」、こう言い始めたのです。
    それがなぜであるかということと、その後退した考えからみても慰安婦は性奴隷だったということを、次回に書きます。

     【資 料】

     明治 5年10月9日司法省達第22号 第2項 

     娼妓芸妓ハ人身ノ権利ヲ失フ者ニテ 牛馬ニ異ナラス 
    人ヨリ牛馬ニ物ノ返弁ヲ求ムルノ理ナシ 
    故ニ従来同上ノ娼妓芸妓へ借ス所ノ金銀並ニ売掛滞金等ハ一切債ルヘカラサル事 
    https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q&esrc=s&source=web&cd=10&cad=rja&uact=8&ved=0CF8QFjAJ&url=http%3A%2F%2Fja.wikisource.org%2Fwiki%2F%25E5%25A8%25BC%25E5%25A6%2593%25E8%2597%259D%25E5%25A6%2593%25E3%2583%258B%25E4%25BF%2582%25E3%2583%25AB%25E8%25B2%25B8%25E5%2580%259F%25E5%2585%25B6%25E4%25BB%2596%25E4%25BA%25BA%25E8%25BA%25AB%25E8%25B3%25A3%25E8%25B2%25B7%25E3%2583%258B%25E9%25A1%259E%25E3%2582%25B9%25E3%2583%25AB%25E6%2589%2580%25E6%25A5%25AD%25E3%2583%258E%25E8%2599%2595%25E5%2588%2586&ei=LW3WU_O8Otjc8AXQiYLgDg&usg=AFQjCNGm3yx-_wHmJbhvYnvBfrbUtdjfLg&sig2=4kVsZ83wQrvDd8Zbdl1NMw

    写真は近代デジタルライブラリーより
    残念ながらここに司法省達22号は収録されていません 

    慰安婦

    2014年7月29日  泥 憲和 

    【従軍慰安婦の真実】2
    慰安婦は性奴隷だった その2

    1.合法的な売春契約と違法な売春契約のちがいを知ろう

    今回 は、大日本帝国の国内法の観点から見ても、慰安婦は性奴隷であったという話です。

    明治政府は娼妓契約を「牛馬と異ならず」として奴隷契約だったと認定したというのが、前回のお話でした。
      その理由は、娼妓契約が「人身売買」であり、人身の自由を奪う契約だったからです。

     明治5年 太政官布告第295号
     「人身を売買することは古来から禁じられているのに、年季奉公など色々の名目を使って、実際には人身売買同様のことをしているので、娼妓を雇 い入れる資本金(親に貸 し付ける契約金のこと)は盗難金とみなす。貸した金を返せという訴えは認めない。」


      中には「娘は買ったのではなく養女にしたのだ、我が子に何をさせようと親の勝手だ」という理屈で売春をさせていた者もいたようです。
      太政官布告は続けます。

     「子女を金銭で取引して名目的に養女にし、娼妓・芸妓の仕事をさせるのは、実際上はすなわち人身売買である」

      こうした措置で、明治政府は売春業は禁じなかったけれど、人身売買契約にもとづく売春業を禁じたのでした。
      この太政官布告が廃止されたのは明治33年です。
      この年、『娼妓取締規則(しょうぎ とりしまりきそく)』(内務省令第44号)が出されたので、布告は役割を終えたのです。

       『娼妓取締規則』は売春を一般的に禁じました。
      ただし、法令に従うことを条件に、例外的に売春を認めたのです。
      この規則を理由に、帝国政府は「娼妓契約は奴隷契約ではない」と言い続けました。
      それというのは、規則に「何人たりとも廃業を妨害してはならない」と決めていたからです。

      娼妓取締規則は、娼婦に「契約破棄の権利」と「廃業の自由」を認めました。
      警察に届けさえ出せば、いつでも辞めることができたのです。
      奴隷契約は、人身を買われた奴隷側から契約を破棄することができません。
      これと異なる娼婦契約は、人身を身分的に拘束する人身売買ではなく、したがって奴隷ではないという理屈です。
      娼婦が辞めるのは「届出制」。ここ、大事なのでおぼえていてください。

      しかし前借金がある場合、娼婦を辞めても借金契約は残るという仕組みだったので、借金を返すために娼婦を辞められない現実もありました。
      人身売買の形は回避したけれど、こんどはいわゆる「債務奴隷」の立場に置かれたのです。
      
      それにしても、辞める自由が法的に保障されてはいたのです。
      借金を連帯保証人(たいて いは親)に押し付ける気になれば、辞めることは出来ました。
      自己破産してしまえば、自分だけは助かります。
      親方が「借金を返さない限り辞めさせない」と引き止めるのは違法です。
      そういう大審院(いまの最高裁)の 判決がたくさんあります。

    2. 慰安婦制度は合法的な売春制度だったのか

    親が娘を担保に前借金をして娼婦に出すことを、「身売り」と言いました。
      貧しい農村では身売りが多くありました。
      身売りという言葉が示すとおり、実質上は人身売買ですが、法律的には娘には廃業の自由があるため「担保」の意味がないと見なされ、人身売買に当たらないということになっていたのです。

      こうしたことから、慰安婦否定側はいいます。
      特別に慰安婦だけが悲惨だったのでもなく、奴隷だったのでもないと。

        日本軍慰安婦は「身売り」契約による売春だ。
        悲惨であったにせよ当時としてはありふれた話だ。
        また当時、それは合法だった。

      本当でしょうか。
      ここでは、「身売り契約は奴隷ではない」という言い分を、いったん認めましょう。
      そのうえで、慰安婦契約がどんなものだったのかを確かめます。

      日本軍の慰安婦関係契約資料は散逸してほとんど残っていないのですが、運良く「馬来軍監区」の契約原本が残っていました。(写真)
    馬来とはマレーのことです。
      マ レーを占領していた南方軍は、慰安婦の管轄権限を師団ではなく南方軍司令部に一括していたので、東南アジア方面では馬来軍監区と同じ契約 だったと推測できます。

      その資料に、書かれています。

       「営業者および従業員は、軍政監の許可を受けるにあらざれば、転業転籍をなすことを得ず」

       「営業者および稼業婦にして廃業せんとするときは、地方長官に願い出てその許可を受けるべし」

      慰安婦が辞めるのは「許可制」だったのです。
      官の許可がなければ辞められませんでした。
      自由に辞められなかったのです。

      先に娼婦の退職・廃業は「届出制」であるといいました。
      届けさえすれば自由に廃業できるから人身を身分的に拘束する人身売買ではなく、奴隷契約ではないというのが、帝国政府の建前でしたね。
      慰安婦はこれと異なります。
      廃業が許可制で、自由に辞められませんでした。
      それなら、人身を身分的に拘束する契約ということになり、これは人身売買であると言えます。
      つまり慰安婦契約は、帝国政府が禁じていた奴隷契約なのです。
      しかも許可を与えるのは官庁です。
      人身拘束制度=奴隷制度に官権が直接関わっているのです。

      日本政府が「慰安婦は性奴隷ではない」と抗弁できる余地はまったくないと思います。

    慰安婦

    2014年7月30日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】3
    慰安婦業者と官憲の行為は、どのような国内法に違反したのか

     前回の「2」で、南方軍が、帝国政府が禁じていた奴隷契約を慰安婦に強制していたことを示しました。
    軍をはじめとする国家機関と慰安婦業者は、ほかにも様々な法律に違反しているので、今回はそこを確かめましょう。
    売春が合法でも、慰安婦が合法だったとは言えないことが如実にわかるでしょう。 

    ■「娼妓取締規則」違反 

      占領地でこそ軍が軍政を敷くので警察権を持ちますが、慰安婦を募集したのは占領地ではなく、朝鮮半島と内地がほとんどです。
      そこでは「娼妓取締規則」を守らなくてはなりません。
      慰安婦は国外で働くことを前提にしていますが、「娼妓取締規則」はそのような事態を想定していませんでした。
      第七条に、「娼妓は庁府県令を以て指定したる地域外に住居することを得ず」とあります。
      しかし慰安婦をどこに送るのか、それは軍事機密なので、官庁は慰安所の所在地を指定することができません。
      慰安婦という制度が、その性格上、そもそもが違法なのです。

       「娼妓取締規則」は、つぎのように定めていますが、慰安婦についてはなおざりにされているし、業者を使役していた軍も守らせていた形跡が見えません。 

    1. 娼婦になろうとする者は、そのやむを得ない事情を書いて、両親と保証人2名の連署を添えて警察区長に届 け出なければならない。 
    2. その手続は、本人が警察に出頭して行わなければならない。 
    3. 警察は娼婦になろうとする者を尋問し、本人の意思を確認しなければならない。 
    4. 娼婦になろうとする者は、警察区長の確認書を添えて警視庁に願い出なければならない。 
    5. 満18歳未満の者は娼婦になってはならない。 

     これらはほとんど守られていませんでした。
    このように、「娼妓取締規則」に違反しているのですから、慰安婦の契約は法律違反であって、業者は本来ならば営業停止です。 

    ■民法第90条(公序良俗)違反 
     〈公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする〉

      違法契約であることを隠し、相手の法的無知に乗じて契約させても、明治民法第90条により、公序良俗に反する契約として無効になります。 
      無効というのは、はじめからなかったことになるということです。 

    ■刑法第226条(所在国外移送目的略取及び誘拐)違反
     〈所在国外に移送する目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、二年以上の有期懲役に処する〉

      無効な契約なのに、あたかも有効であるかのようにだまして連れて行くのは、誘拐に当たります。 
      誘拐の定義は、判例等によって「欺罔(ぎもう あざむき、だますこと)・誘惑を手段として、人を生活環境から不法に離脱させ、自己又は第三者の実力支配下に置くこと」とされて います。

      慰安婦は、誘拐して海外に連れ出すことを禁じた刑法第226条の条文にピッタリと当てはまります。
      そういうことをした業者も、渡航を公認した内務省と身分証を発給した外務省、輸送に便宜を計らった軍も、共犯として同罪です。

      ところで話が少し横道にそれますが、北朝鮮による拉致被害者である有本恵子さんら4人は、北朝鮮でいい仕事があるとだまされ、自分の意志で 北朝鮮に入国しました。
      自分の意思であっても、だまして連れて行けば、誘拐に当たります。
      政府は誘拐された有本さんたちを拉致被害者として認定しているのだから、誘拐は拉致にあたるということになります。
      拉と強制連行は同じ意味です。 
      すると慰安婦も合法的なよい仕事があるとだまされて連れて行かれたのだから、誘拐に当たるのだし、日本政府の定義に沿っていえば拉致された のであり、強制連行されたことになります。

    ■刑法第227条違反
       〈3  営利、わいせつ又は生命若しくは身体に対する加害の目的で、略取され、誘拐され、又は売買された者を引き渡し、収受し、輸送し、 又は蔵匿した者は、六月以上七年以下の懲役に処する〉

      慰安婦は営利・わいせつ目的で誘拐されました。
      慰安婦を軍に引き渡したのは慰安所業者、収受し、輸送したのは軍です。 
      両者は刑法第227条違反の共同正犯です。 

      これほど違法に違法を重ねては、もう誰にも弁護のしようがありません。 
      軍をはじめとする国家機関が直接的に関わった国家犯罪と言えます。 

    ■法令がちゃんと適用された例がある

      昭和12年、大審院(最高裁)で、売春目的で女性を海外に連れ出そうとした業者らが有罪になっています。 
      長崎から15人の日本人女性を娼婦として上海へ送った業者らに対し、 
      大審院第4刑事部は 「婦女を誘拐して国外に移送した」「共同正犯」として上告を棄却、有罪が確定しています。

      法令がちゃんと適用されれば、このように有罪になるのです。
      この業者が有罪になったのは、軍と結託していなかったからです。
      軍が求めれば、その威光で誰も逆らえなかった時代でした。
      大日本帝国の時代、日本がそんな国であったことを認めるのは気分の良いものではありません。
      しかしその歴史を反省することで、別な道を歩むことが私たちにはできます。 
      その歴史を肯定してしまえば、同じような未来が待ち受けていることでしょう。

    刑法の論証集(山口刑法にほぼ準拠) 略取・誘拐の罪 224条以下

    2014年7月31日 泥 憲和 

    【従軍慰安婦の真実】4
    元慰安婦の証言に信ぴょう性はあるのか

    (今回はめんどくさい上に長いです)

    元慰安婦の証言には腑に落ちない点が多々あります。
    移動中の船内でテレビを見たとか、それはちょっと有り得ません。
    人の記憶は不確かなんですよね。

      でも、韓国側はそういった不自然な証言を改変することなく発表しています。
      おばあさんに「戦時中にテレビはまだなかったんだよ」といったアドバイスをしていないようです。
      間違っていてもそのままに記録するという、オーラルヒストリー採取の基本をわかっている証拠です。

    金福童さん

      金福童さんという元慰安婦がいます。
      彼女の証言が怪しいと言って、右派が総攻撃しています。
      金さんは第15師団に着いてシンガポールに行ったと言うが、嘘だ。なぜなら第15師団はビルマの部隊だから。 
      金さんは14歳のときに慰安婦にさせられて8年間働き、19歳の時に解放されたというが、計算があわない。足し算もできないのか。
      金福童はニセ慰安婦だ・・・等々。
      いまも金さんはどこへ行っても、一見つじつまの合わない証言を繰り返しています。
      矛盾してたって自分の記憶がそうなんだから気にしないという姿勢です。
      体験に裏打ちされた記憶に自信があるのでしょうか。
      今回は、金さんの証言がどこまで当てにならないか、それをこれから検証します。 

    ■同時代の公文書に反する記憶 


     金さん証言
       「陸軍第15師団の本部について、台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール、バンコクと連れ回されました。」
     (2012.9.23「橋下市長! 日本軍『慰安婦』問題の真実はこれです」集会の証言) 
    http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/18155831.html 

    「最初、中国・広東の慰安所に入れられた。」 
    (『朝鮮新報』2013.6.3) 
    http://chosonsinbo.com/jp/2013/05/0527ry03/ 

      金福童さんは、第15師団について各地を回ったと証言している。 
      しかし公文書はこの証言を否定している。 
      南方軍第10陸軍病院の1945年8月31日付の記録に、軍の傭人として金福童さんの名前が載っており、本籍も一致しているので本人に間違いないという。 

     元日本軍慰安婦・金福童さんの実名記録が発見(朝鮮日報記事) 
    http://f17.aaacafe.ne.jp/~kasiwa/korea/readnp/k285.html 

    資料の名を、「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」という。 
      資料名でわかる通り、金福童さんは第16軍の下にいた。 
      場所はインドネシアのジャワ島である。 
      慰安婦をしていたという以外に、こんな所にいる理由がない。 
      たしかに彼女は慰安婦だったのだ。 
      このことは間違いない事実である。 
       
      しかし、金福童さんが証言する第15師団は、ビルマで戦った。 
      第16軍はジャワ島にいた部隊である。 
      二つの接点はまったくない。 
      金福童さんはシンガポールやインドネシアに行ったと証言しているが、第15師団はそういった場所に行っていない。 
      金さんが第15師団と行動を共にしたとすると、解けない矛盾だらけになる。 

      本人の記憶は大切にしなければならないが、記憶と同時代の公文書との間に矛盾があれば、公文書が正しいと考えるほかないだろう。 
      第15師団について行ったという本人の記憶は、間違っていると考えた方がよい。 
      しかし以下に示すとおり、「第15師団」という条件さえはずせば、金福童さんの証言は極めてリアルなのだ。 
      そのことを、これから確かめたい。 
      まずは、広東からである。 

    ■広東時代 
     証言 1「最初、中国・広東の慰安所に入れられた。」 
    (『朝鮮新報』2013.6.3) 
    http://chosonsinbo.com/jp/2013/05/0527ry03/  

      広東省は香港やマカオの北隣、深セン経済特区で有名な地域である。 
      連れて行かれたのは、「14歳のとき」だという。 
     (2012.9.23「橋下市長! 日本軍『慰安婦』問題の真実はこれです」集会の証言) 

      先に見たとおり、1945年8月に19歳だったのだから、金さんは1926年生まれである。 
      金さんは戦前の人だから、満年齢ではなく数え年を使う。 
      連れて行かれた数え年14歳 は、1939(昭和14)年である。 
      この年に広東で何があったのだろう。 

      前年の1938(昭和13)年9月、広東作戦が発令された。 
      10月に作戦が開始された。 
      11月には広東の要衝がすべて占 領された。 
      この時から広東に日本軍が駐留した。
      第5師団、第18師団、第104師団の三個師団。大部隊で ある。 

      翌1939年には、少なくとも都市 部の治安は安定した。 
      それに伴って大量の慰安婦の需要が発生した。 
      金福童さんが連れて行かれたのは、まさにその時期に当たっているのだ。 
      日本軍の作戦行動と証言に矛盾がない。 

      なぜ金さんはこんなに幼いのに連れて行かれたのか。 
      その理由を示す資料がある。
      当 時の日本軍は性病に悩まされており、朝鮮の「年若き女」を求めていたようなのだ。
      別の地域の資料だが、同じ年、昭和13年4月10日付「第14師団衛生隊」文書に、こんな記述がある。

       「支那妓女の検黴(けんばい)の成績を見るにほとんど有毒なるにより支那妓婁に出入りせざること。」 

      現地のプロの娼婦は性病にかかっていて、慰安婦として使えないというのである。 
      また同時期の「第11軍第14兵站病院」文書は、内地から 来た慰安婦を「あばずれ女」と評価し、花柳病(性病)が多いと書き、病気を持たない朝鮮の「年若き女」を奨励している。 
      こういった軍の要請にもとづいて、金さんのような朝鮮の少女に白羽の矢が立ったのだと思われる。 

    ■広東からマレーシア、シンガポールへ 

    証言2 「陸軍第15師団の本部 について、台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール、バンコクと連れ回されました。」 
     (2012.9.23「橋下市長! 日本軍『慰安婦』問題の真実はこれです」集会の証言) 
    http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/18155831.html 

    証言 2では、最初に行った広東が、台湾のつぎに上げられている。 
      このことから、証言2にあげられた地名は、思い出すままに並べただけで、移動の順序に並んでいるのではないことがわかる。 
      広東を占領した部隊がどのように移動したのかを確かめるにあたり、便宜的に、金さんが上げた地名に丸数字を振る。 

      1)台湾、2)広東、3)香港、4)マレーシア、5)スマトラ、6)インドネシア、7)ジャワ、8)シンガポール、9)バンコク 

    注意 すべきなのは、5)スマトラと7)ジャワは、どちらも6)インドネシアの国内地名だという点である。 
      6)と5),7)は重複しているのである。  
      その点を念頭に置いて、順次、見ていこう。 

    1941年11月 
      大本営がマレーシア攻略を含む南方作戦の作戦準備を下令した。 
      しかし広東作戦とマレー作戦は全然別の作戦で、参加した部隊もまるで異なっている。
      通常なら、広東にいた慰安婦がマレー方面に移動することはないはずだ。
      この点、一見すれば金福童さんの証言は不可解に見える。
      ところが、広東からマレーに引き抜かれた部隊が、一つだけあるのだ。
      広東にいた第18師団は、 新編成の第25軍に加えられ、マレー方面に転ぜられた。 
      広東からマレー方面に転進した部隊は第18師団だけである。 
       (証言にある第15師団 は参加していない。) 
      そして第18師団の部隊記録に、金さんのあげた地名が次々に登場するのである。
      金福童さんは、第18師団 について行ったと見るのが合理的である。 
      第18師団は渡航準備のため、広東 から3) 香港を経由して海南島に移動した。 

    1941年12月 
      マレー作戦が開始され、まずタイ国攻撃が始められた。 
      渡洋してきた第18師団 は、第25軍の部隊としてタイの首都 9) バンコクに進駐した。 

    1942年2月 
      第18師団は第25軍の部隊として、4) マレーシアに進撃した。
      日本軍はたちまちマレー半島全域を占領する。 
      第25軍がシンガポール作戦開始。 同、占領。 
      第18師団は 8) シンガポールに駐留した。 

      ここで確認しておきたいのが、慰安所の管轄である。 
      中国戦線では管轄があまりはっきりせず、各級部隊がてんでに管理していたような記録がある。 
      しかし下級部隊が内地や朝鮮総督府と勝手に連絡を取り、慰安婦を要請したのでは統制が取れない。 
      その経験の蓄積もあってのことだろうが、南方軍は軍政部に管轄を一元化している。 
      軍政部は各師団の指揮下にない。 
      上級の第25軍の機関であ る。 
      中国から第18師団についてきた金福童さんだが、ここで規則通り、第25軍の軍政部の管轄下に置かれたはずである。 

    ■インドネシアへ 

    1942年4月 
      広東から一緒だった第18師 団が、第25軍から離れてビルマに移動した。 
      しかし金福童さんの慰安所は、第25軍の直轄になっていたから、第18師団と切り離されており、シンガポールに留まったとみられる。

    1943年5月 
      第25軍司令部がシンガポールを離れ、5) スマトラ島の ブキッティンギに移駐した。 
       (スマトラは 6) インドネシアの地名) 
      金福童さんたちもこの移駐に従った。 

    ■帰国へ 

    証言3 「アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた」 
    (2013.5.20『沖縄タイムス』) 
    http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-20_49450

     1945年8月 
      敗 戦。 

    1945年9月 
      第10陸軍病院( 7) ジャワ)の名簿に「金福童 19歳」との記録。 
    (「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」) 

    これは軍の公文書だから、数え年ではなく満年齢である。
      金福童さんは、どんな理由で第25軍の管轄を離れて第16軍の管轄下に入ったのだろう。 
      それは引き揚げ準備のためだったと思われる。 

      別の部隊の話だが、セレベス島第2軍民生部作成の資料(昭和21年6月20日付)によると、連合軍の命令で第2軍がジャワ島の将兵(第16軍)を管理し、パレパレ港に集合させている。 
      第16軍が管轄していた慰安所の調査も、第2軍がまとめている。 
      日本軍の戦闘序列からすれば、おかしなことが起きているのだ。 
      そしてそのことは連合軍の命令だったというのだ。 
      連合軍が用意した引揚船(ジョージポインレックスター号)の運航や寄港地に合わせて、連合軍の管理しやすいようにしているのである。 
     (以上の資料はアジア女性基金の『政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料』第3巻所収) 
      こ ういった時期だから、金福童さんの管轄権が第25軍から第16軍に移っていることに、不審はない。 

    1946年~1947 
    インドネシアから引き揚げ。金福童帰国。 

      連合軍がまず最初に日本軍に命じたのは、慰安婦を帰国させることであった。 
       「連合国指令書第一号」が「遊女屋並びに慰安婦を日本軍と共に撤退させよ」という命令なのだ。 
       (昭和20年9月7日付「日本派遣南方軍最高司令 官宛連合国指令書第一号」『政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料』第4巻) 
       
      慰安婦の帰還に消極的な軍を、連合軍が叱咤していると思われる。 
      最高司令官命令だから、慰安婦の帰還はわりと早かった。 
      各種資料を総合してみると、生き残りの慰安婦は1946年6月までには全員帰国しているはずだ。 
      金福童さんの帰国が1946年 ならば、1939年から足かけ8年だ。 
       「アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた」という本人の証言とピッタリ符合している。
      このとき、満年齢で20歳、 数え年で22歳であったはずだ。 
      右派は満年齢と数え年を混同して、計算が合わないと騒いでいるのだ。
      それは合うはずがないだろう。
      ご苦労なことである。


      これで考察を終わる。 
      日本軍について多少の知識があれば、金福童さんの行動軌跡は、有り得ないものと見える。
      作戦区域をまたいで移動したり、軍をまたいで管轄が移動したり、そんな無茶なとわたしも初めはそういう印象だった。
      しかし、調べてみて驚いた。ちゃんと合理的な裏付けがあったのだ。

      金福童さんの証言「第15師 団」は、「第18師団」の記憶違いではあるまいか。 
      そう仮定すると、年齢にも経歴にも矛盾が見あたらず、ほとんどの地名が漏れなくピッタリと符合する。
      ただし、「台湾」だけが不可解だ。
      そこだけは、裏付けが取れない。
      つまり金福童さんの証言は、年代はぴったり合うのだが、9ヶ所の地名のうち、1ヶ所だけ資料的な裏付けが見当たらない。
      その程度には、「当てにならない」のである。 
      彼女がニセの慰安婦で、デタラメを語っているのだとしたら、まぐれ当たりでこれほど見事に地名が符合することはあり得ないと私は思う。
      残り1ヶ所にこだわって、まだウソだデタラメだニセ慰安婦だと言いたい向きには、もう勝手にしろと言うしかない。

    2014年7月31日 泥 憲和 

    【従軍慰安婦の真実】5
    従軍慰安婦という名称は間違っているという批判について


    否定派は、従軍慰安婦という名称にこだわります。

    従軍という言葉は軍属という正式な身分を表す言葉だ。
    だが、慰安婦たちは民間の売春業者が連れ歩き兵士を客とした民間人である。
      従軍というのは間違いで、追軍売春婦だ。

      このように言うわけです。
      慰安婦制度に国家が関与していたことを認めたくないからですね。
      この意見は、もちろん間違っています。
       46年も前の昭和43年に、国会で慰安婦に関する質問がされています。 
       
      第058回国会 社会労働委員会 第21号 
     昭和四十三年四月二十六日 
    http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0200/05804260200021c.html 

    日本社会党の後藤俊男衆議院議員が、慰安婦に対する援護法適用について質問しており、厚生省(当時)の政府委員がこう答弁しています、
     「慰安婦に無給の軍属のような身分を与えていた」と。 

      軍属だったら、従軍していたのです。 
      慰安婦は雇い主から稼ぎを受け取るので、軍が給料を支給しないのは当然ですし。
      答弁は「軍属のような身分」ということなので、正式の軍属ではなく、「軍傭員」に類するパート職員扱いだったと思われます。
      前回のエントリーに書いた金福童さんは「軍傭員」の身分でした。
      それにしても軍属なのだし、軍から宿舎を提供してもらっているのだから、追軍売春婦というのはまったく人を馬鹿にした呼び名です。

      厚生省(当時)の政府委員は、こうも答弁して います、
     「輸送船が沈められて亡くなった慰安婦は援護法の対象である」。 

      援護法の対象になるのは「公務に従事して死亡した場合」に限りますから、慰安婦は公務で輸送船に乗っていたと認定されているのです。
      こういうことだから、「ただの民間人だ」というのは間違いで、「従軍」という接頭語は正しいのです。

      大事なことなので、政府委員の答弁を要約しておきます。 

    1.戦地の慰安婦に軍が宿舎の便宜を与えていた。 
    2.慰安婦には無給の軍属の身分を与えていた。 
    3.戦地で銃を取って戦ったり従軍看護婦の役割を果たした慰安婦もいる。 
    4.戦場で軍に協力して死亡した慰安婦は、正式の軍属や準軍属とみなして援護法の対象になる。 
    5.海上輸送中に沈められた慰安婦も、軍属あるいは準軍属として、援護法の対象である。
     

      政府委員は、つぎのようにも答弁しています。
       「立場として申し出にくい場合があるだろう。法律を知らずに泣いている人もあるだろう。一人残らず救うために努力したい。」

      一人残らずと言ってもそれは「戦闘協力者として、または輸送船が沈没したことで亡くなり、正式の軍属や準軍属とみなされた慰安婦」のこと、 死んでしまった慰安婦の、遺族のことです。
      生き残った慰安婦には何の援助もありませんでした。
      彼女たちは戦後をどのように生きたのでしょう。
      次回はそのことについて書きます。

    従軍慰安婦

    2014年7月31日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】6
    敗戦後の日本人慰安婦たち


    前回は慰安婦が軍属に準ずる扱いを受けていたことを書きました。
    中には最前線で戦闘協力者として戦死したり、または輸送船が沈没したことで亡くなった方もいて、その場合は遺族年金の対象とされています。
    しかし生き残った慰安婦には何の援助もありませんでした。
    彼女たちは戦後をどのように生きたのでしょう。

    ネトウヨやバカ評論家は言います。
    「日本人は奥ゆかしいから賠償など要求しない」...
    「売春婦が売春禁止反対を唱えるような韓国人とは違う」
    ふざけちゃいけません。

    昭和23年11月27日、衆議院で一通の陳情文が読み上げられました。
    陳情者は、大阪府接待婦組合連合会の会長、松井リウ。
    接待婦とは、要するに売春婦です。
    陳情書で松井は売春防止法の制定を延期して欲しいと述べます。
    (国会議事録 第003回国会 法務委員会 第10号 昭和二十三年十一月二十七日)

    自分たちは戦時中は看護婦や慰安婦としてお国に尽くせと言われ、帰ってみれば何の保障もなく、
    あるいは夫が戦死したために生活に窮し、
    女中に行けば雇い主から犯され、働きに出れば上役から関係を迫られ、
    そんな男の身勝手が横行している世の中なのに、暮らしのために売春してはいけないとはどういうことか。
    せめて暮らしていけるぐらいの経済力が身につくまで、また男たちの性に対する意識が向上するまで、売春防止法はつくらないでほしいと。

    「私たち就業婦の中には、戰爭中白衣の天使として第一線に從軍し満洲、中支、南支、南方各地域において、また軍の慰安婦として働きおり引揚げたる者、その 他夫が戰死し子を持つ者、元ダンサー、女給、看護婦、女店員、女工等と諸種の前職を持つておる者ばかり」

    「現在の接待婦以上のことをいたさねば生活ができず・・・、生活もろくにできず、衣類等を賣り盡くして現在の職業に入つて來ている者が少くないのであります。」

    「いかに男女同権とか基本的人権の尊重が叫ばれましても、現在の社会はそんなりつぱなものではありませず、私たちのうち、女中奉公中主人にむりを言われ、 ビズネス・マンとして上役の人よりむりを言われ、いずれの職域においても職業婦人は横暴なる男性のために犠牲になり、苦労しているのが事実であります」

    「経済界が安定して生活苦が少くなり、一般職業婦人が給料にて生活ができ、その上服の一着もくつの一足も買うことができ得るようになり、他面青年男女が一 定年令に達したなれば、結婚して主人の收入にて生活ができるよう、また全國民が衞生思想が発達し、性教育が今少し普及され、すべての点につき世界の水平線 まで進み、自他ともに認められる時期まで、今度の法律が出ぬようにしていただきたいと思います」

    彼女の言い分がすべて正しいとは言わないけれど、売春を続けさせて欲しいと言わねばならない境遇に陥ったのは、彼女たちの責任ばかりではないでしょう。
    こういった彼女たちに対し、しかし世間は冷たかった。
    昭和27年04月25日、参議院法務委員会において、参議院議員宮城タマヨが、売春防止法を早く施行してほしいと求めています。

    「東京の吉原を調べてみましても現在ざつと千三百人以上従業員がおります。そうしてこの様相は実に驚いたものがあるのでありますが、そういうことが一体今後いつまで許されるものか」

    「慰安婦として政府が集めましたその人たちがまだ随分残つておる。それでその人たちは実に大手を振つて威張つてこの仕事に従事しておりますのでございま す。政府からもお招ばれしているんですよということをまだ言つておるのです。それで一つどうしても早い機会にこれは何とかしてほしいのでございますが、こ れにつきまして政府の御意見は如何でございましようか」

    戦後、日本政府は連合軍が進駐してくるよりも前に、兵隊には慰安所が必要だろうと勝手に決めつけて、特殊慰安所RAAを設けました。
    そこに戦時中に慰安婦だった女性も多く応募しました。
    彼女たちはGHQが慰安所の閉鎖を命令したことで失職したあとも、売春婦として生きていました。
    宮城タマヨは、いつまでそんなことをさせているのかと問うのです。
    売春婦風情が大手を振って大威張りで生きるとは何事かと。
    「政府にいわれて売春していたのだ」といまだに言っているが、許しがたいと非難するのです。

    司法大臣を夫に持つ宮城タマヨは、戦前から上流社会の名士でした。
    戦時中にはこんなことを書いていた人です。

    「敵の本土上陸、本土決戦は、地の利からも、兵員の上からも‥‥決して不利ではありません。一億一人残らず忠誠の結晶となり、男女混成の総特攻隊となつて敢闘するならば、皇国の必勝は決して疑ひありません」
    「大義に徹すれば火の中、弾の中をもの ともせぬ献身の徳は、肇国以来の日本婦道でございます」
    『主婦之友』1945年7月号「敵の本土上陸と婦人の覚悟」

    てなことを書いていた御仁が敗戦とともにくるりと手のひらを返して参議院議員におさまり、「平和憲法」「民主憲法」に賛成しました。
    戦時中、この人は夫を兵隊に取られた庶民の苦労などお構いなしでした。
    生活苦を嘆く若妻に、彼女はこうご託宣を下していました。

    「良人の収入の範囲で生活を築いていくと言うことがモットーにならなければ、その家庭は健全に育っていきません。新家庭がお金に不自由するのは、むしろ当然だと私は思いますよ」
    「これからの日本では殊に、厳しいとか辛いとかいうことを知らないで過ごされるような人を作らなくちゃなりません」
    『主婦之友』1941年12月号「戦時下花嫁の生活建設相談会」

    厳しいとか辛いとかいうことを知らないで過ごすというのは、苦労を苦労と思わないようになるべきだという意味です。
    何でも闇で買える優雅な暮らしを送りつつ、平気でこんなことを書く人でした。
    だから元慰安婦の苦労など顧みることがなかったのは当然といえば当然です。
    元慰安婦たちの、「自分たちだってお国に尽くしたのだ」というせめてものプライドを切り捨てて、たかが売春婦が「大手を振つて威張つて」いるのが許せないと。
    こういう人が参議院議員に当選した一方で、松井リウは紹介議員さえ得ることができなかったために、陳情書を政府専門員に代読してもらった。

    日本人元慰安婦は声を上げなかったのではありません。
    声を上げたのです。
    兵隊と一緒に苦労したのに、恩給ももらえない身の上でした。
    戦史に華々しく飾られることもない彼女たちです。
    せめて売春を続けさせて欲しいとしか言えない哀れな立場でしたが、そのような境遇に追いやった政府に向かい、精一杯の抗議をしたのでした。

    その声は聞き入れられることがなく、無視されました。
    上品でご立派なご婦人から嘲笑され、見下げられ、切り捨てられました。
    彼女たちのその嘆きと怒りの声が、かろうじて、いまも国会議事録に残っているのです。

    2014年8月3日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】7
    慰安婦の働き方と報酬額 1) 慰安婦業者の契約書を確かめる

     ネトウヨや右翼評論家によって、慰安婦はとんでもない高給取りだというデマが流されています。
    その証拠として元慰安婦の文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳が引き合いにだされます。
    文さんが慰安婦をしていたときに軍事郵便貯金として26,145円を貯めていた通帳の原簿が日本に残っていたのです。
    小野田少尉の話では、当時の大卒初任給が40円だったというので、その54年分にあたるそうです。
    そこで、「そんなに稼いでおきながら、何が性奴隷だ」という意見になります。
    だけど、その意見は間違っているのです。
    文さんのことは別の回で確かめるとして、まずは慰安婦の稼ぎについて、一般的な状況を確かめましょう。

     それには雇用契約を見てみるのが一番確かです。
    女性達はどんな契約を結んで戦地へ赴いたのでしょうか。
    『上海派遣軍慰安所酌婦契約条件(しゃんはい はけんぐん いあんしょ しゃくふ けいやくじょうけん)』という文書が残っています。
    慰安婦の募集に歩いていた男を警察が捕まえて、持っていた契約書を出させたものです。
    誘拐の疑いでいったんは逮捕したものの、軍がバックについていることがわかったので、警察は男を釈放してしまいました。

     では中身を見てみましょう。ひどいものです。 (写真)

    慰安所契約書


    前借金で身分をしばって働かせる、いわゆる「身売り」という契約です。
    こういうのは公序良俗違反なので、民法上は無効でした。
    明治時代に、大審院でその判例が確定しています。
    無効な契約なのに、庶民の法的無知に乗じて有効であるかのように見せかけて結ばせた、詐欺契約です。

     契約書は16才の女子にまで売春させようとするものです。
    こんな子どもに売春させるのは、いくら親の同意があっても完全に違法です。
    前借金の最高は500円。 
    都会で働く会社員の初任給が40円だったというので、その1年分です。
    農家には大金でした。
    契約書には、前借金のうち、2割を経費として天引きすると書いてあります。
    500円借りても、2割を天引されるので手に乗るのは400円。
    2年間働いて返さなければならないのは、元の500円です。
    2年で2割は、アドオン金利で年利10%。実質年利はもう少し高くなります。
    社内貸付としては、常識はずれの高利と言えます。

     慰安婦は2年間の契約ですが、病気などで中途でリタイアしたら、年利12%をつけて前借金を返さねばならない。
    そのうえ、別に前借金の1割という高額な違約金を取ると定めてあります。
    これでは女性はなにがあろうと辞めるに辞められません。
    しかし本当のところ、業者側は女性に途中でリタイアされたって痛くもかゆくもないのです。それは後で計算します。

     慰安婦が月給として手に出来るのは、水揚げの1割でした。
    兵が支払った料金は1回1円ないし1円50銭だったといいます。
    1人30分で1日に12時間働けば、24人を相手に出来る勘定です。
    実際には洗浄時間も休憩も必要だから、仮に20人としましょう。 
    1日に20円ないし30円の水揚げということになります。
    30日働けば600円ないし900円の水揚げです。
    手取りが1割なので、手に出来るのは60円から90円の計算となります。

     小野田元少尉によれば、普通のサラリーマンの初任給が40円でした。
    普通のサラリーマンの月給は100円とされていました。
    100円が50万円にあたるとすれば、慰安婦の手取りは30万円から45万円。
    1日12時間、1ヶ月30日も体を酷使して働いて、この金額です。
    時間給にして800円から1200円です。
    バカバカしいほど安いと思いませんか。

     住む、食べる、置き薬代は、業者負担だと書いてあります。
    それ以外の経費、たとえば着物や下着や化粧品、日用雑貨、性病以外の医者代、嗜好品、酒、タバコなどは女性が自分で負担しなければなりません。
    彼女たちは原則として外出も出来ないので、ちょっと手慰みにバクチでもおぼえさせられたら、あっという間にカスられてしまう金額です。

     ところで証言によれば、1日40人も相手をさせられた女性もいたといいます。
    これぐらい働けば、女性にも貯金ができるでしょう。
    しかし、そういうタフな一部の女性をのぞき、普通の体力、普通の性的能力しかない女性には、経済的実入りは驚くほど少ないのが実情でした。

     さて、女性ひとりが月に600円ほども稼いでくれれば、給料を支払ったあとで雇い主が手にできるのは540円。
    これなら500円貸し付けても、1ヶ月で元が取れます。
    半年働いてくれれば、ボロ儲けです。途中でリタイアされたってなんてことない。
    前借金を回収したあとは「維持管理費」を支出するだけで、稼げば稼ぐほど丸儲け。
    維持費と言ったって、建物は軍が建ててくれるのだし、食料まで支給された所もあるから、本当の丸儲け。
    雇い主側としてはもうかってしかたがない。笑いの止まらない商売でした。

     女性さえ集めればこんなにおいしい商売だもの、金にあかせた女性の獲得競争が始まったことは想像に固くありません。
    前借金が釣り上げられ、最高で2000円ほどにもなったといいます。
    芸者稼業は、すればするほど借金の増える商売だったといい、2年間働けばその借金がチャラにできるというのは、プロの女性にとってうまみのある仕事だったと言えます。
    業者の立場で言えば、2000円ぐらいなら、4ヶ月で元が取れるのです。
    これほどうまい商売だから、金にいやしい連中が、女性を集めるのにまともな方法ばかりとっていたかどうか。
    現在の闇金業やウラ風俗業にたずさわる紳士たちがどういうことをしているか考えれば、類推できるのではないでしょうか。

     今回は、業者と女性の契約条件を見てみました。
    次回は、軍が作った契約書を確かめます。

    2014年8月4 泥 憲和

     

    【従軍慰安婦の真実】8
    慰安婦の働き方と報酬額 2) 日本軍の契約書マニュアルを確かめる

     前回は慰安所業者の契約書を見ました。
    今回は軍が作成した規則です。こういう契約を結べという決まりです。...
    資料の名前は「馬来軍政監」作成の「規則集」に収録されている「慰安施設及旅館営業遵守規則」。
    そこに「芸妓、酌婦、雇傭契約規則」というのが定められています。(写真)

    軍規則集


    軍がこういった規則を作った背景に、無茶な搾取をする業者と慰安婦との間にトラブルがあったのではないかと私は推測しています。

     では規則を確かめてみましょう。
    慰安婦の給料は「慰安婦配当金」といいます。
    前借金の額により、配当金が異なります。
    前借金が大きいほど業者のリスクが高いから、「慰安婦配当金」の割合が低くされているのです。
    身体はいつ壊れるか分からないんだから、借金が多いほど搾取を強めるのは、雇用主としては当然だということでしょう。

     1500円以上
    雇主が六割以内、本人が四割以上
    1500円未満
    雇主が五割以内、本人が五割以上
    無借金の場合
    雇主が四割以内、本人が六割以上

     前借金の返済については、「慰安婦配当の三分の二以上」と規定されています。
    水揚げの四割~六割の手取りから、さらに前借金を三分の二もさっ引かれるのです。
    米軍が捕虜にした慰安所経営者に尋問した、いわゆる「ミッチナ捕虜尋問調書」には、慰安婦の負債額に応じて、経営者が水揚げの50ないし60%を受け取っていたと記録されています。
    軍の規則に合致した内容ですね。

     ここまでは、規則の面から待遇を見てみました。
    しかし決まりごとと実際が異なるのはいつの時代も同じこと。
    そこで、実際はどうだったのかを別の資料で確認しましょう。
    慰安婦の水揚げがわかる資料があります。

     「鉄寧派憲警445号 軍慰安所に関する件報告(通牒)」
    アジア歴史資料センター レファレンスコード.C13031898700

     「南寧方面 慰安所戸数32  慰安婦295 1日一人当り平均売上19円47銭」

     こういった記録なのですが、平均売上は18円から19円程度のようです。
    前回、1日の水揚げを20円から30円と推測しましたが、その低い方の数字なのですね。
    1ヶ月なら600円です。

     前出の「ミッチナ捕虜尋問調書」には、水揚げが「300円から1500円」と記録されています。
    病気がちなら300円程度しか稼げない女性もいたでしょう。
    日本人慰安婦なら、将校専用となって1500円稼げたかもしれません。
    条件はいろいろですが、朝鮮人慰安婦の水揚げが平均600円程度というのは、そんなに大きく間違っていないと思います。 

     かくして、死ぬほど働いて1ヶ月600円の水揚げを確保したとします。
    2000円も借金があったら、水揚げの六割360円が搾取され、手取りは残り240円です。
    そこから三分の二160円を返済金として天引きされるから、慰安婦の手元に残るのは80円です。
    現代の感覚なら40万円程度になります。
    時間給にしたら1100円ほど。
    慰安所業者のつくった契約より、ちょっとだけましですが、これが売春という仕事にふさわしい稼ぎかどうか、私はかなり疑問に思います。

     文玉珠さんはビルマで宝石を買ったと証言しています。
    (元慰安婦が語るのは悲惨な作り話ばかり、という評価が間違っている一例です)
    月給40万円なら宝石も買えたでしょう。
    ただ、それは一日12時間以上、年間7000人もの兵隊とのセックスの代償です。
    こういう無茶をすると計算では一年で借金が消えることになります。
    しかし身体はもうボロボロでしょう。
    女性を監禁して、辞めることも許さず、時間給1100円で1日に12時間、月の休みがたった1日か半日で売春させたら、これはどう言い繕ってもやはり奴隷待遇ではないでしょうか。

    次回はいよいよ文玉珠さんの貯金について書きます。

    2014年8月5日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】9
    慰安婦の働き方と報酬額 3) 秦郁彦説を批判する。


    本日は文玉珠さんの貯金通帳について書く予定でしたが、予定を変えて短くて済むものに変更します。

    慰安婦は月に千円も二千円も稼ぐ高給取りだったという説がネットではびこっています。
    こんなに高給だったから応募倍率が高く、強制連行などする必要はさらさらなかったそうです。
    この説の大もとは慰安婦研究の第一人者、秦郁彦教授です。
    本を読まない人たちにそれを広げたのは、産経新聞です。
    ...
    教授は元防衛大学校教授にしてプリンストン大学大学院客員教授、そして日大教授という素晴らしい肩書きをお持ちの方です。
    このような方が唱えておられる説を私ごときが批判するのはおこがましいのですが、やはり一言せねばなりません。
    教授はこんなことを書いておられます。

    「経営者との収入配分比率は40~60%
    女性たちの稼ぎは月に1000~2000円、
    兵士の月給は15円~25円。」
    「慰安婦と戦場の性」、P270より

    これをもとに、慰安婦は総理大臣の二倍の給料をもらっていた、なんて言われております。
    さてこの数字ですけど、ちょっと検算してみましょうか。

    仮に女性が50%を受け取るとします。
    2000円稼ぐには水揚げが4000円なければなりません。
    どれくらいの兵隊を相手にしたら、これだけ稼げるでしょうか。

    兵が支払う料金が一回1円から1.5円だったそうです。
    4000円にするためには1ヶ月に2600人から4000人の兵を相手にしなければなりません。
    30日働いたとすると、1日あたり86人から130人!
    こんなこと、できるんでしょうか?

    兵の持ち時間は一人あたり30分だったそうです。
    すると、86人を相手するには1日に43時間必要なんですよね。
    130人なら65時間です。
    とんでもない仕事ですね。
    1000円稼ぐには、21.5時間から32.5時間です。
    どんなに慰安婦が頑張っても、1日は24時間しかありませんし、人間は寝なければ死にます。

    プリンストン大学院の教授は数字には強いかも知れないけれど、その数字を現実に適用する想像力がないみたいですね。
    ところが、さらに驚いたことに、この程度の検算もしないまま、評論家などによって「慰安婦高給説」がテレビで堂々と流されているのです。
    そのバカバカしさたるや、本当にお話になりません。

    2014年8月6日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】10
    慰安婦の働き方と報酬額 4) 文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳【写真】

    貯金通帳

     慰安婦は高給取りだったとのデマが右派から流されていて、その証拠として元慰安婦の文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳が引き合いにだされます。

     元慰安婦の文さんが戦時中に軍事郵便貯金として26,145円を貯めていた通帳の原簿が日本に残っていたのです。
    小野田少尉の話では、当時の大卒初任給が40円だったというので、その54年分にあたるそうです。
    そこで、「そんなに稼いでおきながら、何が性奴隷だ」という意見になります。
    だけど、その意見は間違っているのです。

    ◇軍事郵便貯金の正体

    お札

     まず「軍事郵便貯金」というのが何かの説明をしておきましょう。
    これは郵便貯金と名がついていても、郵便局の貯金ではありません。
    軍事郵便局というのは軍の機関です。
    預ける通貨は軍票でした。
    文さんのいたビルマではルピーの軍票が発行されていました。(写真)

     1ルピーは1円と数えました。
    しかし本当の円ではなく、ルピーを円に替えることは禁じられていました。

    ◇軍事郵便貯金は日本円に替えられなかった

     軍事郵便貯金が交換できたのは軍人・軍属だけで、それも現地で交換できたのではなく内地への電信送金に限られていました。
    金額も月額100円まででした。 つまり生活費相当です。
    民間人の交換は禁じられていました。
    なぜなら、軍人・軍属の給料は戦時予算で手当されていたので、円の裏付けがあったけれど、日本軍が物資を調達するために大量発行した軍票には、円の裏付けがなかったからです。
    円の裏付けのない軍票を大量発行したので、現地はインフレになりました。
    このインフレが日本国内に波及しないように、政府は軍票と円の交換を禁じていたのです。

    資料1「南方経済処理ニ関スル件」】
    昭和17年1月20日 閣議決定
    http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00374.htm

    資料2 大阪毎日新聞「南方へ邦貨携帯 現地軍で厳重に処罰」1942.7.16(昭和17)
    http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=69155609&comm_id=5973321

    現地がどれほどインフレで苦しもうと、日本だけは安泰という身勝手なシステムを作っていたわけです。
    この操作には横浜正金銀行が使われました。

    ◇文さんがもらったのは紙くずだった

     では、軍票の1円は、日本円でいくらになるのでしょうか。
    そのことは後にして、先に彼女が軍票をたくさんもらった背景について述べます。

     彼女はこれを「兵隊からもらったチップ」だと証言しています。
    印字された日付をみましょう(通帳の写真参照)。
    1945年4月4日~5月23日の2ヶ月足らずの貯金が20,360円です。
    彼女はビルマのマンダレーにいたのですが、ここが陥落したのが45年3月です。
    この時点からあと、軍票は使えなくなっています。
    3月に価値のなくなった軍票を、4月にもらっているのです。
    文さんは、使えないお金 - 敗戦で紙くずとなった軍票 - を、日本軍将兵からわしづかみで渡されていたのです。

     こういう軍票をつかまされたのは、慰安婦に限りません。
    在留邦人も同じでした。
    その人たちは日本に引き揚げてきてから、日本円に変えて欲しいと要求しました。
    交換できるようになったのは、昭和29年のことでした。
    持ち込まれた金額は、10万円が最高、大部分はそれ以下だったそうです。

    (昭和29年第019回国会質疑)
    http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/019/0806/01904300806012a.html

     文さんは2万6千円だから、かなり下の方の金額です。

     1軍票円が1円に交換されたわけではありません。
    換算率は法律で定められていました。
    以下のサイトで換算表が確認できます。

    軍事郵便貯金等特別処理法(昭和29年法律第108号)
    http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hs29-108.htm

     その換算表で計算すると、文さんの貯金額は、日本円で3,215円となります。
    この年の大卒銀行員初任給は、5,600円だったそうです。
    その1か月分にもなりません。
    ということで、文さんは全然金持ちではなかったことになります。

     この項、つづく

    2014年8月10日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】11
    慰安婦の働き方と報酬額 5) 文玉珠(ムン オクス)さんの送金など

     前回は文玉珠さんの稼ぎがけっしてよくなかったことを見ました。
    彼女の証言を裏付ける傍証があります。
    元日本兵の人が、当時のビルマの様子を書き残しているのです。
    2万円や3万円は紙くずだったのがよく分かります。

    【資料1 ビルマ敗走記 敗走モールメンへ】末尾に抜粋を記載
    http://blogs.yahoo.co.jp/siran13tb/61475733.html

     本日はその余の話です。

    1. 文玉珠さんが貯めたのは慰安婦の稼ぎではない

     文さんのいた慰安所は、ビルマのマンダレーが陥落した時に経営者が逃げてしまって閉鎖されました。
    文さんたちは敗走する軍と一緒にタイのアユタヤまで逃げて、帰国船に乗るまで野戦病院の手伝いをしています。
    2万円を貯めたのはその時期です。
    だから慰安婦をして貰ったのではなく、怪我をした兵隊たちからチップとして貰ったのです。兵隊たちだって持っていても役に立たないからくれたのでしょう。
    この面からも、慰安婦が内閣総理大臣以上の高級取りだったという俗説は、まったくのデマです。

    2.文玉珠さんは五千円を送金したのか

     文さんは朝鮮に五千円も送金したと証言しています。

    『強制連行と従軍慰安婦』(平林久枝編)
    >ビルマに行ってからの名前「文原吉子」名義の通帳は、お金に替えることもできずになくしてしまった。
    >貯めたお金の一万五千円の中から、手紙と一緒にタイから大邸の実家に五千円を送った時、下士官に「故郷に全部送れ。おまえはバカだ」と言われた。
    >朝鮮に送金したのに、家も買わずに兄が下らないことに使ってしまった

     証言で文さんがいう「なくした貯金通帳」のことが、原簿に表れています(前回の写真参照)。
    昭和19年5月18日と6月21日に預金した900円分について「19.8.18亡失届出」と記載されているのがそれにあたるようです。
    原簿は「文原玉珠」名義ですが、他に「文原吉子」名義の通帳があり、そこに900円を預金していたのだと思われます。
    このように文さんの記憶と証言はとても正確なのですが、理解しがたい点もあります。
    文さんはなくした通帳の1万5千円から5千円を引き出したように語っていますが、実際の通帳記録は900円です。
    おそらく記憶違いでしょう。

     送金方法は、「手紙と一緒に送った」というのだから、戦時郵便を使ったのだと思われます。
    預金から5千円引き下ろして送金したのなら引き下ろし記録があるはずですが、それはありません。
    通帳に入れたもの以外に、もらった軍票があったのでしょう。
    戦時郵便で送ったものが無事に朝鮮に着いたかどうか、途中で沈められていないのか、いまとなっては確かめるすべがありません。

     仮に無事に郵送されていたとしても、文さんが送ったのは、ルピー軍票ですから、実家で円に換金できたはずがありません。
    無学な文さんはそういう仕組みを知りません。
    そこで「朝鮮に送金したのに、家も買わずに兄が下らないことに使ってしまった」と誤解して怒っているのです。
    軍票はお金ソックリだし、お金として貰ったものなので、文さんはお金だとずっと勘違いしているのですが、そのまま勘違いしている方が幸せだと思います。

    3 敗戦さえなければ大金持ちだったのか

     理屈のうえでは、1ルピーには1円の値打ちがあるはずでした。
    敗戦さえなければ、そのお金を文さんは手にできたでしょうか。
    それは無理でした。

     まずルピー軍票を日本円に替えることができません。
    ルピー軍票を軍事郵便貯金に入れれば、円になりました。
    しかしこの円は日本政府の規則で、内地に送金できないことになっていました。

    【資料2 1942年2月18日 読売新聞「大東亜経済建設の指標」】末尾に抜粋を記載しています
    【資料3 「南方占領地域における為替管理関係」】末尾に抜粋を記載しています

    資料2には、内地への送金は禁じられていると書かれています。
    資料3には、為替送金できたのは、「軍人・軍属が軍より支給を受けたる俸給、旅費、その他の給与」に限ると書いてあります。
    慰安婦の収入は「軍より支給を受けたる」ものではないので、「軍関係のもの」に当たりません。
    民間人でも、内地の家族を養わなければならない人は、許可を得て送金できましたが、「1か月200円相当額以下」に制限されていました。
    大金を送金するのはシステム的に不可能でした。
    しかも、扶養家族がいるのでもない文さんには、送金許可はおりなかったでしょう。
    さらに、戦争に負けていなくてもインフレで軍票の価値は戦時中から下がり続けていました。
    100ルピー軍票というのが発行されていますが、いまの価値で言えば50万円札です。

    軍票

     それほど軍票の値打ちが落ちていたのです。 (写真)

    こうして、文さんの2万円には価値がないことが論証されたことになります。
    ついでに戦後のことも書いておきます。
    敗戦により戦時中の政令の効力がなくなると、政府は「金融緊急措置令」を出して預金口座を封鎖してしまい、引き下ろせないようにしました。
    預金封鎖を解いたのは、新円に切り替えた後です。
    その時は、額面どおり払い戻されても、古いお金はもう二束三文の値打ちになっていました。

     次回は「韓国に賠償したのだからもうすんだ話」という議論について。

    【資料1 ビルマ敗走記? 敗走モールメンへ】
    「私たちは経理部の者ですが、これから車両と荷物を焼き捨てます、入用の物があったら何でも持って行ってください」という。私は兵にしては年配で態度がで かいから、将校と間違えたのだろうか、「将校服もだいぶありますから、2,3着持って行かれたら・・」という。

     何食わぬ顔で「いや、折角ですが、服は持っていますから」と答えたら「じゃ、金はどうです?今から焼却するところだから必要なだけ持って行って下さい。 2,3十万どうですかー」と言うので「荷物も多いし、じゃー当座の用に3万円ほど頂きましょうか・・」と新札の軍票3万円を貰い、礼を言って別れた。戦前 の感覚では普通の会社員が一生稼いでも3万円残せば上等の方である。それにしても始め30万円と聞いた時には驚いた。今の金なら恐らく億単位であろう。あ とでこんな事ならも少し欲張っていたらよかった、と思った。
    http://blogs.yahoo.co.jp/siran13tb/61475733.html

    【資料2 1942年2月18日 読売新聞「大東亜経済建設の指標」】
    本邦業者にせよ在来企業家にせよ差当り資金を必要とする時にはすべて南方開発金庫より軍票を借受けるのであって、たとえ三井財閥であっても内地より円資金 を現地に持込むことは許されないこの反面現地で或程度の資金が集積してもこれを内地に送金出来ないのであって、現地で得た利潤は現地開発に当てねばならな い
    http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00841425&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

    【資料3 「南方占領地域における為替管理関係」 】
    アジ歴Ref.B02032868600

     アジア歴史資料センターにアクセスして、レファレンスナンバーを入力して下さい。
    http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/MetaOutServlet?GRP_ID=G0000101&DB_ID=G0000101EXTERNAL&IS_STYLE=default&XSLT_NAME=MetaTop.xsl&RIGHT_XSLT_NAME=MetaSearchRefCode.xsl

    第二条
    本邦通貨、軍票又は外国通貨を本令施行地外の地に送付又は携帯せんとする者は所轄民生部長の許可を受くべし。但し左に掲ぐる場合はこの限りにあらず。

    1.軍人、軍属が軍より支給を受けたる俸給、旅費、その他の給与を携帯するとき
    2.軍人、軍属以外の者が旅費に充つるため二百円相当額以下の外貨軍票を携帯するとき
    第五条
    全各条の規定に違反したる者は三年以下の監禁又は一万円以下の罰金に処す。

    2014年8月10日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】12
    日本は韓国に賠償金を支払ったからそれでいいのか? 1)


    【ネットの中だけの真実】

    日韓経済協定を結んで韓国に支払った金は、個人賠償の分も含んでいる。...
    それで最終的に解決したのだ。
    その金8億ドルを経済建設に使ってしまったのは韓国政府だ。
    いわば韓国民の金を政府が使い込んだのだ。
    韓国民にそのことを長期間隠蔽していたのは韓国政府だ。
    それなのに、どうしていまさら日本が個人賠償に応じる必要があるのか。

    【本当の真実】

    1 日本は韓国に賠償していませんし、現金を渡してもいません
    そのことは日韓協定の本文を読めばわかります

    日本は賠償支払いを拒否しました。
    韓国にしたのは経済援助であって、賠償ではありません。

    8億ドルを援助したといいますが、政府分は5億ドルです。
    3億ドルは銀行が韓国政府に貸し付けたものだから、援助といえるのか微妙です。
    ともかくこの分はちゃんと返済されています。

    政府分の5億ドルの内、2億ドルは有利子の貸付で、20年返済です。
    一度に貸し付けたのではなく、10年分割で貸し付けました。
    これも利子を付けて韓国がキッチリ返し終わっています。
    無償援助は3億ドル(1080億円)にとどまり、これも10年分割で実施されました。

    貸付も援助も、韓国に現金が渡されたのではありません。
    だから韓国政府が使い込めるはずがないのです。

    ではお金はどうなったかといえば、全額日本の会社に支払われたのです。
    なぜなら貸付も援助も、協定でその使い道が限定されており、
    1) 「韓国政府が日本から買う物資の代金」と、
    2) 「韓国で工事をした日本の会社への支払」
    この二通りにしか使えなかったからです。

    具体的な支払い方をみましょう。
    まず、韓国がこれこれの機械が必要だとか、これこれの工事が必要だとかいうリストを日本に提出します。
    日本が審査してオーケーを出せば、韓国政府は日本企業に発注します。
    その代金は日本政府から日本企業に支払われます。
    韓国政府は現金に触ることもできません。
    援助金はすべて日本政府から日本の会社に支払われたのです。
    援助がそういうものであることがわかるように、条約本文を末尾に掲載します。

    さてその援助の大きさです。
    無償援助は1080億円なので、10年分割なら、1年当たり108億円。
    1966年の政府予算は4兆5千億円です。
    このうちの108億円は、予算のたった0.24%です。
    大した金額じゃありません。 
    当時、日本は旧軍人・軍属に対し、毎年1兆円以上の軍人恩給を支給していました。
    その1%にすぎません。

    援助がおわるころ、つまり10年後の1976年の予算は24兆6千億円。
    このうちの108億円だから、予算の0.044%。
    全然大したことありません。
    だけどこの援助をうまく使って、韓国は奇跡的な成長を見せたと【ネットの真実】は語ります。
    もしもそうなら、日本はよいことをしたのです。
    せっかくよいことをしたのに、デマで汚してしまっては、値打ちが半減してしまいます。


    ■日韓請求権並びに経済協力協定
    (財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)
    http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19650622.T9J.html

    第一条

    1 日本国は、大韓民国に対し、

    (a)現在において千八十億円に換算される三億合衆国ドルに等しい円の価値を有する日本国の生産物及び日本人の役務を、この協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて無償で供与するものとする。

    (b)現在において七百二十億円に換算される二億合衆国ドルに等しい円の額に達するまでの長期低利の貸付けで、・・・事業の実施に必要な日本国の生産物及 び日本人の役務の大韓民国による調達に充てられるものをこの協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて行なうものとする。

    2014年8月10日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】13
    日本は韓国に賠償金を支払ったからそれでいいのか? 2)


    1「請求権問題は解決済み」は禁反言

    韓国との賠償、補償問題については「日韓条約で完全かつ最終的に解決した」という意見が根強くあります。 ...

    請求権問題

     たしかに日韓両国間では、賠償問題は「完全かつ最終的に解決」しました。
    しかしそれは国と国の間の話。国と個人の間ではいまだに解決していません。
    政府閣僚が「日韓条約ですべて解決した」などと言っては困ります。
    それは禁反言の原則にもとります。
    日本政府はとっくの昔に、そういう解釈を否定しているからです。

     1991年と1992年に、韓国民に賠償請求権があることを認める政府答弁をしているので、引用します。

    ■1991年8月27日 参議院予算委員会 

    「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。」(資料1)末尾に抜粋を記載

    ■1992年2月26日衆議院外務委員会 
    「韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるというこ とは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます。」(資料2)末尾に抜粋を記載

    二回も同じことを繰り返し答弁しているのだから、間違いありません。
    韓国民の請求権問題は、政治的に解決していないのです。

    2.それはシベリア問題が起点

    なぜこのような答弁がなされたかというと、シベリアに抑留された元日本兵の補償請求権がからんでいます。
    シベリア抑留者たちは、ソ連に対して賠償請求権を持っているのか、否かという問題です。

    日本とソ連は、日ソ平和条約で、個人に対する賠償も含めて、互いに請求権を放棄しています。
    それで抑留者たちは、人道的犯罪行為であるシベリア抑留について、ソ連に賠償請求できなくなってしまいました。
    こういう風に政府が国民の権利を勝手に放棄してしまった場合、権利放棄した政府が、加害者である相手国政府に代わって補償に応じなければなりません。

    そこで元日本兵たちは、日本政府に対し、シベリア抑留の補償を求めました。
    すると、政府はこれを断りました。
    政府はいいました。
    国は国民個人の賠償請求権を放棄したからお手伝いできないが、国民個人がソ連に直接請求する権利まで放棄したのではない、そもそも個人の権利は、政府が放 棄できる筋合いのものではない、だからあなた方、勝手にソ連に請求してくれていいですよ、と。

    ■1991年3月26日、参議院内閣委員会

    「日ソ共同宣言第六項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということ でございます。したがいまして、御指摘のように我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えておりま す。」

    こういう責任逃れの答弁をしてしまったし、原爆裁判でもそういう主張を繰り返し、それを裁判所が認めたので、立場を変えて韓国民はどうかと問われると、こ れまでの答弁との均衡上、日韓協定も外交保護権の放棄に過ぎない、国民の請求権は消えていないと答えざるを得なくなったのです。
    (資料3)判決文の抜粋を末尾に記載

    3.政府の答弁のまとめ

    1)日韓協定は外交保護権を放棄しただけである。
    2)韓国民の請求権を日本の法律で消滅させたものではない。
    3)「請求権」について韓国人が日本の裁判所に訴訟を提起することができる。
    4)右の場合に請求が認められるか否かは裁判所が判断することである。

    私としては、裁判所の判断を待たずに政府が自分で決断すれはよかろうと思うんですが。問題は時効の壁です。
    しかしそれを突破する道がないではない。
    外国人に対する戦時債務についての、政令第25号第7条に「消滅時効の特例」を定めており、時効は「政令をもつて定める日まで完成しない」としています。
    これは供託財産についての特例ですが、国賠請求にも援用する必要があるのではないかと思います。
    (資料 昭和二十五年二月二十八日政令第二十二号)
    http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25SE022.html

    要するに、政府にやる気があるかないかというところに帰着します。

    ■資料1
    1991年8月27日 参議院予算委員会  
    「政府委員(柳井俊二君) …先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。 その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これ は日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意 味で消滅させたというものではございません。
    日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。」

    ■資料2 1992年2月26日衆議院外務委員会 

    柳井政府委員 
    「…それで、しからばその個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄した ということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていな い。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます。
    …その国内法によって消滅させていない請求権はしからば何かということになりますが、これはその個人が請求を提起する権利と言ってもいいと思いますが、日 本の国内裁判所に韓国の関係者の方々が訴えて出るというようなことまでは妨げていないということでございます。…ただ、これを裁判の結果どういうふうに判 断するかということは、これは司法府の方の御判断によるということでございます。」

    ■資料3 昭和41年12月7日東京地裁原爆訴訟判決(判例時報355号)
    「対日平和条約第19条にいう『日本国民の権利』は、国民自身の請求権を基礎とする日本国の賠償請求権、すなわちいわゆる外交的保護権のみを指すものと解すべきである。
    …請求権の消滅条項およびこれに対する補償条項は、対日平和条約には規定されていないから、このような個人の請求権まで放棄したものとはいえない。
    仮にこれを含む趣旨であると解されるとしても、それは放棄できないものを放棄したと記載しているにとどまり、国民の請求権はこれによって消滅しない。」

    2014年8月12日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】14
    「なぜ何度も謝罪しなければならないのか?いい加減にしろ」という意見について

    謝罪

     安倍さんは、2007年の第一次安倍内閣のとき、米下院に「慰安婦に日本政府が謝罪するように求める決議案」が提出されたのを受けて、つぎのように反応しました。

    ◆2007年3月1日 記者会見で...
    「強制性を裏付けるものはなかった」

    ◆2007年3月5日  記者会見で
    「(米下院)決議案は客観的事実に基づいていない」
    「謝罪することはない」

    ◆2007年3月14日 安倍内閣閣議決定
    「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」
    http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm

    ところが、米国内の批判に追い込まれ、ブッシュ大統領との首脳会談では、まるで借りてきた猫みたいになってこう語りました。

    ◆2007年4月21日
    「辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情し、申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」

    ブッシュ大統領は記者会見でこう述べました。
    「首相の謝罪(apology)を受け入れる(accept)。大変思いやりのある率直な声明だ」

    元慰安婦には鼻息荒く、謝罪しないのに、ブッシュ大統領に向けて謝罪するとはなんということかと思いますが、話はまだ続きます。
    帰国後、アメリカ大統領に対する謝罪はなかったと全面否定に転じたのです。

    ◆2011年11月 産経新聞インタビュー (ブッシュ大統領への謝罪を否認)
    「慰安婦問題は全く出なかった。そもそも日本が(当事国でない)米国に謝罪する筋合いの話ではない」

    ◆2013年3月8日 衆院予算委員会答弁(ブッシュ大統領へ謝罪を否認)
    「この問題はまったく出ていない。 事実関係が違うということだけは、はっきりと申し上げておきたい」
    (この答弁を検索する方法を末尾に示します) 

    そしてこの間、主張はまたも、元にぶり返しています。

    ◆2012年12月30日 産経新聞インタビュー (日本軍の関与を認めた河野談話について)
    「そのまま継承することはしない」
    「専門家の意見などを聞き、 官房長官レベルで検討したい」

    ところがところが、舌の根も乾かないうちに、この後、またも態度を豹変させます。
    国の内と外を使い分ける二枚舌が当然にも国際問題化しかけるや、一転してブッシュ大統領に対する謝罪があったことを認めたのです。 

    ◆2013年5月17日 閣議決定(ブッシュ大統領に対する謝罪を認める)
    平成十九年四月二十七日(現地時間)にブッシュ大統領と行った記者会見において、安倍晋三内閣総理大臣(当時)が、慰安婦についての考え方として、「辛酸 をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気 持ちでいっぱいである、二十世紀は人権侵害の多かった世紀であり、二十一世紀が人権侵害のない素晴らしい世紀になるよう、日本としても貢献したいと考えて いる、と述べた。また、このような話を本日、ブッシュ大統領にも話した」旨の発言を行ったこと、また、このような安倍晋三内閣総理大臣(当時)の考え方に ついて、ブッシュ大統領が評価を述べた事実関係を説明したものである。

    ◆2013年5月24日 官房長官発表 (河野談話を継承しないという主張を取り下げました)
    「河野談話を継承する」

    国会答弁でさえいけしゃーしゃーと嘘を述べて恥じない、こういった卑怯極まりない振る舞いが、一連の「謝罪」を引き起こしているのだということを、まず確認しておきましょう。
    そのうえで、それぞれの謝罪なるものを具体的に検証します。
    1970年代からの日本政府による、いわゆる謝罪発言の一覧がウィキペディアにまとめられています。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の戦争謝罪発言一覧

    これらがどういった内容なのか、確かめてみましょう。

    2000年8月17日
    - 山崎隆一郎外務報道官。

    これは謝罪ではなく、「謝罪しているじゃないか」という反論です。

    2000年8月30日
    - 河野洋平外務大臣。
    2001年4月3日
    - 福田康夫内閣官房長官。
    2002年9月17日
    - 小泉純一郎首相。
    2005年4月22日
    - 小泉純一郎首相。

    これらは謝罪ではなく、「すでに謝罪している」という説明です。

    2001年9月8日
    - 田中眞紀子外務大臣。

    これは直接的には中韓に対するものではなく、連合国全体に対するメッセージです。

    2001年
    - 小泉純一郎首相。

    これは私が正しいことをしたと評価している「アジア女性基金」の謝罪文です。
    首相が代わるたびに、首相名だけを入れ替えて使われていました。
    でも小泉さんの時に終結してしまいました。

    2003年8月15
    - 小泉純一郎首相。
    2005年8月15日
    - 小泉純一郎首相。
    2001年10月15日
    - 小泉純一郎首相。

    これは謝罪の意を表明するという終戦記念日のメッセージと、直接的謝罪です。
    この発言の裏には、日本国内で閣僚から小泉さんの言葉を踏みにじるような発言が続いたので、小泉さんはその度に何度も同じ事をくりかえすことで、自分の発言がウソではないと念押ししなければならなかったのです。

    結局のところ、自発的な謝罪といえるものはほとんどありません。
    失言の後始末とか、木で鼻をくくったような説明とか。
    しかし公的にこう言わざるを得ないのは、謝罪せざるを得ない事実があるからです。 それを認めないという閣僚の発言がいつまでもなくならないから、何度でも蒸し返されるのです。

    しつこくなりますが、ここで例え話を一つします。

    消費期限の付け替えをして食中毒を出し、社長が謝罪に追い込まれた会社があるとします。
    重役があとから、「期限の付け替えなんかはどこの会社もやっとる」「食中毒なんか、家で食べてもかかる」「批判する奴は補償金でも欲しいんだろう」なんて言ったら、その会社の信用はがた落ちです。
    社長はまたもや謝罪するはめになるでしょう。
    非難を浴びて、会社が倒産するかもしれません。
    こんなことを何度も何度も繰り返しているのが、情けないことに我が日本なのです。

    さきほどの会社で言えば、重役だって会社を愛しているから、そんなことを言うのか知れないけど、ひいきの引き倒しもいいとこです。
    本当に会社のためを思う社員なら、重役を諌め、消費者のために誠を尽くすように求めるのが筋というものです。
    その努めを、私はいま果たしているつもりでおります。

    【解説】
     安倍答弁の検索の仕方。
    「この問題はまったく出ていない。 事実関係が違うということだけは、はっきりと申し上げておきたい」
    (この答弁を検索する方法を示します)
    ■ 国会議事録検索システムをクリック
    http://kokkai.ndl.go.jp/
    ⇒ 「簡単検索」をクリック
    ⇒ 検索語入力「事実関係が違うということだけは、はっきりと申し上げておきたい」(他の情報も入力すると検索が速い。平成25年03月08日、衆議院) 
    ⇒「検索結果一覧」をクリック(1件しかない) 
    ⇒ 「予算委員会」をクリック。

     すると、答弁番号34の上記答弁が表示されるはずです。
    画面左の「会議録情報」で答弁の前後もわかります。

    2014年8月12日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】15 慰安所は戦地強姦を防ぐことが出来たのか

     慰安婦の真実シリーズは、あと一回、まとめを書いて、一応の終了とします。

    慰安婦制度を擁護する中に、慰安所を作ったのは強姦被害を減らすためだったという意見があります。
    その動機はたしかにありました。...
    しかし強姦を減らすために慰安婦制度を作るって、犯罪を防ぐために別の犯罪を犯すってことですよね。 そんな理屈が成り立つものでしょうか。
    「俺はムシャクシャしていて、このままでは街頭で無差別にぶん殴りそうだから、代わりにお前を殴って鬱憤を晴らす。痛いけど人様のためだ、黙って殴らせろ」こう言われて、誰がおいそれと殴られるでしょう。

    強姦防止に効果があろうがなかろうが、してはいけないことはしてはいけない。
    そのうえ、効果さえもなかったというのが、本日の記事です。

    戦地強姦に限らず強姦(および性的犯罪)の多くは性欲からではなく支配欲から行われるということは、今や通説です。
    戦時において強姦が多発しやすいのも、相手を屈服させる、支配するという要請が強く働くなかで、性を通じて相手を支配しようとするからです。
    イラクのアブグレイブ刑務所では女性兵士が男性捕虜に対して性的虐待を行っていましたが、彼女たちが性欲から性的虐待に及んだとは考え難い。
    サディスティックな支配欲の発露によると考える方がすんなりと納得できるのではないでしょうか?

    こういうことなら、いくら慰安所をつくっても強姦は減らないと見た方がよい。
    事実、日本軍の資料を見れば、強姦は減っていません。

    1.『支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策』

     最初の慰安所が作られてから3年を経た昭和15年11月、『支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策』(写真)が作られました。(金福童さんが14歳で慰安婦にされた翌年です)
    原文に適宜句読点を加え、カタカナを平仮名に直し、読み仮名を添えて転記します。

    「事変勃発以来の実情に徴(ちょう)するに、赫々(かくかく)たる武勲の反面に、掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とする所なり」
    JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110762000

    このように、慰安所をつくっても強姦が多発しています。
    同じ年月に作られた『事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)』にも、同じ悩みが漏らされています。

    「抗命、辱職、逃亡、殺人、傷害、強姦等依然減少せず」
    (アジア歴史資料センター Ref.C11110759600)

    『軍紀振作対策』には、開戦後、約1年半で略奪+強姦致死傷で罰せられた兵が420人。
    強姦致死傷だけで罰せられた兵が312人。
    合計で732人と載っています。
    見つかったのは犯行のほんの一部、目に余るものだけだろうし、脅して口止めした例もたくさんあると聞きますので、実数がどの程度なのか皆目見当が付きません。
    しかも対象となっているのは「強姦」ではなくて「強姦致死傷」ですから、強姦はまだ軽い罪とみなされてか、取締対象にすらなっていません。
    対策として『軍紀振作対策』はもっと慰安所をつくるべきだという提言をしており、慰安所作りに拍車がかかることになりました。

    2.『陸支密大日記 第9号』

    大量の慰安所をつくった結果、強姦事件は減ったのでしょうか。
    統計資料があったはずなのですが、焼却されたのか、現存していません。
    しかし、様子を知る手がかりがないではありません。
    昭和17年 「陸支密大日記 第9号」です。

    開戦以来5年目です。
    対策が功を奏しないことに業を煮やした軍隊司法当局は、陸軍刑法に「強姦罪」を新設し、非親告罪にしました。
    軍隊司法は、それなりに強姦多発に頭を痛めていたのです。
    その理由は、強姦が許しがたい犯罪だからではありません。
    討伐に出れば索敵もそっちのけに強姦に夢中になって戦闘がおろそかになること、日本軍への民衆の恨みばかりが増して、占領がうまくいかないからでした。

    強姦対策強姦対策2

    「戦地における強姦は軍紀を破壊し、軍の爾他の宣撫工作を一切無効ならしむ。又被害者において御難を恐れ告訴を躊躇する場合極めて多きをもって、非親告罪として処分するの要あり」(写真)
    JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04123725700

    3.『陸軍軍事警察月報』
    JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A06030009400

    つぎは昭和20年の資料です。
    慰安所を作り、刑法を厳しくして、それでどうなったでしょうか。
    『陸軍軍事警察月報』は冒頭で「多発犯罪左の如く」と上げる中に、逃亡、掠奪、窃盗と並んで、やはり戦地強姦が並んでいます。
    巻末にグラフがついていて、昭和20年の犯罪が群を抜いて多いことが分かります。
    昭和20年は慰安婦の数が最も多かった年のはずですが、そういう状態でした。

    日本軍は戦争中の強姦多発に悩まされ、沢山の慰安所を作りました。
    しかし作っても作っても強姦が減らないので、ずっと「慰安所が足りない」、「慰安所をつくれ」、「慰安婦を呼べ」と言い続けていました。
    しかしどれほど無理をして女性を連れてきても、強姦防止に関して、結局のところ効果的がなかったのです。

    効果があっても許せないのに、効果がないことに血道を上げていたのですから、もはやこれはどうしようもない愚策であり、あまたの女性に筆舌に尽くせない苦しみを与えた人道的犯罪でした。国内法に違反する奴隷契約でした。
    こんなものを擁護し、公文書で明らかな事実さえも否認する自民党と安倍内閣は、恥ずべき存在です。一日も早く打倒し、新しい政府に、元慰安婦に対してこれ までの過ちをきちんと謝罪させ、確固たる名誉回復をさせること、それなしに地に墜ちた日本の名誉を回復する手立てはないと思います。

    2014年8月12日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】16 最終回

     できるだけ分かりやすく書くつもりだったのに、だんだん込み入った話になってしまいました。反省です。長くて論証ばかりの文章におつきあい下さって有難うございました。
    これでネトウヨやクソ評論家の定番ネタに、あらかた反証できたかなと思います。
    もしも慰安婦問題でウヨがチャチャを入れてきても、この程度の資料を並べれば、大抵の奴は引き下がるはずです。
    ...
    まあそれにしても、ウヨたちは、丸っきりのデマを信じ込んでヘイトをカマしてくるわけです。
    で、ですね、読んで貰ったような、わりと細々した裏付けを背景にして、私は奴らに街頭でこう怒鳴り上げるのです。

    アホ!ボケ!クソ!カス!死ね!

    こういった罵倒を良しとしない向きがあることは重々承知しておりますが、この程度の罵倒を浴びても仕方がないことを連中はしてきました。(と私は判断します)
    ただ単にバカ同士が言葉のうんこを投げ合っているように見えるかも知れません。
    けれども、私が「ボケ!カス!」と罵るのには、それなりの下地というか、裏付けというか、根拠があるのであって、他に言うことを知らないアホがただ罵って いるわけではないことだけは、ご理解願いたいなと。まあ、あんまり言い訳にもなりませんが。

    なぜそうするか、ですけれどね。
    奴らの中の確信犯的イデオローグたちは、奴らの政治目的のために、意図的に歴史をねじ曲げますよね。
    そいつらはプロウヨです。職業的デマゴーグです。
    わかっててやっているのだから、いくら批判され、論破されても改めません。
    街頭で日の丸おっ立ててわめいている奴らの中にも、確信犯的差別者がいます。
    そいつら行動派も、いくら批判されても行動を改めません。
    この連中は死ぬまでデマゴーグだろうし、差別者です。焼かないと治りません。
    まともに相手にしたって不毛でしかない。
    こいつらは、何を言われてもされても、屁の河童なんです。
    屁の河童に勝つには、陸に上がった河童にするしかありません。
    奴らから支持者を引き剥がして干上がらせるのです。

    理論闘争は、奴らの周りの付和雷同分子の確信を揺るがせるためです。
    街頭で中指立ててコラ!ボケ!とわめくのは、ビビリの付和雷同分子を物理的に蹴散らすためです。
    やり方は全然違いますが、二つの方法はちゃんと共通しているのです。
    単に騒いでいるだけではない。ここが馬鹿ウヨとカウンターの質の違いというもんです。

    闘い

     この国の頭目たちは、まともに理性的なやり方では集団的自衛権や改憲を推進できないと見切っています。
    それは日本に根付いた民主思想、ピースマインドが強固だからです。
    ここを切り崩すために、差別心をあおり、劣情を刺激して、情緒的なところから突破しようとしている。
    つまりこれは日本の進路を左右するたたかいです。
    負けるわけにはいきません。
    そういうことで、平和運動、民主運動と反ヘイト運動を結合して、戦う必要があろうと私は考えております。

    これで慰安婦のことはいったん閉じますが、たたかいは続きます。
    シリーズで書いたことは、どのように使っていただいても構いません。
    使えるなら学習会の資料や、ウヨども相手の論争に役立てていただければ幸いです。
    有難うございました。

    2014年8月13日 泥 憲和



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  • 157. 「従軍慰安婦問題」決着ーー泥さんが、右派のウソを元から断つ.


  • 「わかりますか?わずかながら書き換えしていますが、それについて断りもない」
    「だから、切り張り捏造って言われるのですよ?」

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  • 157. 「従軍慰安婦問題」決着ーー泥さんが、右派のウソを元から断つ.

     泥憲和さんの従軍慰安婦についての一連の論考(Facebook)は極めて優れたもので、巷にあふれる右派の嘘・歪曲を元から絶つものです。
     そこで、泥さんの了承を得て、以下にその一連の論考をまとめて掲載することにしました。
     じっくりお読みください。

     なお、環境依存文字(○内に数字)は化けるので1)等に変更してあります。また、レイアウト、色付け等は、当方(古林)にて適宜調整しました。

     印刷用にPDFファイルを用意しました。
    ご利用ください。 =>クリックでダウンロード

      【従軍慰安婦の真実】 目次
      1. 慰安婦は性奴隷だったのか 1)
      2. 慰安婦は性奴隷だった     2)
      3. 慰安婦業者と官憲の行為は、どのような国内法に違反したのか
      4. 元慰安婦の証言に信ぴょう性はあるのか
      5. 従軍慰安婦という名称は間違っているという批判について
      6. 敗戦後の日本人慰安婦たち
      7. 慰安婦の働き方と報酬額 1) 慰安婦業者の契約書を確かめる
      8. 慰安婦の働き方と報酬額 2) 日本軍の契約書マニュアルを確かめる
      9. 慰安婦の働き方と報酬額 3) 秦郁彦説を批判する。
     10. 慰安婦の働き方と報酬額 4) 文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳
     11. 慰安婦の働き方と報酬額 5) 文玉珠(ムン オクス)さんの送金など
     12. 日本は韓国に賠償金を支払ったからそれでいいのか? 1)
     13. 日本は韓国に賠償金を支払ったからそれでいいのか? 2)
     14. 「なぜ何度も謝罪しなければならないのか?いい加減にしろ」という意見について
     15. 慰安所は戦地強姦を防ぐことが出来たのか
     16. 最終回



    【従軍慰安婦の真実】1.
    1 慰安婦は性奴隷だったのか 1)

     まるでネトウヨみたいなタイトルです(笑)
     いま もネットに飛び交うデマにだまされている人が、たくさんいます。
     カウ ンター仲間の中にすらいるそうです。
     そのことをFB友の渡辺先生から教えてもらいました。
      幸い、たくさんのカウンター仲間が私のページを読んでくれています。
      そこで、おさらいといった感じで、なるべくわかりやすく、日本軍慰安婦のことを書いていきたいと思いました。
      ご自身の勉強を確かめるため、またネトウヨとたたかうため、活用して頂ければ幸いです。
      何回にわたるのか、まだ未定です。
      質問があれば、なるべく丁寧にお答えしようと思っています。
      第一回は、ネトウヨが発狂するようなテーマです。
       「慰安婦は性奴隷だった」という話です。

    1 慰安婦は性奴隷だったのか

     「性奴隷」とはなんでしょうか。 
      奴隷状態で性労働を強制された女性が、性奴隷です。 

     では奴隷とは何でしょうか。 
     人身を拘束され、自由を奪われた労働者のことです。 
     人身を拘束されるというのは、居住の自由を奪われて、雇い主の指定する住居に住まわされ、移動の自由のない状態をいいます。
     自由を奪われるとは、転職や退職・廃業の自由を奪われて、いやでもそこで働かされることです。

     さて、慰安婦は奴隷ではないという意見があります。 
     なぜならば、とその人たちは言います。

      慰安 婦は自ら志願している。 
      慰安婦は高い給料を得ていた。 
      慰安婦は借金さえ返せば帰国できた。 
      慰安婦は接客を拒む権利さえあった。 

     この言い分を、仮に事実だとしましょうか。
     それなら、慰安婦の労働条件は奴隷でなかったと言えるのか、 
     このことについて、江戸時代の花魁(おいらん)と対比して考えましょう。 

     江戸時代、吉原などで、売春営業が公認されていました。 
     吉原の女郎には、それなりの給与が出ており、接客を拒む権利が認められおり、借金を返せば廃業を認められていました。 
     この待遇は慰安婦と同じです。 
     彼女たちは奴隷だったのでしょうか。そうではなかったのでしょうか。
      
      明治5年、できたばかりの維新政府は、吉原の花魁のことを、 
      「牛馬に異ならず」と評しました。 
      明治5年『芸娼妓解放令』に合わせて出された「司法省達」です。
      原文を末尾に資料として転載しておきます。
      現代語になおせば、つぎのように書かれていました。

      「娼妓・芸妓は人身の権利をなくした者であって、牛馬と同じことである。」

      当時は奴隷という用語がまだない時代ですが、 
      「牛馬に異ならず」という表現が、奴隷状態であるという認識を示しています。 
     どうして「牛馬に異ならず」なのか。 

     どんなに貧しくても、身体だけは本人のものです。 
      借金でその身体の自由さえ失った状態は、人としての最後の自由を失った状態であり、牛馬と変わらない存在だということです。 
      人と しての最後の自由を失った状態、すなわち、奴隷です。 

      吉原の花魁が借金で縛られた身分で「牛馬と異ならず」なら、
     同じように借金でしばられ、待遇も花魁と似ていた慰安婦だって「牛馬と異ならず」だったといえます。
     普通の年季奉公は、前借金でしばったりしないので、ただの有期雇用契約です。
     この点を混同してはなりません。

     こういうことで、慰安婦を性奴隷とみなすのは不当ではありません。 

      明治5年でさえ、この程度の人権感覚はあったのです。 
      21世紀に生きる安倍さんたち政治家が、慰安婦が奴隷状態であったことを否認するなんて、なんともはや、ため息をつくばかりです。

     ところで、明治のはじめにはこんなにまっとうな認識だった日本政府ですが、その後に後退してしまいます。
      「娼妓契約は人身売買ではない、だから娼婦は奴隷ではない」、こう言い始めたのです。
     それがなぜであるかということと、その後退した考えからみても慰安婦は性奴隷だったということを、次回に書きます。

     【資 料】

     明治 5年10月9日司法省達第22号 第2項 

     娼妓芸妓ハ人身ノ権利ヲ失フ者ニテ 牛馬ニ異ナラス 
    人ヨリ牛馬ニ物ノ返弁ヲ求ムルノ理ナシ 
    故ニ従来同上ノ娼妓芸妓へ借ス所ノ金銀並ニ売掛滞金等ハ一切債ルヘカラサル事 
    https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q&esrc=s&source=web&cd=10&cad=rja&uact=8&ved=0CF8QFjAJ&url=http%3A%2F%2Fja.wikisource.org%2Fwiki%2F%25E5%25A8%25BC%25E5%25A6%2593%25E8%2597%259D%25E5%25A6%2593%25E3%2583%258B%25E4%25BF%2582%25E3%2583%25AB%25E8%25B2%25B8%25E5%2580%259F%25E5%2585%25B6%25E4%25BB%2596%25E4%25BA%25BA%25E8%25BA%25AB%25E8%25B3%25A3%25E8%25B2%25B7%25E3%2583%258B%25E9%25A1%259E%25E3%2582%25B9%25E3%2583%25AB%25E6%2589%2580%25E6%25A5%25AD%25E3%2583%258E%25E8%2599%2595%25E5%2588%2586&ei=LW3WU_O8Otjc8AXQiYLgDg&usg=AFQjCNGm3yx-_wHmJbhvYnvBfrbUtdjfLg&sig2=4kVsZ83wQrvDd8Zbdl1NMw

    写真は近代デジタルライブラリーより
    残念ながらここに司法省達22号は収録されていません 

    慰安婦

    2014年7月29日  泥 憲和 

     

    【従軍慰安婦の真実】2
    慰安婦は性奴隷だった その2

    1.合法的な売春契約と違法な売春契約のちがいを知ろう

     今回 は、大日本帝国の国内法の観点から見ても、慰安婦は性奴隷であったという話です。

     明治政府は娼妓契約を「牛馬と異ならず」として奴隷契約だったと認定したというのが、前回のお話でした。
      その理由は、娼妓契約が「人身売買」であり、人身の自由を奪う契約だったからです。

     明治5年 太政官布告第295号
     「人身を売買することは古来から禁じられているのに、年季奉公など色々の名目を使って、実際には人身売買同様のことをしているので、娼妓を雇 い入れる資本金(親に貸 し付ける契約金のこと)は盗難金とみなす。貸した金を返せという訴えは認めない。」


      中には「娘は買ったのではなく養女にしたのだ、我が子に何をさせようと親の勝手だ」という理屈で売春をさせていた者もいたようです。
      太政官布告は続けます。

     「子女を金銭で取引して名目的に養女にし、娼妓・芸妓の仕事をさせるのは、実際上はすなわち人身売買である」

      こうした措置で、明治政府は売春業は禁じなかったけれど、人身売買契約にもとづく売春業を禁じたのでした。
      この太政官布告が廃止されたのは明治33年です。
      この年、『娼妓取締規則(しょうぎ とりしまりきそく)』(内務省令第44号)が出されたので、布告は役割を終えたのです。

       『娼妓取締規則』は売春を一般的に禁じました。
      ただし、法令に従うことを条件に、例外的に売春を認めたのです。
      この規則を理由に、帝国政府は「娼妓契約は奴隷契約ではない」と言い続けました。
      それというのは、規則に「何人たりとも廃業を妨害してはならない」と決めていたからです。

      娼妓取締規則は、娼婦に「契約破棄の権利」と「廃業の自由」を認めました。
      警察に届けさえ出せば、いつでも辞めることができたのです。
      奴隷契約は、人身を買われた奴隷側から契約を破棄することができません。
      これと異なる娼婦契約は、人身を身分的に拘束する人身売買ではなく、したがって奴隷ではないという理屈です。
      娼婦が辞めるのは「届出制」。ここ、大事なのでおぼえていてください。

      しかし前借金がある場合、娼婦を辞めても借金契約は残るという仕組みだったので、借金を返すために娼婦を辞められない現実もありました。
      人身売買の形は回避したけれど、こんどはいわゆる「債務奴隷」の立場に置かれたのです。
      
      それにしても、辞める自由が法的に保障されてはいたのです。
      借金を連帯保証人(たいて いは親)に押し付ける気になれば、辞めることは出来ました。
      自己破産してしまえば、自分だけは助かります。
      親方が「借金を返さない限り辞めさせない」と引き止めるのは違法です。
      そういう大審院(いまの最高裁)の 判決がたくさんあります。

    2. 慰安婦制度は合法的な売春制度だったのか

     親が娘を担保に前借金をして娼婦に出すことを、「身売り」と言いました。
      貧しい農村では身売りが多くありました。
      身売りという言葉が示すとおり、実質上は人身売買ですが、法律的には娘には廃業の自由があるため「担保」の意味がないと見なされ、人身売買に当たらないということになっていたのです。

      こうしたことから、慰安婦否定側はいいます。
      特別に慰安婦だけが悲惨だったのでもなく、奴隷だったのでもないと。

        日本軍慰安婦は「身売り」契約による売春だ。
        悲惨であったにせよ当時としてはありふれた話だ。
        また当時、それは合法だった。

      本当でしょうか。
      ここでは、「身売り契約は奴隷ではない」という言い分を、いったん認めましょう。
      そのうえで、慰安婦契約がどんなものだったのかを確かめます。

      日本軍の慰安婦関係契約資料は散逸してほとんど残っていないのですが、運良く「馬来軍監区」の契約原本が残っていました。(写真)
    馬来とはマレーのことです。
      マ レーを占領していた南方軍は、慰安婦の管轄権限を師団ではなく南方軍司令部に一括していたので、東南アジア方面では馬来軍監区と同じ契約 だったと推測できます。

      その資料に、書かれています。

       「営業者および従業員は、軍政監の許可を受けるにあらざれば、転業転籍をなすことを得ず」

       「営業者および稼業婦にして廃業せんとするときは、地方長官に願い出てその許可を受けるべし」

      慰安婦が辞めるのは「許可制」だったのです。
      官の許可がなければ辞められませんでした。
      自由に辞められなかったのです。

      先に娼婦の退職・廃業は「届出制」であるといいました。
      届けさえすれば自由に廃業できるから人身を身分的に拘束する人身売買ではなく、奴隷契約ではないというのが、帝国政府の建前でしたね。
      慰安婦はこれと異なります。
      廃業が許可制で、自由に辞められませんでした。
      それなら、人身を身分的に拘束する契約ということになり、これは人身売買であると言えます。
      つまり慰安婦契約は、帝国政府が禁じていた奴隷契約なのです。
      しかも許可を与えるのは官庁です。
      人身拘束制度=奴隷制度に官権が直接関わっているのです。

      日本政府が「慰安婦は性奴隷ではない」と抗弁できる余地はまったくないと思います。

    慰安婦

    2014年7月30日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】3
    慰安婦業者と官憲の行為は、どのような国内法に違反したのか

     前回の「2」で、南方軍が、帝国政府が禁じていた奴隷契約を慰安婦に強制していたことを示しました。
     軍をはじめとする国家機関と慰安婦業者は、ほかにも様々な法律に違反しているので、今回はそこを確かめましょう。
     売春が合法でも、慰安婦が合法だったとは言えないことが如実にわかるでしょう。 

    ■「娼妓取締規則」違反 

      占領地でこそ軍が軍政を敷くので警察権を持ちますが、慰安婦を募集したのは占領地ではなく、朝鮮半島と内地がほとんどです。
      そこでは「娼妓取締規則」を守らなくてはなりません。
      慰安婦は国外で働くことを前提にしていますが、「娼妓取締規則」はそのような事態を想定していませんでした。
      第七条に、「娼妓は庁府県令を以て指定したる地域外に住居することを得ず」とあります。
      しかし慰安婦をどこに送るのか、それは軍事機密なので、官庁は慰安所の所在地を指定することができません。
      慰安婦という制度が、その性格上、そもそもが違法なのです。

       「娼妓取締規則」は、つぎのように定めていますが、慰安婦についてはなおざりにされているし、業者を使役していた軍も守らせていた形跡が見えません。 

    1. 娼婦になろうとする者は、そのやむを得ない事情を書いて、両親と保証人2名の連署を添えて警察区長に届 け出なければならない。 
    2. その手続は、本人が警察に出頭して行わなければならない。 
    3. 警察は娼婦になろうとする者を尋問し、本人の意思を確認しなければならない。 
    4. 娼婦になろうとする者は、警察区長の確認書を添えて警視庁に願い出なければならない。 
    5. 満18歳未満の者は娼婦になってはならない。 

     これらはほとんど守られていませんでした。
     このように、「娼妓取締規則」に違反しているのですから、慰安婦の契約は法律違反であって、業者は本来ならば営業停止です。 

    ■民法第90条(公序良俗)違反 
     〈公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする〉

      違法契約であることを隠し、相手の法的無知に乗じて契約させても、明治民法第90条により、公序良俗に反する契約として無効になります。 
      無効というのは、はじめからなかったことになるということです。 

    ■刑法第226条(所在国外移送目的略取及び誘拐)違反
     〈所在国外に移送する目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、二年以上の有期懲役に処する〉

      無効な契約なのに、あたかも有効であるかのようにだまして連れて行くのは、誘拐に当たります。 
      誘拐の定義は、判例等によって「欺罔(ぎもう あざむき、だますこと)・誘惑を手段として、人を生活環境から不法に離脱させ、自己又は第三者の実力支配下に置くこと」とされて います。

      慰安婦は、誘拐して海外に連れ出すことを禁じた刑法第226条の条文にピッタリと当てはまります。
      そういうことをした業者も、渡航を公認した内務省と身分証を発給した外務省、輸送に便宜を計らった軍も、共犯として同罪です。

      ところで話が少し横道にそれますが、北朝鮮による拉致被害者である有本恵子さんら4人は、北朝鮮でいい仕事があるとだまされ、自分の意志で 北朝鮮に入国しました。
      自分の意思であっても、だまして連れて行けば、誘拐に当たります。
      政府は誘拐された有本さんたちを拉致被害者として認定しているのだから、誘拐は拉致にあたるということになります。
      拉と強制連行は同じ意味です。 
      すると慰安婦も合法的なよい仕事があるとだまされて連れて行かれたのだから、誘拐に当たるのだし、日本政府の定義に沿っていえば拉致された のであり、強制連行されたことになります。

    ■刑法第227条違反
       〈3  営利、わいせつ又は生命若しくは身体に対する加害の目的で、略取され、誘拐され、又は売買された者を引き渡し、収受し、輸送し、 又は蔵匿した者は、六月以上七年以下の懲役に処する〉

      慰安婦は営利・わいせつ目的で誘拐されました。
      慰安婦を軍に引き渡したのは慰安所業者、収受し、輸送したのは軍です。 
      両者は刑法第227条違反の共同正犯です。 

      これほど違法に違法を重ねては、もう誰にも弁護のしようがありません。 
      軍をはじめとする国家機関が直接的に関わった国家犯罪と言えます。 

    ■法令がちゃんと適用された例がある

      昭和12年、大審院(最高裁)で、売春目的で女性を海外に連れ出そうとした業者らが有罪になっています。 
      長崎から15人の日本人女性を娼婦として上海へ送った業者らに対し、 
      大審院第4刑事部は 「婦女を誘拐して国外に移送した」「共同正犯」として上告を棄却、有罪が確定しています。

      法令がちゃんと適用されれば、このように有罪になるのです。
      この業者が有罪になったのは、軍と結託していなかったからです。
      軍が求めれば、その威光で誰も逆らえなかった時代でした。
      大日本帝国の時代、日本がそんな国であったことを認めるのは気分の良いものではありません。
      しかしその歴史を反省することで、別な道を歩むことが私たちにはできます。 
      その歴史を肯定してしまえば、同じような未来が待ち受けていることでしょう。

    刑法の論証集(山口刑法にほぼ準拠) 略取・誘拐の罪 224条以下

    2014年7月31日 泥 憲和 

     

    【従軍慰安婦の真実】4
    元慰安婦の証言に信ぴょう性はあるのか

    (今回はめんどくさい上に長いです)

     元慰安婦の証言には腑に落ちない点が多々あります。
    移動中の船内でテレビを見たとか、それはちょっと有り得ません。
    人の記憶は不確かなんですよね。

      でも、韓国側はそういった不自然な証言を改変することなく発表しています。
      おばあさんに「戦時中にテレビはまだなかったんだよ」といったアドバイスをしていないようです。
      間違っていてもそのままに記録するという、オーラルヒストリー採取の基本をわかっている証拠です。

    金福童さん

      金福童さんという元慰安婦がいます。
      彼女の証言が怪しいと言って、右派が総攻撃しています。
      金さんは第15師団に着いてシンガポールに行ったと言うが、嘘だ。なぜなら第15師団はビルマの部隊だから。 
      金さんは14歳のときに慰安婦にさせられて8年間働き、19歳の時に解放されたというが、計算があわない。足し算もできないのか。
      金福童はニセ慰安婦だ・・・等々。
      いまも金さんはどこへ行っても、一見つじつまの合わない証言を繰り返しています。
      矛盾してたって自分の記憶がそうなんだから気にしないという姿勢です。
      体験に裏打ちされた記憶に自信があるのでしょうか。
      今回は、金さんの証言がどこまで当てにならないか、それをこれから検証します。 

    ■同時代の公文書に反する記憶 


     金さん証言
       「陸軍第15師団の本部について、台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール、バンコクと連れ回されました。」
     (2012.9.23「橋下市長! 日本軍『慰安婦』問題の真実はこれです」集会の証言) 
    http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/18155831.html 

    「最初、中国・広東の慰安所に入れられた。」 
    (『朝鮮新報』2013.6.3) 
    http://chosonsinbo.com/jp/2013/05/0527ry03/ 

      金福童さんは、第15師団について各地を回ったと証言している。 
      しかし公文書はこの証言を否定している。 
      南方軍第10陸軍病院の1945年8月31日付の記録に、軍の傭人として金福童さんの名前が載っており、本籍も一致しているので本人に間違いないという。 

     元日本軍慰安婦・金福童さんの実名記録が発見(朝鮮日報記事) 
    http://f17.aaacafe.ne.jp/~kasiwa/korea/readnp/k285.html 

    資料の名を、「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」という。 
      資料名でわかる通り、金福童さんは第16軍の下にいた。 
      場所はインドネシアのジャワ島である。 
      慰安婦をしていたという以外に、こんな所にいる理由がない。 
      たしかに彼女は慰安婦だったのだ。 
      このことは間違いない事実である。 
       
      しかし、金福童さんが証言する第15師団は、ビルマで戦った。 
      第16軍はジャワ島にいた部隊である。 
      二つの接点はまったくない。 
      金福童さんはシンガポールやインドネシアに行ったと証言しているが、第15師団はそういった場所に行っていない。 
      金さんが第15師団と行動を共にしたとすると、解けない矛盾だらけになる。 

      本人の記憶は大切にしなければならないが、記憶と同時代の公文書との間に矛盾があれば、公文書が正しいと考えるほかないだろう。 
      第15師団について行ったという本人の記憶は、間違っていると考えた方がよい。 
      しかし以下に示すとおり、「第15師団」という条件さえはずせば、金福童さんの証言は極めてリアルなのだ。 
      そのことを、これから確かめたい。 
      まずは、広東からである。 

    ■広東時代 
     証言 1「最初、中国・広東の慰安所に入れられた。」 
    (『朝鮮新報』2013.6.3) 
    http://chosonsinbo.com/jp/2013/05/0527ry03/  

      広東省は香港やマカオの北隣、深セン経済特区で有名な地域である。 
      連れて行かれたのは、「14歳のとき」だという。 
     (2012.9.23「橋下市長! 日本軍『慰安婦』問題の真実はこれです」集会の証言) 

      先に見たとおり、1945年8月に19歳だったのだから、金さんは1926年生まれである。 
      金さんは戦前の人だから、満年齢ではなく数え年を使う。 
      連れて行かれた数え年14歳 は、1939(昭和14)年である。 
      この年に広東で何があったのだろう。 

      前年の1938(昭和13)年9月、広東作戦が発令された。 
      10月に作戦が開始された。 
      11月には広東の要衝がすべて占 領された。 
      この時から広東に日本軍が駐留した。
      第5師団、第18師団、第104師団の三個師団。大部隊で ある。 

      翌1939年には、少なくとも都市 部の治安は安定した。 
      それに伴って大量の慰安婦の需要が発生した。 
      金福童さんが連れて行かれたのは、まさにその時期に当たっているのだ。 
      日本軍の作戦行動と証言に矛盾がない。 

      なぜ金さんはこんなに幼いのに連れて行かれたのか。 
      その理由を示す資料がある。
      当 時の日本軍は性病に悩まされており、朝鮮の「年若き女」を求めていたようなのだ。
      別の地域の資料だが、同じ年、昭和13年4月10日付「第14師団衛生隊」文書に、こんな記述がある。

       「支那妓女の検黴(けんばい)の成績を見るにほとんど有毒なるにより支那妓婁に出入りせざること。」 

      現地のプロの娼婦は性病にかかっていて、慰安婦として使えないというのである。 
      また同時期の「第11軍第14兵站病院」文書は、内地から 来た慰安婦を「あばずれ女」と評価し、花柳病(性病)が多いと書き、病気を持たない朝鮮の「年若き女」を奨励している。 
      こういった軍の要請にもとづいて、金さんのような朝鮮の少女に白羽の矢が立ったのだと思われる。 

    ■広東からマレーシア、シンガポールへ 

    証言2 「陸軍第15師団の本部 について、台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール、バンコクと連れ回されました。」 
     (2012.9.23「橋下市長! 日本軍『慰安婦』問題の真実はこれです」集会の証言) 
    http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/18155831.html 

    証言 2では、最初に行った広東が、台湾のつぎに上げられている。 
      このことから、証言2にあげられた地名は、思い出すままに並べただけで、移動の順序に並んでいるのではないことがわかる。 
      広東を占領した部隊がどのように移動したのかを確かめるにあたり、便宜的に、金さんが上げた地名に丸数字を振る。 

      1)台湾、2)広東、3)香港、4)マレーシア、5)スマトラ、6)インドネシア、7)ジャワ、8)シンガポール、9)バンコク 

    注意 すべきなのは、5)スマトラと7)ジャワは、どちらも6)インドネシアの国内地名だという点である。 
      6)と5),7)は重複しているのである。  
      その点を念頭に置いて、順次、見ていこう。 

    1941年11月 
      大本営がマレーシア攻略を含む南方作戦の作戦準備を下令した。 
      しかし広東作戦とマレー作戦は全然別の作戦で、参加した部隊もまるで異なっている。
      通常なら、広東にいた慰安婦がマレー方面に移動することはないはずだ。
      この点、一見すれば金福童さんの証言は不可解に見える。
      ところが、広東からマレーに引き抜かれた部隊が、一つだけあるのだ。
      広東にいた第18師団は、 新編成の第25軍に加えられ、マレー方面に転ぜられた。 
      広東からマレー方面に転進した部隊は第18師団だけである。 
       (証言にある第15師団 は参加していない。) 
      そして第18師団の部隊記録に、金さんのあげた地名が次々に登場するのである。
      金福童さんは、第18師団 について行ったと見るのが合理的である。 
      第18師団は渡航準備のため、広東 から3) 香港を経由して海南島に移動した。 

    1941年12月 
      マレー作戦が開始され、まずタイ国攻撃が始められた。 
      渡洋してきた第18師団 は、第25軍の部隊としてタイの首都 9) バンコクに進駐した。 

    1942年2月 
      第18師団は第25軍の部隊として、4) マレーシアに進撃した。
      日本軍はたちまちマレー半島全域を占領する。 
      第25軍がシンガポール作戦開始。 同、占領。 
      第18師団は 8) シンガポールに駐留した。 

      ここで確認しておきたいのが、慰安所の管轄である。 
      中国戦線では管轄があまりはっきりせず、各級部隊がてんでに管理していたような記録がある。 
      しかし下級部隊が内地や朝鮮総督府と勝手に連絡を取り、慰安婦を要請したのでは統制が取れない。 
      その経験の蓄積もあってのことだろうが、南方軍は軍政部に管轄を一元化している。 
      軍政部は各師団の指揮下にない。 
      上級の第25軍の機関であ る。 
      中国から第18師団についてきた金福童さんだが、ここで規則通り、第25軍の軍政部の管轄下に置かれたはずである。 

    ■インドネシアへ 

    1942年4月 
      広東から一緒だった第18師 団が、第25軍から離れてビルマに移動した。 
      しかし金福童さんの慰安所は、第25軍の直轄になっていたから、第18師団と切り離されており、シンガポールに留まったとみられる。

    1943年5月 
      第25軍司令部がシンガポールを離れ、5) スマトラ島の ブキッティンギに移駐した。 
       (スマトラは 6) インドネシアの地名) 
      金福童さんたちもこの移駐に従った。 

    ■帰国へ 

    証言3 「アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた」 
    (2013.5.20『沖縄タイムス』) 
    http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-20_49450

     1945年8月 
      敗 戦。 

    1945年9月 
      第10陸軍病院( 7) ジャワ)の名簿に「金福童 19歳」との記録。 
    (「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」) 

    これは軍の公文書だから、数え年ではなく満年齢である。
      金福童さんは、どんな理由で第25軍の管轄を離れて第16軍の管轄下に入ったのだろう。 
      それは引き揚げ準備のためだったと思われる。 

      別の部隊の話だが、セレベス島第2軍民生部作成の資料(昭和21年6月20日付)によると、連合軍の命令で第2軍がジャワ島の将兵(第16軍)を管理し、パレパレ港に集合させている。 
      第16軍が管轄していた慰安所の調査も、第2軍がまとめている。 
      日本軍の戦闘序列からすれば、おかしなことが起きているのだ。 
      そしてそのことは連合軍の命令だったというのだ。 
      連合軍が用意した引揚船(ジョージポインレックスター号)の運航や寄港地に合わせて、連合軍の管理しやすいようにしているのである。 
     (以上の資料はアジア女性基金の『政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料』第3巻所収) 
      こ ういった時期だから、金福童さんの管轄権が第25軍から第16軍に移っていることに、不審はない。 

    1946年〜1947 
    インドネシアから引き揚げ。金福童帰国。 

      連合軍がまず最初に日本軍に命じたのは、慰安婦を帰国させることであった。 
       「連合国指令書第一号」が「遊女屋並びに慰安婦を日本軍と共に撤退させよ」という命令なのだ。 
       (昭和20年9月7日付「日本派遣南方軍最高司令 官宛連合国指令書第一号」『政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料』第4巻) 
       
      慰安婦の帰還に消極的な軍を、連合軍が叱咤していると思われる。 
      最高司令官命令だから、慰安婦の帰還はわりと早かった。 
      各種資料を総合してみると、生き残りの慰安婦は1946年6月までには全員帰国しているはずだ。 
      金福童さんの帰国が1946年 ならば、1939年から足かけ8年だ。 
       「アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた」という本人の証言とピッタリ符合している。
      このとき、満年齢で20歳、 数え年で22歳であったはずだ。 
      右派は満年齢と数え年を混同して、計算が合わないと騒いでいるのだ。
      それは合うはずがないだろう。
      ご苦労なことである。


      これで考察を終わる。 
      日本軍について多少の知識があれば、金福童さんの行動軌跡は、有り得ないものと見える。
      作戦区域をまたいで移動したり、軍をまたいで管轄が移動したり、そんな無茶なとわたしも初めはそういう印象だった。
      しかし、調べてみて驚いた。ちゃんと合理的な裏付けがあったのだ。

      金福童さんの証言「第15師 団」は、「第18師団」の記憶違いではあるまいか。 
      そう仮定すると、年齢にも経歴にも矛盾が見あたらず、ほとんどの地名が漏れなくピッタリと符合する。
      ただし、「台湾」だけが不可解だ。
      そこだけは、裏付けが取れない。
      つまり金福童さんの証言は、年代はぴったり合うのだが、9ヶ所の地名のうち、1ヶ所だけ資料的な裏付けが見当たらない。
      その程度には、「当てにならない」のである。 
      彼女がニセの慰安婦で、デタラメを語っているのだとしたら、まぐれ当たりでこれほど見事に地名が符合することはあり得ないと私は思う。
      残り1ヶ所にこだわって、まだウソだデタラメだニセ慰安婦だと言いたい向きには、もう勝手にしろと言うしかない。

    2014年7月31日 泥 憲和 

    【従軍慰安婦の真実】5
    従軍慰安婦という名称は間違っているという批判について


     否定派は、従軍慰安婦という名称にこだわります。

     従軍という言葉は軍属という正式な身分を表す言葉だ。
    だが、慰安婦たちは民間の売春業者が連れ歩き兵士を客とした民間人である。
      従軍というのは間違いで、追軍売春婦だ。

      このように言うわけです。
      慰安婦制度に国家が関与していたことを認めたくないからですね。
      この意見は、もちろん間違っています。
       46年も前の昭和43年に、国会で慰安婦に関する質問がされています。 
       
      第058回国会 社会労働委員会 第21号 
     昭和四十三年四月二十六日 
    http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/058/0200/05804260200021c.html 

     日本社会党の後藤俊男衆議院議員が、慰安婦に対する援護法適用について質問しており、厚生省(当時)の政府委員がこう答弁しています、
     「慰安婦に無給の軍属のような身分を与えていた」と。 

      軍属だったら、従軍していたのです。 
      慰安婦は雇い主から稼ぎを受け取るので、軍が給料を支給しないのは当然ですし。
      答弁は「軍属のような身分」ということなので、正式の軍属ではなく、「軍傭員」に類するパート職員扱いだったと思われます。
      前回のエントリーに書いた金福童さんは「軍傭員」の身分でした。
      それにしても軍属なのだし、軍から宿舎を提供してもらっているのだから、追軍売春婦というのはまったく人を馬鹿にした呼び名です。

      厚生省(当時)の政府委員は、こうも答弁して います、
     「輸送船が沈められて亡くなった慰安婦は援護法の対象である」。 

      援護法の対象になるのは「公務に従事して死亡した場合」に限りますから、慰安婦は公務で輸送船に乗っていたと認定されているのです。
      こういうことだから、「ただの民間人だ」というのは間違いで、「従軍」という接頭語は正しいのです。

      大事なことなので、政府委員の答弁を要約しておきます。 

    1.戦地の慰安婦に軍が宿舎の便宜を与えていた。 
    2.慰安婦には無給の軍属の身分を与えていた。 
    3.戦地で銃を取って戦ったり従軍看護婦の役割を果たした慰安婦もいる。 
    4.戦場で軍に協力して死亡した慰安婦は、正式の軍属や準軍属とみなして援護法の対象になる。 
    5.海上輸送中に沈められた慰安婦も、軍属あるいは準軍属として、援護法の対象である。
     

      政府委員は、つぎのようにも答弁しています。
       「立場として申し出にくい場合があるだろう。法律を知らずに泣いている人もあるだろう。一人残らず救うために努力したい。」

      一人残らずと言ってもそれは「戦闘協力者として、または輸送船が沈没したことで亡くなり、正式の軍属や準軍属とみなされた慰安婦」のこと、 死んでしまった慰安婦の、遺族のことです。
      生き残った慰安婦には何の援助もありませんでした。
      彼女たちは戦後をどのように生きたのでしょう。
      次回はそのことについて書きます。

    従軍慰安婦

    2014年7月31日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】6
    敗戦後の日本人慰安婦たち


     前回は慰安婦が軍属に準ずる扱いを受けていたことを書きました。
     中には最前線で戦闘協力者として戦死したり、または輸送船が沈没したことで亡くなった方もいて、その場合は遺族年金の対象とされています。
     しかし生き残った慰安婦には何の援助もありませんでした。
     彼女たちは戦後をどのように生きたのでしょう。

     ネトウヨやバカ評論家は言います。
     「日本人は奥ゆかしいから賠償など要求しない」...
     「売春婦が売春禁止反対を唱えるような韓国人とは違う」
     ふざけちゃいけません。

     昭和23年11月27日、衆議院で一通の陳情文が読み上げられました。
     陳情者は、大阪府接待婦組合連合会の会長、松井リウ。
     接待婦とは、要するに売春婦です。
     陳情書で松井は売春防止法の制定を延期して欲しいと述べます。
    (国会議事録 第003回国会 法務委員会 第10号 昭和二十三年十一月二十七日)

     自分たちは戦時中は看護婦や慰安婦としてお国に尽くせと言われ、帰ってみれば何の保障もなく、
    あるいは夫が戦死したために生活に窮し、
     女中に行けば雇い主から犯され、働きに出れば上役から関係を迫られ、
     そんな男の身勝手が横行している世の中なのに、暮らしのために売春してはいけないとはどういうことか。
     せめて暮らしていけるぐらいの経済力が身につくまで、また男たちの性に対する意識が向上するまで、売春防止法はつくらないでほしいと。

     「私たち就業婦の中には、戰爭中白衣の天使として第一線に從軍し満洲、中支、南支、南方各地域において、また軍の慰安婦として働きおり引揚げたる者、そ の他夫が戰死し子を持つ者、元ダンサー、女給、看護婦、女店員、女工等と諸種の前職を持つておる者ばかり」

     「現在の接待婦以上のことをいたさねば生活ができず・・・、生活もろくにできず、衣類等を賣り盡くして現在の職業に入つて來ている者が少くないのであります。」

     「いかに男女同権とか基本的人権の尊重が叫ばれましても、現在の社会はそんなりつぱなものではありませず、私たちのうち、女中奉公中主人にむりを言わ れ、ビズネス・マンとして上役の人よりむりを言われ、いずれの職域においても職業婦人は横暴なる男性のために犠牲になり、苦労しているのが事実でありま す」

     「経済界が安定して生活苦が少くなり、一般職業婦人が給料にて生活ができ、その上服の一着もくつの一足も買うことができ得るようになり、他面青年男女が 一定年令に達したなれば、結婚して主人の收入にて生活ができるよう、また全國民が衞生思想が発達し、性教育が今少し普及され、すべての点につき世界の水平 線まで進み、自他ともに認められる時期まで、今度の法律が出ぬようにしていただきたいと思います」

     彼女の言い分がすべて正しいとは言わないけれど、売春を続けさせて欲しいと言わねばならない境遇に陥ったのは、彼女たちの責任ばかりではないでしょう。
     こういった彼女たちに対し、しかし世間は冷たかった。
     昭和27年04月25日、参議院法務委員会において、参議院議員宮城タマヨが、売春防止法を早く施行してほしいと求めています。

     「東京の吉原を調べてみましても現在ざつと千三百人以上従業員がおります。そうしてこの様相は実に驚いたものがあるのでありますが、そういうことが一体今後いつまで許されるものか」

     「慰安婦として政府が集めましたその人たちがまだ随分残つておる。それでその人たちは実に大手を振つて威張つてこの仕事に従事しておりますのでございま す。政府からもお招ばれしているんですよということをまだ言つておるのです。それで一つどうしても早い機会にこれは何とかしてほしいのでございますが、こ れにつきまして政府の御意見は如何でございましようか」

     戦後、日本政府は連合軍が進駐してくるよりも前に、兵隊には慰安所が必要だろうと勝手に決めつけて、特殊慰安所RAAを設けました。
     そこに戦時中に慰安婦だった女性も多く応募しました。
     彼女たちはGHQが慰安所の閉鎖を命令したことで失職したあとも、売春婦として生きていました。
     宮城タマヨは、いつまでそんなことをさせているのかと問うのです。
     売春婦風情が大手を振って大威張りで生きるとは何事かと。
     「政府にいわれて売春していたのだ」といまだに言っているが、許しがたいと非難するのです。

     司法大臣を夫に持つ宮城タマヨは、戦前から上流社会の名士でした。
     戦時中にはこんなことを書いていた人です。

     「敵の本土上陸、本土決戦は、地の利からも、兵員の上からも‥‥決して不利ではありません。一億一人残らず忠誠の結晶となり、男女混成の総特攻隊となつて敢闘するならば、皇国の必勝は決して疑ひありません」
     「大義に徹すれば火の中、弾の中をもの ともせぬ献身の徳は、肇国以来の日本婦道でございます」
    『主婦之友』1945年7月号「敵の本土上陸と婦人の覚悟」

     てなことを書いていた御仁が敗戦とともにくるりと手のひらを返して参議院議員におさまり、「平和憲法」「民主憲法」に賛成しました。
     戦時中、この人は夫を兵隊に取られた庶民の苦労などお構いなしでした。
     生活苦を嘆く若妻に、彼女はこうご託宣を下していました。

     「良人の収入の範囲で生活を築いていくと言うことがモットーにならなければ、その家庭は健全に育っていきません。新家庭がお金に不自由するのは、むしろ当然だと私は思いますよ」
     「これからの日本では殊に、厳しいとか辛いとかいうことを知らないで過ごされるような人を作らなくちゃなりません」
    『主婦之友』1941年12月号「戦時下花嫁の生活建設相談会」

     厳しいとか辛いとかいうことを知らないで過ごすというのは、苦労を苦労と思わないようになるべきだという意味です。
     何でも闇で買える優雅な暮らしを送りつつ、平気でこんなことを書く人でした。
     だから元慰安婦の苦労など顧みることがなかったのは当然といえば当然です。
     元慰安婦たちの、「自分たちだってお国に尽くしたのだ」というせめてものプライドを切り捨てて、たかが売春婦が「大手を振つて威張つて」いるのが許せないと。
     こういう人が参議院議員に当選した一方で、松井リウは紹介議員さえ得ることができなかったために、陳情書を政府専門員に代読してもらった。

     日本人元慰安婦は声を上げなかったのではありません。
     声を上げたのです。
     兵隊と一緒に苦労したのに、恩給ももらえない身の上でした。
     戦史に華々しく飾られることもない彼女たちです。
     せめて売春を続けさせて欲しいとしか言えない哀れな立場でしたが、そのような境遇に追いやった政府に向かい、精一杯の抗議をしたのでした。

     その声は聞き入れられることがなく、無視されました。
     上品でご立派なご婦人から嘲笑され、見下げられ、切り捨てられました。
     彼女たちのその嘆きと怒りの声が、かろうじて、いまも国会議事録に残っているのです。

    2014年8月3日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】7
    慰安婦の働き方と報酬額 1) 慰安婦業者の契約書を確かめる

     ネトウヨや右翼評論家によって、慰安婦はとんでもない高給取りだというデマが流されています。
    その証拠として元慰安婦の文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳が引き合いにだされます。
     文さんが慰安婦をしていたときに軍事郵便貯金として26,145円を貯めていた通帳の原簿が日本に残っていたのです。
     小野田少尉の話では、当時の大卒初任給が40円だったというので、その54年分にあたるそうです。
     そこで、「そんなに稼いでおきながら、何が性奴隷だ」という意見になります。
     だけど、その意見は間違っているのです。
     文さんのことは別の回で確かめるとして、まずは慰安婦の稼ぎについて、一般的な状況を確かめましょう。

     それには雇用契約を見てみるのが一番確かです。
     女性達はどんな契約を結んで戦地へ赴いたのでしょうか。
     『上海派遣軍慰安所酌婦契約条件(しゃんはい はけんぐん いあんしょ しゃくふ けいやくじょうけん)』という文書が残っています。
     慰安婦の募集に歩いていた男を警察が捕まえて、持っていた契約書を出させたものです。
     誘拐の疑いでいったんは逮捕したものの、軍がバックについていることがわかったので、警察は男を釈放してしまいました。

     では中身を見てみましょう。ひどいものです。 (写真)

    慰安所契約書


     前借金で身分をしばって働かせる、いわゆる「身売り」という契約です。
     こういうのは公序良俗違反なので、民法上は無効でした。
     明治時代に、大審院でその判例が確定しています。
     無効な契約なのに、庶民の法的無知に乗じて有効であるかのように見せかけて結ばせた、詐欺契約です。

     契約書は16才の女子にまで売春させようとするものです。
     こんな子どもに売春させるのは、いくら親の同意があっても完全に違法です。
     前借金の最高は500円。 
     都会で働く会社員の初任給が40円だったというので、その1年分です。
     農家には大金でした。
     契約書には、前借金のうち、2割を経費として天引きすると書いてあります。
     500円借りても、2割を天引されるので手に乗るのは400円。
     2年間働いて返さなければならないのは、元の500円です。
     2年で2割は、アドオン金利で年利10%。実質年利はもう少し高くなります。
     社内貸付としては、常識はずれの高利と言えます。

     慰安婦は2年間の契約ですが、病気などで中途でリタイアしたら、年利12%をつけて前借金を返さねばならない。
     そのうえ、別に前借金の1割という高額な違約金を取ると定めてあります。
     これでは女性はなにがあろうと辞めるに辞められません。
     しかし本当のところ、業者側は女性に途中でリタイアされたって痛くもかゆくもないのです。それは後で計算します。

     慰安婦が月給として手に出来るのは、水揚げの1割でした。
     兵が支払った料金は1回1円ないし1円50銭だったといいます。
     1人30分で1日に12時間働けば、24人を相手に出来る勘定です。
     実際には洗浄時間も休憩も必要だから、仮に20人としましょう。 
     1日に20円ないし30円の水揚げということになります。
     30日働けば600円ないし900円の水揚げです。
     手取りが1割なので、手に出来るのは60円から90円の計算となります。

     小野田元少尉によれば、普通のサラリーマンの初任給が40円でした。
     普通のサラリーマンの月給は100円とされていました。
     100円が50万円にあたるとすれば、慰安婦の手取りは30万円から45万円。
     1日12時間、1ヶ月30日も体を酷使して働いて、この金額です。
     時間給にして800円から1200円です。
    バカバカしいほど安いと思いませんか。

     住む、食べる、置き薬代は、業者負担だと書いてあります。
     それ以外の経費、たとえば着物や下着や化粧品、日用雑貨、性病以外の医者代、嗜好品、酒、タバコなどは女性が自分で負担しなければなりません。
     彼女たちは原則として外出も出来ないので、ちょっと手慰みにバクチでもおぼえさせられたら、あっという間にカスられてしまう金額です。

     ところで証言によれば、1日40人も相手をさせられた女性もいたといいます。
     これぐらい働けば、女性にも貯金ができるでしょう。
     しかし、そういうタフな一部の女性をのぞき、普通の体力、普通の性的能力しかない女性には、経済的実入りは驚くほど少ないのが実情でした。

     さて、女性ひとりが月に600円ほども稼いでくれれば、給料を支払ったあとで雇い主が手にできるのは540円。
     これなら500円貸し付けても、1ヶ月で元が取れます。
     半年働いてくれれば、ボロ儲けです。途中でリタイアされたってなんてことない。
     前借金を回収したあとは「維持管理費」を支出するだけで、稼げば稼ぐほど丸儲け。
     維持費と言ったって、建物は軍が建ててくれるのだし、食料まで支給された所もあるから、本当の丸儲け。
     雇い主側としてはもうかってしかたがない。笑いの止まらない商売でした。

     女性さえ集めればこんなにおいしい商売だもの、金にあかせた女性の獲得競争が始まったことは想像に固くありません。
     前借金が釣り上げられ、最高で2000円ほどにもなったといいます。
     芸者稼業は、すればするほど借金の増える商売だったといい、2年間働けばその借金がチャラにできるというのは、プロの女性にとってうまみのある仕事だったと言えます。
     業者の立場で言えば、2000円ぐらいなら、4ヶ月で元が取れるのです。
     これほどうまい商売だから、金にいやしい連中が、女性を集めるのにまともな方法ばかりとっていたかどうか。
     現在の闇金業やウラ風俗業にたずさわる紳士たちがどういうことをしているか考えれば、類推できるのではないでしょうか。

     今回は、業者と女性の契約条件を見てみました。
     次回は、軍が作った契約書を確かめます。

    2014年8月4 泥 憲和

     

    【従軍慰安婦の真実】8
    慰安婦の働き方と報酬額 2) 日本軍の契約書マニュアルを確かめる

     前回は慰安所業者の契約書を見ました。
     今回は軍が作成した規則です。こういう契約を結べという決まりです。...
     資料の名前は「馬来軍政監」作成の「規則集」に収録されている「慰安施設及旅館営業遵守規則」。
     そこに「芸妓、酌婦、雇傭契約規則」というのが定められています。(写真)

    軍規則集


    軍がこういった規則を作った背景に、無茶な搾取をする業者と慰安婦との間にトラブルがあったのではないかと私は推測しています。

     では規則を確かめてみましょう。
     慰安婦の給料は「慰安婦配当金」といいます。
     前借金の額により、配当金が異なります。
     前借金が大きいほど業者のリスクが高いから、「慰安婦配当金」の割合が低くされているのです。
     身体はいつ壊れるか分からないんだから、借金が多いほど搾取を強めるのは、雇用主としては当然だということでしょう。

     1500円以上
     雇主が六割以内、本人が四割以上
     1500円未満
     雇主が五割以内、本人が五割以上
     無借金の場合
     雇主が四割以内、本人が六割以上

     前借金の返済については、「慰安婦配当の三分の二以上」と規定されています。
     水揚げの四割〜六割の手取りから、さらに前借金を三分の二もさっ引かれるのです。
     米軍が捕虜にした慰安所経営者に尋問した、いわゆる「ミッチナ捕虜尋問調書」には、慰安婦の負債額に応じて、経営者が水揚げの50ないし60%を受け取っていたと記録されています。
     軍の規則に合致した内容ですね。

     ここまでは、規則の面から待遇を見てみました。
     しかし決まりごとと実際が異なるのはいつの時代も同じこと。
     そこで、実際はどうだったのかを別の資料で確認しましょう。
     慰安婦の水揚げがわかる資料があります。

     「鉄寧派憲警445号 軍慰安所に関する件報告(通牒)」
    アジア歴史資料センター レファレンスコード.C13031898700

     「南寧方面 慰安所戸数32  慰安婦295 1日一人当り平均売上19円47銭」

     こういった記録なのですが、平均売上は18円から19円程度のようです。
     前回、1日の水揚げを20円から30円と推測しましたが、その低い方の数字なのですね。
     1ヶ月なら600円です。

     前出の「ミッチナ捕虜尋問調書」には、水揚げが「300円から1500円」と記録されています。
     病気がちなら300円程度しか稼げない女性もいたでしょう。
     日本人慰安婦なら、将校専用となって1500円稼げたかもしれません。
     条件はいろいろですが、朝鮮人慰安婦の水揚げが平均600円程度というのは、そんなに大きく間違っていないと思います。 

     かくして、死ぬほど働いて1ヶ月600円の水揚げを確保したとします。
     2000円も借金があったら、水揚げの六割360円が搾取され、手取りは残り240円です。
     そこから三分の二160円を返済金として天引きされるから、慰安婦の手元に残るのは80円です。
     現代の感覚なら40万円程度になります。
     時間給にしたら1100円ほど。
     慰安所業者のつくった契約より、ちょっとだけましですが、これが売春という仕事にふさわしい稼ぎかどうか、私はかなり疑問に思います。

     文玉珠さんはビルマで宝石を買ったと証言しています。
     (元慰安婦が語るのは悲惨な作り話ばかり、という評価が間違っている一例です)
     月給40万円なら宝石も買えたでしょう。
     ただ、それは一日12時間以上、年間7000人もの兵隊とのセックスの代償です。
     こういう無茶をすると計算では一年で借金が消えることになります。
     しかし身体はもうボロボロでしょう。
     女性を監禁して、辞めることも許さず、時間給1100円で1日に12時間、月の休みがたった1日か半日で売春させたら、これはどう言い繕ってもやはり奴隷待遇ではないでしょうか。

     次回はいよいよ文玉珠さんの貯金について書きます。

    2014年8月5日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】9
    慰安婦の働き方と報酬額 3) 秦郁彦説を批判する。


     本日は文玉珠さんの貯金通帳について書く予定でしたが、予定を変えて短くて済むものに変更します。

     慰安婦は月に千円も二千円も稼ぐ高給取りだったという説がネットではびこっています。
     こんなに高給だったから応募倍率が高く、強制連行などする必要はさらさらなかったそうです。
     この説の大もとは慰安婦研究の第一人者、秦郁彦教授です。
     本を読まない人たちにそれを広げたのは、産経新聞です。
    ...
     教授は元防衛大学校教授にしてプリンストン大学大学院客員教授、そして日大教授という素晴らしい肩書きをお持ちの方です。
     このような方が唱えておられる説を私ごときが批判するのはおこがましいのですが、やはり一言せねばなりません。
     教授はこんなことを書いておられます。

    「経営者との収入配分比率は40〜60%
    女性たちの稼ぎは月に1000〜2000円、
    兵士の月給は15円〜25円。」
    「慰安婦と戦場の性」、P270より

     これをもとに、慰安婦は総理大臣の二倍の給料をもらっていた、なんて言われております。
     さてこの数字ですけど、ちょっと検算してみましょうか。

     仮に女性が50%を受け取るとします。
     2000円稼ぐには水揚げが4000円なければなりません。
     どれくらいの兵隊を相手にしたら、これだけ稼げるでしょうか。

     兵が支払う料金が一回1円から1.5円だったそうです。
     4000円にするためには1ヶ月に2600人から4000人の兵を相手にしなければなりません。
     30日働いたとすると、1日あたり86人から130人!
     こんなこと、できるんでしょうか?

     兵の持ち時間は一人あたり30分だったそうです。
     すると、86人を相手するには1日に43時間必要なんですよね。
     130人なら65時間です。
     とんでもない仕事ですね。
     1000円稼ぐには、21.5時間から32.5時間です。
     どんなに慰安婦が頑張っても、1日は24時間しかありませんし、人間は寝なければ死にます。

     プリンストン大学院の教授は数字には強いかも知れないけれど、その数字を現実に適用する想像力がないみたいですね。
     ところが、さらに驚いたことに、この程度の検算もしないまま、評論家などによって「慰安婦高給説」がテレビで堂々と流されているのです。
     そのバカバカしさたるや、本当にお話になりません。

    2014年8月6日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】10
    慰安婦の働き方と報酬額 4) 文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳【写真】

    貯金通帳

     慰安婦は高給取りだったとのデマが右派から流されていて、その証拠として元慰安婦の文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳が引き合いにだされます。

     元慰安婦の文さんが戦時中に軍事郵便貯金として26,145円を貯めていた通帳の原簿が日本に残っていたのです。
     小野田少尉の話では、当時の大卒初任給が40円だったというので、その54年分にあたるそうです。
     そこで、「そんなに稼いでおきながら、何が性奴隷だ」という意見になります。
     だけど、その意見は間違っているのです。

    ◇軍事郵便貯金の正体

    お札

     まず「軍事郵便貯金」というのが何かの説明をしておきましょう。
    これは郵便貯金と名がついていても、郵便局の貯金ではありません。
    軍事郵便局というのは軍の機関です。
    預ける通貨は軍票でした。
    文さんのいたビルマではルピーの軍票が発行されていました。(写真)

     1ルピーは1円と数えました。
     しかし本当の円ではなく、ルピーを円に替えることは禁じられていました。

    ◇軍事郵便貯金は日本円に替えられなかった

     軍事郵便貯金が交換できたのは軍人・軍属だけで、それも現地で交換できたのではなく内地への電信送金に限られていました。
     金額も月額100円まででした。 つまり生活費相当です。
     民間人の交換は禁じられていました。
     なぜなら、軍人・軍属の給料は戦時予算で手当されていたので、円の裏付けがあったけれど、日本軍が物資を調達するために大量発行した軍票には、円の裏付けがなかったからです。
     円の裏付けのない軍票を大量発行したので、現地はインフレになりました。
     このインフレが日本国内に波及しないように、政府は軍票と円の交換を禁じていたのです。

    資料1「南方経済処理ニ関スル件」】
    昭和17年1月20日 閣議決定
    http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00374.htm

    資料2 大阪毎日新聞「南方へ邦貨携帯 現地軍で厳重に処罰」1942.7.16(昭和17)
    http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=69155609&comm_id=5973321

     現地がどれほどインフレで苦しもうと、日本だけは安泰という身勝手なシステムを作っていたわけです。
     この操作には横浜正金銀行が使われました。

    ◇文さんがもらったのは紙くずだった

     では、軍票の1円は、日本円でいくらになるのでしょうか。
     そのことは後にして、先に彼女が軍票をたくさんもらった背景について述べます。

     彼女はこれを「兵隊からもらったチップ」だと証言しています。
     印字された日付をみましょう(通帳の写真参照)。
     1945年4月4日〜5月23日の2ヶ月足らずの貯金が20,360円です。
     彼女はビルマのマンダレーにいたのですが、ここが陥落したのが45年3月です。
     この時点からあと、軍票は使えなくなっています。
     3月に価値のなくなった軍票を、4月にもらっているのです。
     文さんは、使えないお金 − 敗戦で紙くずとなった軍票 − を、日本軍将兵からわしづかみで渡されていたのです。

     こういう軍票をつかまされたのは、慰安婦に限りません。
     在留邦人も同じでした。
     その人たちは日本に引き揚げてきてから、日本円に変えて欲しいと要求しました。
     交換できるようになったのは、昭和29年のことでした。
     持ち込まれた金額は、10万円が最高、大部分はそれ以下だったそうです。

    (昭和29年第019回国会質疑)
    http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/019/0806/01904300806012a.html

     文さんは2万6千円だから、かなり下の方の金額です。

     1軍票円が1円に交換されたわけではありません。
     換算率は法律で定められていました。
     以下のサイトで換算表が確認できます。

    軍事郵便貯金等特別処理法(昭和29年法律第108号)
    http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hs29-108.htm

     その換算表で計算すると、文さんの貯金額は、日本円で3,215円となります。
     この年の大卒銀行員初任給は、5,600円だったそうです。
     その1か月分にもなりません。
     ということで、文さんは全然金持ちではなかったことになります。

     この項、つづく

    2014年8月10日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】11
    慰安婦の働き方と報酬額 5) 文玉珠(ムン オクス)さんの送金など

     前回は文玉珠さんの稼ぎがけっしてよくなかったことを見ました。
     彼女の証言を裏付ける傍証があります。
     元日本兵の人が、当時のビルマの様子を書き残しているのです。
     2万円や3万円は紙くずだったのがよく分かります。

    【資料1 ビルマ敗走記 敗走モールメンへ】末尾に抜粋を記載
    http://blogs.yahoo.co.jp/siran13tb/61475733.html

     本日はその余の話です。

    1. 文玉珠さんが貯めたのは慰安婦の稼ぎではない

     文さんのいた慰安所は、ビルマのマンダレーが陥落した時に経営者が逃げてしまって閉鎖されました。
     文さんたちは敗走する軍と一緒にタイのアユタヤまで逃げて、帰国船に乗るまで野戦病院の手伝いをしています。
     2万円を貯めたのはその時期です。
     だから慰安婦をして貰ったのではなく、怪我をした兵隊たちからチップとして貰ったのです。兵隊たちだって持っていても役に立たないからくれたのでしょう。
     この面からも、慰安婦が内閣総理大臣以上の高級取りだったという俗説は、まったくのデマです。

    2.文玉珠さんは五千円を送金したのか

     文さんは朝鮮に五千円も送金したと証言しています。

    『強制連行と従軍慰安婦』(平林久枝編)
    >ビルマに行ってからの名前「文原吉子」名義の通帳は、お金に替えることもできずになくしてしまった。
    >貯めたお金の一万五千円の中から、手紙と一緒にタイから大邸の実家に五千円を送った時、下士官に「故郷に全部送れ。おまえはバカだ」と言われた。
    >朝鮮に送金したのに、家も買わずに兄が下らないことに使ってしまった

     証言で文さんがいう「なくした貯金通帳」のことが、原簿に表れています(前回の写真参照)。
     昭和19年5月18日と6月21日に預金した900円分について「19.8.18亡失届出」と記載されているのがそれにあたるようです。
     原簿は「文原玉珠」名義ですが、他に「文原吉子」名義の通帳があり、そこに900円を預金していたのだと思われます。
     このように文さんの記憶と証言はとても正確なのですが、理解しがたい点もあります。
     文さんはなくした通帳の1万5千円から5千円を引き出したように語っていますが、実際の通帳記録は900円です。
     おそらく記憶違いでしょう。

     送金方法は、「手紙と一緒に送った」というのだから、戦時郵便を使ったのだと思われます。
     預金から5千円引き下ろして送金したのなら引き下ろし記録があるはずですが、それはありません。
     通帳に入れたもの以外に、もらった軍票があったのでしょう。
     戦時郵便で送ったものが無事に朝鮮に着いたかどうか、途中で沈められていないのか、いまとなっては確かめるすべがありません。

     仮に無事に郵送されていたとしても、文さんが送ったのは、ルピー軍票ですから、実家で円に換金できたはずがありません。
     無学な文さんはそういう仕組みを知りません。
     そこで「朝鮮に送金したのに、家も買わずに兄が下らないことに使ってしまった」と誤解して怒っているのです。
     軍票はお金ソックリだし、お金として貰ったものなので、文さんはお金だとずっと勘違いしているのですが、そのまま勘違いしている方が幸せだと思います。

    3 敗戦さえなければ大金持ちだったのか

     理屈のうえでは、1ルピーには1円の値打ちがあるはずでした。
     敗戦さえなければ、そのお金を文さんは手にできたでしょうか。
     それは無理でした。

     まずルピー軍票を日本円に替えることができません。
     ルピー軍票を軍事郵便貯金に入れれば、円になりました。
     しかしこの円は日本政府の規則で、内地に送金できないことになっていました。

    【資料2 1942年2月18日 読売新聞「大東亜経済建設の指標」】末尾に抜粋を記載しています
    【資料3 「南方占領地域における為替管理関係」】末尾に抜粋を記載しています

     資料2には、内地への送金は禁じられていると書かれています。
     資料3には、為替送金できたのは、「軍人・軍属が軍より支給を受けたる俸給、旅費、その他の給与」に限ると書いてあります。
     慰安婦の収入は「軍より支給を受けたる」ものではないので、「軍関係のもの」に当たりません。
     民間人でも、内地の家族を養わなければならない人は、許可を得て送金できましたが、「1か月200円相当額以下」に制限されていました。
     大金を送金するのはシステム的に不可能でした。
     しかも、扶養家族がいるのでもない文さんには、送金許可はおりなかったでしょう。
     さらに、戦争に負けていなくてもインフレで軍票の価値は戦時中から下がり続けていました。
     100ルピー軍票というのが発行されていますが、いまの価値で言えば50万円札です。

    軍票

     それほど軍票の値打ちが落ちていたのです。 (写真)

     こうして、文さんの2万円には価値がないことが論証されたことになります。
     ついでに戦後のことも書いておきます。
     敗戦により戦時中の政令の効力がなくなると、政府は「金融緊急措置令」を出して預金口座を封鎖してしまい、引き下ろせないようにしました。
     預金封鎖を解いたのは、新円に切り替えた後です。
     その時は、額面どおり払い戻されても、古いお金はもう二束三文の値打ちになっていました。

     次回は「韓国に賠償したのだからもうすんだ話」という議論について。

     

    【資料1 ビルマ敗走記? 敗走モールメンへ】
     「私たちは経理部の者ですが、これから車両と荷物を焼き捨てます、入用の物があったら何でも持って行ってください」という。私は兵にしては年配で態度が でかいから、将校と間違えたのだろうか、「将校服もだいぶありますから、2,3着持って行かれたら・・」という。

     何食わぬ顔で「いや、折角ですが、服は持っていますから」と答えたら「じゃ、金はどうです?今から焼却するところだから必要なだけ持って行って下さい。 2,3十万どうですかー」と言うので「荷物も多いし、じゃー当座の用に3万円ほど頂きましょうか・・」と新札の軍票3万円を貰い、礼を言って別れた。戦前 の感覚では普通の会社員が一生稼いでも3万円残せば上等の方である。それにしても始め30万円と聞いた時には驚いた。今の金なら恐らく億単位であろう。あ とでこんな事ならも少し欲張っていたらよかった、と思った。
    http://blogs.yahoo.co.jp/siran13tb/61475733.html

    【資料2 1942年2月18日 読売新聞「大東亜経済建設の指標」】
     本邦業者にせよ在来企業家にせよ差当り資金を必要とする時にはすべて南方開発金庫より軍票を借受けるのであって、たとえ三井財閥であっても内地より円資 金を現地に持込むことは許されないこの反面現地で或程度の資金が集積してもこれを内地に送金出来ないのであって、現地で得た利潤は現地開発に当てねばなら ない
    http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00841425&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

    【資料3 「南方占領地域における為替管理関係」 】
    アジ歴Ref.B02032868600

     アジア歴史資料センターにアクセスして、レファレンスナンバーを入力して下さい。
    http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/MetaOutServlet?GRP_ID=G0000101&DB_ID=G0000101EXTERNAL&IS_STYLE=default&XSLT_NAME=MetaTop.xsl&RIGHT_XSLT_NAME=MetaSearchRefCode.xsl

    第二条
     本邦通貨、軍票又は外国通貨を本令施行地外の地に送付又は携帯せんとする者は所轄民生部長の許可を受くべし。但し左に掲ぐる場合はこの限りにあらず。

    1.軍人、軍属が軍より支給を受けたる俸給、旅費、その他の給与を携帯するとき
    2.軍人、軍属以外の者が旅費に充つるため二百円相当額以下の外貨軍票を携帯するとき
    第五条
     全各条の規定に違反したる者は三年以下の監禁又は一万円以下の罰金に処す。

    2014年8月10日 泥 憲和

     

    【従軍慰安婦の真実】12
    日本は韓国に賠償金を支払ったからそれでいいのか? 1)


    【ネットの中だけの真実】

     日韓経済協定を結んで韓国に支払った金は、個人賠償の分も含んでいる。...
     それで最終的に解決したのだ。
     その金8億ドルを経済建設に使ってしまったのは韓国政府だ。
     いわば韓国民の金を政府が使い込んだのだ。
     韓国民にそのことを長期間隠蔽していたのは韓国政府だ。
     それなのに、どうしていまさら日本が個人賠償に応じる必要があるのか。

    【本当の真実】

    1 日本は韓国に賠償していませんし、現金を渡してもいません
     そのことは日韓協定の本文を読めばわかります

     日本は賠償支払いを拒否しました。
     韓国にしたのは経済援助であって、賠償ではありません。

     8億ドルを援助したといいますが、政府分は5億ドルです。
     3億ドルは銀行が韓国政府に貸し付けたものだから、援助といえるのか微妙です。
     ともかくこの分はちゃんと返済されています。

     政府分の5億ドルの内、2億ドルは有利子の貸付で、20年返済です。
     一度に貸し付けたのではなく、10年分割で貸し付けました。
     これも利子を付けて韓国がキッチリ返し終わっています。
     無償援助は3億ドル(1080億円)にとどまり、これも10年分割で実施されました。

     貸付も援助も、韓国に現金が渡されたのではありません。
     だから韓国政府が使い込めるはずがないのです。

     ではお金はどうなったかといえば、全額日本の会社に支払われたのです。
     なぜなら貸付も援助も、協定でその使い道が限定されており、
     1) 「韓国政府が日本から買う物資の代金」と、
     2) 「韓国で工事をした日本の会社への支払」
     この二通りにしか使えなかったからです。

     具体的な支払い方をみましょう。
     まず、韓国がこれこれの機械が必要だとか、これこれの工事が必要だとかいうリストを日本に提出します。
     日本が審査してオーケーを出せば、韓国政府は日本企業に発注します。
     その代金は日本政府から日本企業に支払われます。
     韓国政府は現金に触ることもできません。
     援助金はすべて日本政府から日本の会社に支払われたのです。
     援助がそういうものであることがわかるように、条約本文を末尾に掲載します。

     さてその援助の大きさです。
     無償援助は1080億円なので、10年分割なら、1年当たり108億円。
     1966年の政府予算は4兆5千億円です。
     このうちの108億円は、予算のたった0.24%です。
     大した金額じゃありません。 
     当時、日本は旧軍人・軍属に対し、毎年1兆円以上の軍人恩給を支給していました。
     その1%にすぎません。

     援助がおわるころ、つまり10年後の1976年の予算は24兆6千億円。
     このうちの108億円だから、予算の0.044%。
     全然大したことありません。
     だけどこの援助をうまく使って、韓国は奇跡的な成長を見せたと【ネットの真実】は語ります。
     もしもそうなら、日本はよいことをしたのです。
     せっかくよいことをしたのに、デマで汚してしまっては、値打ちが半減してしまいます。


    ■日韓請求権並びに経済協力協定
    (財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)
    http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19650622.T9J.html

    第一条

    1 日本国は、大韓民国に対し、

    (a)現在において千八十億円に換算される三億合衆国ドルに等しい円の価値を有する日本国の生産物及び日本人の役務を、この協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて無償で供与するものとする。

    (b)現在において七百二十億円に換算される二億合衆国ドルに等しい円の額に達するまでの長期低利の貸付けで、・・・事業の実施に必要な日本国の生産物及 び日本人の役務の大韓民国による調達に充てられるものをこの協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて行なうものとする。

    2014年8月10日 泥 憲和

    【従軍慰安婦の真実】13
    日本は韓国に賠償金を支払ったからそれでいいのか? 2)


    1「請求権問題は解決済み」は禁反言

     韓国との賠償、補償問題については「日韓条約で完全かつ最終的に解決した」という意見が根強くあります。 ...

    請求権問題

     たしかに日韓両国間では、賠償問題は「完全かつ最終的に解決」しました。
    しかしそれは国と国の間の話。国と個人の間ではいまだに解決していません。
    政府閣僚が「日韓条約ですべて解決した」などと言っては困ります。
    それは禁反言の原則にもとります。
    日本政府はとっくの昔に、そういう解釈を否定しているからです。

     1991年と1992年に、韓国民に賠償請求権があることを認める政府答弁をしているので、引用します。

    ■1991年8月27日 参議院予算委員会 

    「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。」(資料1)末尾に抜粋を記載

    ■1992年2月26日衆議院外務委員会 
    「韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるというこ とは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます。」(資料2)末尾に抜粋を記載

     二回も同じことを繰り返し答弁しているのだから、間違いありません。
     韓国民の請求権問題は、政治的に解決していないのです。

    2.それはシベリア問題が起点

     なぜこのような答弁がなされたかというと、シベリアに抑留された元日本兵の補償請求権がからんでいます。
     シベリア抑留者たちは、ソ連に対して賠償請求権を持っているのか、否かという問題です。

     日本とソ連は、日ソ平和条約で、個人に対する賠償も含めて、互いに請求権を放棄しています。
     それで抑留者たちは、人道的犯罪行為であるシベリア抑留について、ソ連に賠償請求できなくなってしまいました。
     こういう風に政府が国民の権利を勝手に放棄してしまった場合、権利放棄した政府が、加害者である相手国政府に代わって補償に応じなければなりません。

    そこで元日本兵たちは、日本政府に対し、シベリア抑留の補償を求めました。
     すると、政府はこれを断りました。
     政府はいいました。
     国は国民個人の賠償請求権を放棄したからお手伝いできないが、国民個人がソ連に直接請求する権利まで放棄したのではない、そもそも個人の権利は、政府が 放棄できる筋合いのものではない、だからあなた方、勝手にソ連に請求してくれていいですよ、と。

    ■1991年3月26日、参議院内閣委員会

    「日ソ共同宣言第六項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということ でございます。したがいまして、御指摘のように我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えておりま す。」

    こういう責任逃れの答弁をしてしまったし、原爆裁判でもそういう主張を繰り返し、それを裁判所が認めたので、立場を変えて韓国民はどうかと問われると、こ れまでの答弁との均衡上、日韓協定も外交保護権の放棄に過ぎない、国民の請求権は消えていないと答えざるを得なくなったのです。
    (資料3)判決文の抜粋を末尾に記載

    3.政府の答弁のまとめ

    1)日韓協定は外交保護権を放棄しただけである。
    2)韓国民の請求権を日本の法律で消滅させたものではない。
    3)「請求権」について韓国人が日本の裁判所に訴訟を提起することができる。
    4)右の場合に請求が認められるか否かは裁判所が判断することである。

     私としては、裁判所の判断を待たずに政府が自分で決断すれはよかろうと思うんですが。問題は時効の壁です。
     しかしそれを突破する道がないではない。
     外国人に対する戦時債務についての、政令第25号第7条に「消滅時効の特例」を定めており、時効は「政令をもつて定める日まで完成しない」としています。
     これは供託財産についての特例ですが、国賠請求にも援用する必要があるのではないかと思います。
    (資料 昭和二十五年二月二十八日政令第二十二号)
    http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25SE022.html

     要するに、政府にやる気があるかないかというところに帰着します。

    ■資料1
    1991年8月27日 参議院予算委員会  
    「政府委員(柳井俊二君) …先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。 その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これ は日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意 味で消滅させたというものではございません。
    日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。」

    ■資料2 1992年2月26日衆議院外務委員会 

    柳井政府委員 
    「…それで、しからばその個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄した ということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていな い。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます。
    …その国内法によって消滅させていない請求権はしからば何かということになりますが、これはその個人が請求を提起する権利と言ってもいいと思いますが、日 本の国内裁判所に韓国の関係者の方々が訴えて出るというようなことまでは妨げていないということでございます。…ただ、これを裁判の結果どういうふうに判 断するかということは、これは司法府の方の御判断によるということでございます。」

    ■資料3 昭和41年12月7日東京地裁原爆訴訟判決(判例時報355号)
    「対日平和条約第19条にいう『日本国民の権利』は、国民自身の請求権を基礎とする日本国の賠償請求権、すなわちいわゆる外交的保護権のみを指すものと解すべきである。
    …請求権の消滅条項およびこれに対する補償条項は、対日平和条約には規定されていないから、このような個人の請求権まで放棄したものとはいえない。
    仮にこれを含む趣旨であると解されるとしても、それは放棄できないものを放棄したと記載しているにとどまり、国民の請求権はこれによって消滅しない。」

    2014年8月12日 泥 憲和

     

    【従軍慰安婦の真実】14
    「なぜ何度も謝罪しなければならないのか?いい加減にしろ」という意見について

     

    謝罪

     安倍さんは、2007年の第一次安倍内閣のとき、米下院に「慰安婦に日本政府が謝罪するように求める決議案」が提出されたのを受けて、つぎのように反応しました。

    ◆2007年3月1日 記者会見で...
     「強制性を裏付けるものはなかった」

    ◆2007年3月5日  記者会見で
     「(米下院)決議案は客観的事実に基づいていない」
    「謝罪することはない」

    ◆2007年3月14日 安倍内閣閣議決定
     「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」
    http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm

     ところが、米国内の批判に追い込まれ、ブッシュ大統領との首脳会談では、まるで借りてきた猫みたいになってこう語りました。

    ◆2007年4月21日
     「辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情し、申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」

     ブッシュ大統領は記者会見でこう述べました。
    「首相の謝罪(apology)を受け入れる(accept)。大変思いやりのある率直な声明だ」

     元慰安婦には鼻息荒く、謝罪しないのに、ブッシュ大統領に向けて謝罪するとはなんということかと思いますが、話はまだ続きます。
     帰国後、アメリカ大統領に対する謝罪はなかったと全面否定に転じたのです。

    ◆2011年11月 産経新聞インタビュー (ブッシュ大統領への謝罪を否認)
     「慰安婦問題は全く出なかった。そもそも日本が(当事国でない)米国に謝罪する筋合いの話ではない」

    ◆2013年3月8日 衆院予算委員会答弁(ブッシュ大統領へ謝罪を否認)
     「この問題はまったく出ていない。 事実関係が違うということだけは、はっきりと申し上げておきたい」
    (この答弁を検索する方法を末尾に示します) 

     そしてこの間、主張はまたも、元にぶり返しています。

    ◆2012年12月30日 産経新聞インタビュー (日本軍の関与を認めた河野談話について)
     「そのまま継承することはしない」
    「専門家の意見などを聞き、 官房長官レベルで検討したい」

     ところがところが、舌の根も乾かないうちに、この後、またも態度を豹変させます。
     国の内と外を使い分ける二枚舌が当然にも国際問題化しかけるや、一転してブッシュ大統領に対する謝罪があったことを認めたのです。 

    ◆2013年5月17日 閣議決定(ブッシュ大統領に対する謝罪を認める)
     平成十九年四月二十七日(現地時間)にブッシュ大統領と行った記者会見において、安倍晋三内閣総理大臣(当時)が、慰安婦についての考え方として、「辛 酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという 気持ちでいっぱいである、二十世紀は人権侵害の多かった世紀であり、二十一世紀が人権侵害のない素晴らしい世紀になるよう、日本としても貢献したいと考え ている、と述べた。また、このような話を本日、ブッシュ大統領にも話した」旨の発言を行ったこと、また、このような安倍晋三内閣総理大臣(当時)の考え方 について、ブッシュ大統領が評価を述べた事実関係を説明したものである。

    ◆2013年5月24日 官房長官発表 (河野談話を継承しないという主張を取り下げました)
     「河野談話を継承する」

     国会答弁でさえいけしゃーしゃーと嘘を述べて恥じない、こういった卑怯極まりない振る舞いが、一連の「謝罪」を引き起こしているのだということを、まず確認しておきましょう。
     そのうえで、それぞれの謝罪なるものを具体的に検証します。
     1970年代からの日本政府による、いわゆる謝罪発言の一覧がウィキペディアにまとめられています。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の戦争謝罪発言一覧

     これらがどういった内容なのか、確かめてみましょう。

    2000年8月17日
    - 山崎隆一郎外務報道官。

     これは謝罪ではなく、「謝罪しているじゃないか」という反論です。

    2000年8月30日
    - 河野洋平外務大臣。
    2001年4月3日
    - 福田康夫内閣官房長官。
    2002年9月17日
    - 小泉純一郎首相。
    2005年4月22日
    - 小泉純一郎首相。

     これらは謝罪ではなく、「すでに謝罪している」という説明です。

    2001年9月8日
    - 田中眞紀子外務大臣。

     これは直接的には中韓に対するものではなく、連合国全体に対するメッセージです。

    2001年
    - 小泉純一郎首相。

     これは私が正しいことをしたと評価している「アジア女性基金」の謝罪文です。
     首相が代わるたびに、首相名だけを入れ替えて使われていました。
     でも小泉さんの時に終結してしまいました。

    2003年8月15
    - 小泉純一郎首相。
    2005年8月15日
    - 小泉純一郎首相。
    2001年10月15日
    - 小泉純一郎首相。

     これは謝罪の意を表明するという終戦記念日のメッセージと、直接的謝罪です。
     この発言の裏には、日本国内で閣僚から小泉さんの言葉を踏みにじるような発言が続いたので、小泉さんはその度に何度も同じ事をくりかえすことで、自分の発言がウソではないと念押ししなければならなかったのです。

     結局のところ、自発的な謝罪といえるものはほとんどありません。
     失言の後始末とか、木で鼻をくくったような説明とか。
     しかし公的にこう言わざるを得ないのは、謝罪せざるを得ない事実があるからです。 それを認めないという閣僚の発言がいつまでもなくならないから、何度でも蒸し返されるのです。

     しつこくなりますが、ここで例え話を一つします。

     消費期限の付け替えをして食中毒を出し、社長が謝罪に追い込まれた会社があるとします。
     重役があとから、「期限の付け替えなんかはどこの会社もやっとる」「食中毒なんか、家で食べてもかかる」「批判する奴は補償金でも欲しいんだろう」なんて言ったら、その会社の信用はがた落ちです。
     社長はまたもや謝罪するはめになるでしょう。
     非難を浴びて、会社が倒産するかもしれません。
     こんなことを何度も何度も繰り返しているのが、情けないことに我が日本なのです。

     さきほどの会社で言えば、重役だって会社を愛しているから、そんなことを言うのか知れないけど、ひいきの引き倒しもいいとこです。
     本当に会社のためを思う社員なら、重役を諌め、消費者のために誠を尽くすように求めるのが筋というものです。
     その努めを、私はいま果たしているつもりでおります。

    【解説】
     安倍答弁の検索の仕方。
     「この問題はまったく出ていない。 事実関係が違うということだけは、はっきりと申し上げておきたい」
     (この答弁を検索する方法を示します)
    ■ 国会議事録検索システムをクリック
    http://kokkai.ndl.go.jp/
    ⇒ 「簡単検索」をクリック
    ⇒ 検索語入力「事実関係が違うということだけは、はっきりと申し上げておきたい」(他の情報も入力すると検索が速い。平成25年03月08日、衆議院) 
    ⇒「検索結果一覧」をクリック(1件しかない) 
    ⇒ 「予算委員会」をクリック。

     すると、答弁番号34の上記答弁が表示されるはずです。
    画面左の「会議録情報」で答弁の前後もわかります。


    2014年8月12日 泥 憲和

     

    【従軍慰安婦の真実】15 慰安所は戦地強姦を防ぐことが出来たのか

     慰安婦の真実シリーズは、あと一回、まとめを書いて、一応の終了とします。

     慰安婦制度を擁護する中に、慰安所を作ったのは強姦被害を減らすためだったという意見があります。
     その動機はたしかにありました。...
     しかし強姦を減らすために慰安婦制度を作るって、犯罪を防ぐために別の犯罪を犯すってことですよね。 そんな理屈が成り立つものでしょうか。
     「俺はムシャクシャしていて、このままでは街頭で無差別にぶん殴りそうだから、代わりにお前を殴って鬱憤を晴らす。痛いけど人様のためだ、黙って殴らせろ」こう言われて、誰がおいそれと殴られるでしょう。

     強姦防止に効果があろうがなかろうが、してはいけないことはしてはいけない。
     そのうえ、効果さえもなかったというのが、本日の記事です。

     戦地強姦に限らず強姦(および性的犯罪)の多くは性欲からではなく支配欲から行われるということは、今や通説です。
     戦時において強姦が多発しやすいのも、相手を屈服させる、支配するという要請が強く働くなかで、性を通じて相手を支配しようとするからです。
     イラクのアブグレイブ刑務所では女性兵士が男性捕虜に対して性的虐待を行っていましたが、彼女たちが性欲から性的虐待に及んだとは考え難い。
     サディスティックな支配欲の発露によると考える方がすんなりと納得できるのではないでしょうか?

     こういうことなら、いくら慰安所をつくっても強姦は減らないと見た方がよい。
     事実、日本軍の資料を見れば、強姦は減っていません。

    1.『支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策』

     最初の慰安所が作られてから3年を経た昭和15年11月、『支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策』(写真)が作られました。(金福童さんが14歳で慰安婦にされた翌年です)
     原文に適宜句読点を加え、カタカナを平仮名に直し、読み仮名を添えて転記します。

    「事変勃発以来の実情に徴(ちょう)するに、赫々(かくかく)たる武勲の反面に、掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とする所なり」
    JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110762000

     このように、慰安所をつくっても強姦が多発しています。
     同じ年月に作られた『事変の経験に基づく無形戦力軍紀風紀関係資料(案)』にも、同じ悩みが漏らされています。

    「抗命、辱職、逃亡、殺人、傷害、強姦等依然減少せず」
    (アジア歴史資料センター Ref.C11110759600)

     『軍紀振作対策』には、開戦後、約1年半で略奪+強姦致死傷で罰せられた兵が420人。
     強姦致死傷だけで罰せられた兵が312人。
     合計で732人と載っています。
     見つかったのは犯行のほんの一部、目に余るものだけだろうし、脅して口止めした例もたくさんあると聞きますので、実数がどの程度なのか皆目見当が付きません。
     しかも対象となっているのは「強姦」ではなくて「強姦致死傷」ですから、強姦はまだ軽い罪とみなされてか、取締対象にすらなっていません。
     対策として『軍紀振作対策』はもっと慰安所をつくるべきだという提言をしており、慰安所作りに拍車がかかることになりました。

    2.『陸支密大日記 第9号』

     大量の慰安所をつくった結果、強姦事件は減ったのでしょうか。
     統計資料があったはずなのですが、焼却されたのか、現存していません。
     しかし、様子を知る手がかりがないではありません。
     昭和17年 「陸支密大日記 第9号」です。

     開戦以来5年目です。
     対策が功を奏しないことに業を煮やした軍隊司法当局は、陸軍刑法に「強姦罪」を新設し、非親告罪にしました。
     軍隊司法は、それなりに強姦多発に頭を痛めていたのです。
     その理由は、強姦が許しがたい犯罪だからではありません。
     討伐に出れば索敵もそっちのけに強姦に夢中になって戦闘がおろそかになること、日本軍への民衆の恨みばかりが増して、占領がうまくいかないからでした。

    強姦対策強姦対策2

    「戦地における強姦は軍紀を破壊し、軍の爾他の宣撫工作を一切無効ならしむ。又被害者において御難を恐れ告訴を躊躇する場合極めて多きをもって、非親告罪として処分するの要あり」(写真)
    JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04123725700

    3.『陸軍軍事警察月報』
    JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A06030009400

     つぎは昭和20年の資料です。
     慰安所を作り、刑法を厳しくして、それでどうなったでしょうか。
     『陸軍軍事警察月報』は冒頭で「多発犯罪左の如く」と上げる中に、逃亡、掠奪、窃盗と並んで、やはり戦地強姦が並んでいます。
     巻末にグラフがついていて、昭和20年の犯罪が群を抜いて多いことが分かります。
     昭和20年は慰安婦の数が最も多かった年のはずですが、そういう状態でした。

     日本軍は戦争中の強姦多発に悩まされ、沢山の慰安所を作りました。
     しかし作っても作っても強姦が減らないので、ずっと「慰安所が足りない」、「慰安所をつくれ」、「慰安婦を呼べ」と言い続けていました。
     しかしどれほど無理をして女性を連れてきても、強姦防止に関して、結局のところ効果的がなかったのです。

     効果があっても許せないのに、効果がないことに血道を上げていたのですから、もはやこれはどうしようもない愚策であり、あまたの女性に筆舌に尽くせない苦しみを与えた人道的犯罪でした。国内法に違反する奴隷契約でした。
     こんなものを擁護し、公文書で明らかな事実さえも否認する自民党と安倍内閣は、恥ずべき存在です。一日も早く打倒し、新しい政府に、元慰安婦に対してこ れまでの過ちをきちんと謝罪させ、確固たる名誉回復をさせること、それなしに地に墜ちた日本の名誉を回復する手立てはないと思います。

    2014年8月12日 泥 憲和

     

    【従軍慰安婦の真実】16 最終回

     できるだけ分かりやすく書くつもりだったのに、だんだん込み入った話になってしまいました。反省です。長くて論証ばかりの文章におつきあい下さって有難うございました。
     これでネトウヨやクソ評論家の定番ネタに、あらかた反証できたかなと思います。
     もしも慰安婦問題でウヨがチャチャを入れてきても、この程度の資料を並べれば、大抵の奴は引き下がるはずです。
    ...
     まあそれにしても、ウヨたちは、丸っきりのデマを信じ込んでヘイトをカマしてくるわけです。
     で、ですね、読んで貰ったような、わりと細々した裏付けを背景にして、私は奴らに街頭でこう怒鳴り上げるのです。

     アホ!ボケ!クソ!カス!死ね!

     こういった罵倒を良しとしない向きがあることは重々承知しておりますが、この程度の罵倒を浴びても仕方がないことを連中はしてきました。(と私は判断します)
     ただ単にバカ同士が言葉のうんこを投げ合っているように見えるかも知れません。
     けれども、私が「ボケ!カス!」と罵るのには、それなりの下地というか、裏付けというか、根拠があるのであって、他に言うことを知らないアホがただ罵っ ているわけではないことだけは、ご理解願いたいなと。まあ、あんまり言い訳にもなりませんが。

     なぜそうするか、ですけれどね。
     奴らの中の確信犯的イデオローグたちは、奴らの政治目的のために、意図的に歴史をねじ曲げますよね。
     そいつらはプロウヨです。職業的デマゴーグです。
     わかっててやっているのだから、いくら批判され、論破されても改めません。
     街頭で日の丸おっ立ててわめいている奴らの中にも、確信犯的差別者がいます。
     そいつら行動派も、いくら批判されても行動を改めません。
     この連中は死ぬまでデマゴーグだろうし、差別者です。焼かないと治りません。
     まともに相手にしたって不毛でしかない。
     こいつらは、何を言われてもされても、屁の河童なんです。
     屁の河童に勝つには、陸に上がった河童にするしかありません。
     奴らから支持者を引き剥がして干上がらせるのです。

     理論闘争は、奴らの周りの付和雷同分子の確信を揺るがせるためです。
     街頭で中指立ててコラ!ボケ!とわめくのは、ビビリの付和雷同分子を物理的に蹴散らすためです。
     やり方は全然違いますが、二つの方法はちゃんと共通しているのです。
     単に騒いでいるだけではない。ここが馬鹿ウヨとカウンターの質の違いというもんです。

    闘い

     この国の頭目たちは、まともに理性的なやり方では集団的自衛権や改憲を推進できないと見切っています。
     それは日本に根付いた民主思想、ピースマインドが強固だからです。
     ここを切り崩すために、差別心をあおり、劣情を刺激して、情緒的なところから突破しようとしている。
     つまりこれは日本の進路を左右するたたかいです。
     負けるわけにはいきません。
     そういうことで、平和運動、民主運動と反ヘイト運動を結合して、戦う必要があろうと私は考えております。

     これで慰安婦のことはいったん閉じますが、たたかいは続きます。
     シリーズで書いたことは、どのように使っていただいても構いません。
     使えるなら学習会の資料や、ウヨども相手の論争に役立てていただければ幸いです。
     有難うございました。

    2014年8月13日 泥 憲和

     



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  • 157. 「従軍慰安婦問題」決着ーー泥さんが、右派のウソを元から断つ.


  • 「残念ながら、もう書き換え後なんですが」

    金福童さん

    文玉珠さん

    慌ててカタカナの振り仮名を変えていますね。
    最初は。

    金福童さんに、キム・ボクトンさん

    文玉珠さんに、ムン・オクスンさん

    慌てて、ハングルの音韻法則に近い振り仮名あてていますけど。

    韓国語もハングルの音韻法則もしらないで、適当に書いていたのがばれるから。

    慌てて、書き換えるしかも書き換えた事を、書かない。

    ご自分の文書でしょう?

    無責任ですよ?

    私の友人に、韓国の新聞を翻訳して食べている人がいますが、「これどう思う?」と聴いたらわらっていました。

    だから、私はまだ、韓国旅行にビザが必要な時代から、韓国に何度も行き、入国カードもハングルで書き、露店やなんやで、韓国語で値引き交渉ができたくらいですから。

    「届出制と「許認可制」にこだわっていらっしゃいますが、実は行政の裁量権というもので、どちらとも言えないのですよ?

    私は、障害者なのでわかりますが、手帳や自立支援医療補助、また障害年金、これは建前としてはすべて届出制ですが、前段階として、やれ医者の診断書だの様々な書類が必要。

    また、届出制といっても、審査がありますから、「許認可制」に近い部分もあります。

    で、「届出制」と「許認可制」に違いがあるか?

    実際の体験として、あまりありません。

    最終的には、「届出制」といっても、行政の裁量権から、やれ書類の不備だ、印鑑が押していない、必要な書式ではない、こんなことはしょっちゅうです。

    例として、「生活保護」届出制ですが、様々な行政の裁量権から、事実上「許認可制」になっています。

    また、緊急小口融資や、福祉貸付、これも本来は「届出制」ですが、あーだこーだで、「許認可制」になっています。

    行政と戦った経験がないと、わからないでしょうが、合法的に押しまくらないと、話が通じないのですよ?

    まあ、情報開示請求、住民監査請求、議会から働きかける。

    それでも、中々難しいのですが?

    簡単に「届出制」と「許認可制」にわけるのは、泥憲和先生らしい乱暴な理屈、屁理屈でしょう?

    まあ、同和利権で食べていらっしゃって、政党活動家なら、行政なんぞ脅せば何とかなる、名のかもしれませんが?

    違っていましたら、ぜひ反論をお願い申し上げます。

    【従軍慰安婦の真実】16 最終回

     できるだけ分かりやすく書くつもりだったのに、だんだん込み入った話になってしまいました。反省です。長くて論証ばかりの文章におつきあい下さって有難うございました。
    これでネトウヨやクソ評論家の定番ネタに、あらかた反証できたかなと思います。
    もしも慰安婦問題でウヨがチャチャを入れてきても、この程度の資料を並べれば、大抵の奴は引き下がるはずです。
    ...
    まあそれにしても、ウヨたちは、丸っきりのデマを信じ込んでヘイトをカマしてくるわけです。
    で、ですね、読んで貰ったような、わりと細々した裏付けを背景にして、私は奴らに街頭でこう怒鳴り上げるのです。

    アホ!ボケ!クソ!カス!死ね!

    こういった罵倒を良しとしない向きがあることは重々承知しておりますが、この程度の罵倒を浴びても仕方がないことを連中はしてきました。(と私は判断します)
    ただ単にバカ同士が言葉のうんこを投げ合っているように見えるかも知れません。
    けれども、私が「ボケ!カス!」と罵るのには、それなりの下地というか、裏付けというか、根拠があるのであって、他に言うことを知らないアホがただ罵って いるわけではないことだけは、ご理解願いたいなと。まあ、あんまり言い訳にもなりませんが。

    なぜそうするか、ですけれどね。
    奴らの中の確信犯的イデオローグたちは、奴らの政治目的のために、意図的に歴史をねじ曲げますよね。
    そいつらはプロウヨです。職業的デマゴーグです。
    わかっててやっているのだから、いくら批判され、論破されても改めません。
    街頭で日の丸おっ立ててわめいている奴らの中にも、確信犯的差別者がいます。
    そいつら行動派も、いくら批判されても行動を改めません。
    この連中は死ぬまでデマゴーグだろうし、差別者です。焼かないと治りません。
    まともに相手にしたって不毛でしかない。
    こいつらは、何を言われてもされても、屁の河童なんです。
    屁の河童に勝つには、陸に上がった河童にするしかありません。
    奴らから支持者を引き剥がして干上がらせるのです。

    理論闘争は、奴らの周りの付和雷同分子の確信を揺るがせるためです。
    街頭で中指立ててコラ!ボケ!とわめくのは、ビビリの付和雷同分子を物理的に蹴散らすためです。
    やり方は全然違いますが、二つの方法はちゃんと共通しているのです。
    単に騒いでいるだけではない。ここが馬鹿ウヨとカウンターの質の違いというもんです。

    闘い

     この国の頭目たちは、まともに理性的なやり方では集団的自衛権や改憲を推進できないと見切っています。
    それは日本に根付いた民主思想、ピースマインドが強固だからです。
    ここを切り崩すために、差別心をあおり、劣情を刺激して、情緒的なところから突破しようとしている。
    つまりこれは日本の進路を左右するたたかいです。
    負けるわけにはいきません。
    そういうことで、平和運動、民主運動と反ヘイト運動を結合して、戦う必要があろうと私は考えております。

    これで慰安婦のことはいったん閉じますが、たたかいは続きます。
    シリーズで書いたことは、どのように使っていただいても構いません。
    使えるなら学習会の資料や、ウヨども相手の論争に役立てていただければ幸いです。
    有難うございました。

    2014年8月13日 泥 憲和



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    「しかしながら、まずいと思ったのか2015年から2016年に凄まじい書き換えしていらっしゃいます。
    それは、なんでですか?」











    「東洋大日本国国憲案」
    • 作った人/植木枝盛1857年~1892年 
    • 作った時/1881(明治14)年 8月28.29日起草  
    • 作った場所・国・グループ/高知県・日本・「立志社憲法調査局起草委員」として起草

    日 本 国 国 憲 案


    第1編 国家大則及権限

    第1章 国家の大則

     第1条  日本国は日本国憲法に循て之を立て之を持す

     第2条  日本国は日本国憲法に循て之を立て之を持す
          日本国に一立法院一行政府一司法庁を置く。憲法其規則を設く。

    第2章 国家の権限

     第3条  日本の国家は国家政府を達成せんが為めに必要なる物事を備ふるを得。

     第4条  日本国は外国に対して交際を為し、条約を結ぶを得。

     第5条  日本国家は日本各人の自由権利を殺減する規則を作りて之を行ふを得ず。

     第6条  日本国家は日本国民各自の私事に干渉することを施すを得ず。

    第2編 聯邦の大則及権限竝に各州と相関する法

    第1章 聯邦の大即ママ

     第7条
      日本  武蔵州 山城州 大和州 和泉州 摂津州 伊賀州 伊勢州 志摩州 尾張州
      三河州 遠江州 駿河州 甲斐州 伊豆州 相模州 安房州 上総州 下総州 常陸州
      近江州 美濃州 飛騨州 信濃州 上野州 下野州 岩代州 盤城州 陸前州 陸中州
      陸奥州 羽前州 羽後州 若狭州 越前州 加賀州 能登州 越後州 越中州 佐渡州
      丹後州 但馬州 因幡州 伯耆州 出雲州 石見州 隠岐州 播磨州 美作州 備中州
      安芸州 周防州 長門州 紀伊州 淡路州 阿波州 讃岐州 伊予州 土佐州 筑前州
      筑後州 豊前州 豊後州 肥前州 肥後州 日向州 大隈州 薩摩州 壱岐州 対馬州
      琉球州を聯合して日本聯邦となす。

     第8条  日本聯邦に大政府を置き聯邦の政を統ふ。

     第9条  日本聯邦は日本各州に対し其州の自由独立を保護するを主とすべし。

     第10条  日本国内に於て未だ独立の州を為さざる者は聯邦之を管理す。

     第11条  日本聯邦は日本各州に対し外国の侵寇を保禦するの責あり。

    第2章 聯邦の権限竝に各州と相関する法

     第12条  日本聯邦は日本各州相互の間に関して規則を立つることを得。

     第13条  日本聯邦は日本各州に対して其一州内各自の事件に干渉するを得ず。其州内郡邑等の定制に干渉するを得ず。

     第14条  日本聯邦は日本各州の土地を奪ふを得ず。其州の肯て諾するに非ざれば一州をも廃するを得ず。

     第15条  憲法に非れば日本諸州を合割するを得ず。諸州の境界を変するを得ず。

     第16条  日本国内に於て新に州を為すに就て日本聯邦に合せんとする者あるときは聯邦は之を妨ぐを得ず。

     第17条  外国と諸同盟約を結ぶの権、国家の体面を以て諸外国と交際を為すの権は聯邦にあり。

     第18条  聯邦中に用ふる度量衡を制定するの権は聯邦にあり。

     第19条  通貨を造るの権は聯邦にあり。

     第20条  海関税を定るの権は聯邦にあり。

     第21条  宣戦講和の権は聯邦にあり。

     第22条  日本聯邦は聯邦の管する処に燈船・燈台・浮標を設くるを得。同種類の者は順次揚ぐるを得。

     第23条  日本聯邦は駅逓を管理するを得。

     第24条  日本聯邦は特に聯邦に関する事物の為めに諸法律・規則を定むるを得。

     第25条  日本聯邦(は)外国貨幣及尺度権衡の聯邦内に通用するものに価位を定むるを得。

     第26条  日本聯邦に常備軍を設置するを得。

     第27条  日本中一州と一州と相互の間に渉る争訟は聯邦之を審判す。

     第28条  日本中一州と一州と相互の間に渉る争訟は聯邦之を審判す。
           日本各州と外国使節と公務の往復あるときは聯邦行政府を経由す。

    第3編 各州の権限竝に聯邦と相関する法

     第29条  日本各州は日本聯邦の大に抵触するものを除くの外、皆独立して自由なるものとす。何等の政体政治を行ふと も聯邦之に干渉することなし。

     第30条  日本の各州は外国に向ひ国家の権利・体面に関し国土に関する条約を結ぶことを得ず。

     第31条  日本各州は外国に向ひ聯邦竝に他州の権利に関せざる事に限り、経済上の件・警察上の件に就き互約を為すを得、 又た法則を立つることを得。

     第32条  日本各州は既に寇賊の来襲を受け危害に迫るにあらざれば戦を為すを得ず。

     第33条  日本各州は互に戦闘するを得ず。争訟あれば決を連邦政府に仰ぐ。

     第34条  日本各州は現に強敵を受け大乱の生じたるが如き危急の時期に際しては、聯邦に報じて救援を求ることを得、 又た他州に向て応援を請ふことを得。各州右の次第を以て他州より応援を請はれし時、真に其危急に迫ることを知るときは 赴援するを得。其費は聯邦に於て之を弁ず。

     第35条  日本各州は常備兵を設置するを得。

     第36条  日本各州は護郷兵を設置するを得。

     第37条  日本各州は聯邦の許免を持たずして二州以上互に盟約を結ぶを得ず。

     第38条  日本各州は二州以上協議を以て其境を変革するを得、又た其境界を合するを得。此事あるときは 必ず聯邦に通ぜざるべからずるときは必ず聯邦に通ぜざるべからず。

     第39条  (欠落)

    第4編 日本国民及日本人民の自由権利

     第40条  日本の政治社会にある者之を日本国人民となす。

     第41条  日本の人民は自ら好んで之を脱するか及自ら諾するに非ざれば日本人たることを削かるることなし。

     第42条  日本の人民は法律上に於て平等となす。

     第43条  日本の人民は法律の外に於て自由権利を犯されざるべし。

     第44条  日本の人民は生命を全ふし、四肢を全ふし、形体を全ふし、健康を保ち、面目を保ち、地上の物件を 使用するの権を有す。

     第45条  日本の人民は何等の罪ありと雖も生命を奪はれざるべし。

     第46条  日本の人民は法律の外に於て何等の刑罰をも科せられざるべし。又た法律の外に於て麹治せられ 、逮捕せられ、拘留せられ、禁錮せられ、喚問せらるることなし。

     第47条  日本人民は一罪の為めに身体汚辱の刑を再びせらるることなし。

     第48条  日本人民は拷問を加へらるることなし。

     第49条  日本人民は思想の自由を有す。

     第50条  日本人民は如何なる宗教を信ずるも自由なり。

     第51条  日本人民は言語を述ぶるの自由権を有す。

     第52条  日本人民は議論を演ぶるの自由権を有す。

     第53条  日本人民は言語を筆記し、板行して之を世に公けにするの権を有す。

     第54条  日本人民は自由に集会するの権を有す。

     第55条  日本人民は自由に結社するの権を有す。

     第56条  日本人民は自由に歩行するの権を有す。

     第57条  日本人民は住居を犯されざるの権を有す。

     第58条  日本人民は何くに住居するも自由とす。又た何くに旅行するも自由とす。

     第59条  日本人民は何等の教授をなし、何等の学をなすも自由とす。

     第60条  日本人民は如何なる産業を営むも自由とす。

     第61条  日本人民は法律の正序に拠らずして室内を探検せられ、器物を開視せらるることなし。

     第62条  日本人民は信書の秘密を犯されざるべし。

     第63条  日本人民は日本国を辞すること自由とす。

     第64条  日本人民は凡そ無法に抵抗することを得。

     第65条  日本人民は諸財産を自由にするの権あり。

     第66条  日本人民は何等の罪ありと雖も其私有を没収せらるることなし。

     第67条  日本人民は正当の報償なくして所有を公用とせらることなし。

     第68条  日本人民は其名を以て政府に上書することを得。各其身のために請願をなすの権あり。 其公立会社に於ては会社の名を以て其書を呈することを得。

     第69条  日本人民は諸政官に任ぜらるるの権あり。

     第70条  政府国憲に違背するときは日本人民は之に従はざることを得。

     第71条  政府官吏圧制を為すときは日本人民は之を排斥するを得。
           政府威力を以て擅恣暴逆を逞ふするときは、日本人民は兵器を以て之に抗することを得。

     第72条  政府恣に国憲に背き、擅に人民の自由権利を残害し、建国の旨趣を妨ぐるときは、日本国民は之を 覆滅して新政府を建設することを得。

     第73条  日本人民は兵士の宿泊を拒絶するを得。

     第74条  日本人民は法廷に喚問せらるる時に当り、詞訴の起る原由を聴くを得。 己れを訴ふる本人と 対決するを得。己れを助くる証拠人及表白するの人を得るの権利あり。

    第5編 皇帝及皇族摂政

    第1章 皇帝ノ特権

     第75条  皇帝は国政の為に責に任ぜず。

     第76条  皇帝は刑を加へらるることなし。

     第77条  皇帝は身体に属する賦税を免がる。

    第2章 皇帝ノ権限

     第78条  皇帝は兵馬の大権を握る。宣戦講和の機を統ぶ。他国の独立を認むると認めざるとを決す。        但し和戦を決したるときは直に立法院に報告せざる可らず。

     第79条  皇帝は平時に在り立法院の議を経ずして兵士を徴募するを得。

     第80条  皇帝は外国事務の総裁たり。諸外国交官を命ずるを得。外国交際の礼をなすを得。        但し国権に関する条約連盟は立法院の議を経るに非れば決行するを得ず。

     第81条  皇帝は人民に勲等賞牌を与ふるを得ず。        位階を与ふることを得ず。

     第82条  皇帝は立法院の議に由らざれば通貨を創造若くは改造するを得ず。

     第83条  皇帝は立法議会の承諾を経て聯邦の罪囚を赦免し、及降減することを得。
           聯邦規定の裁判を他の裁判所に移して復審せしむることを得。
           法司の法権を施すを沮格するを得ず。
           聯邦執政の職務罪に係る者は聯邦立法院に反て恩赦を与へ、降減をなすことを得ず。

     第84条  皇帝は立法議会を延引するを得。立法議院の承諾なくして三十日を越ゆることを得ず。

     第85条  皇帝は諸兵備を為すを得。

     第86条  皇帝は国政を施行するが為めに必要なる命令を発することを得。

     第87条  皇帝は人民の権利に係ること・国家の金銭を費すべきこと・国家の土地を変すべきことを専行する を得ず。必ず聯邦立法院の議を経るを要す。立法院の議を経ざるものは実行するの効なし。

     第88条  皇帝は聯邦行政府に出頭して政を秉る。

     第89条  皇帝は聯邦行政府の長たり。常に聯邦行政の権を統ふ。特定に定むる者の外聯邦諸行政官吏を命ずる を得。

     第90条  皇帝は聯邦司法庁の長たり。其名を以て法権を行ふ。又法官を命ず。

     第91条  皇帝は現行の法律を廃し、已定の法律を格置するを得ず。

     第92条  皇帝は法の外に於て租税を収むるを得ず。

     第93条  皇帝は法の外に於て立法院の議を拒むを得ず。

     第94条  皇帝は立法議会と意見を異にして和せざるに当り、一たび其議会を解散することを得。
           之を解散したるときは必ず3日内を以て其旨を各選挙区に達し、且人民をして更に議員を撰ばしめ 、必ず60日以内を以て議会を復開せざる可らず。一たび解散したる上にて復開したる議会は同事件に就て再び 解散することを得ず。

     第95条  立法院の議決したることにして皇帝之を実施し難しと為すときは、議会をして之を再議せしむ るを得。此の如きときは皇帝は其由を詳説陳弁せざる可らず。

    第3章 皇帝及皇帝ノ継承

     第96条  日本国皇帝の位は今上天皇睦仁陛下に属す。

     第97条  今上皇帝陛下位を去れば陛下の正統子孫に伝ふ。若し子孫なきときは尊族の親近なる者に譲る。 左の次序に循ふ。
      今上皇帝の位は第1嫡皇子及其統に世伝す。
      第2嫡皇子及其統なきときは嫡庶子及其統に世伝す。
      第3嫡庶子及其統なきときは庶皇子及其統に世伝す。
      第4以上統なきときは嫡皇女及其統に世伝す。
      第5以上統なきときは庶皇女に世伝す。
      第6若しも以上の嫡皇子孫庶皇子孫及其統なきときは皇帝兄弟姉妹及其統に世伝す。
      第8若しも皇帝の嫡庶子孫兄弟姉妹伯叔父母及其統なきときは、立法院の議を以て皇族中より撰び其嗣を定む。

     第98条  帝位継承の順序は男は女に先ち、長は幼に先ち、嫡は庶に先つ。

     第99条  非常特別のことあり帝位継承の順序を変せんとすることあれば、皇帝と立法院との協議を経て之を行ふべし。

    第4章 皇帝の即位

     第100条  皇帝の即位は必ず立法議員列席の前に於てす。

    第5章 皇帝の婚姻

     第101条  皇帝の婚姻は必ず立法院の議を経るを要す。

     第102条  女帝の夫婿は王権に干渉するを得ず。

    第6章 皇帝の歳俸

     第103条  皇帝は年々国庫より○○万円の俸を受く。

    第7章 皇帝の年齢

     第104条  皇帝の歳未だ18歳に至らざる内は之を未成年と定む。
            18歳に及べば之を成年と定む。

    第8章 摂政

     第105条  皇帝未成年の間は摂政を置く。

     第106条  皇帝長く事故ありて親を政を秉る能はざるときは摂政職を置く。

     第107条  皇帝事故ありて摂政職を置くの時に際し、皇太子成年なるときは皇太子を以て摂政に当つ。

     第108条  摂政は皇帝の名を以て王権を行ふ。

     第109条  摂政は職制章程は立法院に於て之を立定す。

     第110条  摂政官は皇帝又は主相之を指名し、立法院之を定む。

     第111条  皇帝嗣の未成年中に其位を譲らんとするの場合に於ては、予め摂政官を指名して、立法院の議に 附し之を定むることを得。

    第9章 皇族

     第112条  皇太子は身体に関する賦課を免がる。

     第113条  皇太子は年々国庫より支給を受く。法章之を定む。

    第6編 立法権に関する諸則

    第1章 立法権に関する諸則

     第114条  日本聯邦に関する立法の権は日本聯邦人民全体に属す。

     第115条  日本聯邦人民は皆聯邦の立法議政の権に与かることを得。

     第116条  日本皇帝は日本聯邦立法権に与かることを得。

     第117条  日本聯邦の法律制度は聯邦立法院に於て立定す。

     第118条  聯邦立法院は全国に一を置く。

     第119条  聯邦立法の権は限数人代議の制を用ひて之を行ふ。

    第2章 立法院権限

     第120条  聯邦立法院は聯邦に関する租税を定むるの権を有す。

     第121条  聯邦立法院は聯邦の軍律を定むることを得。

     第122条  聯邦立法院は聯邦裁判所の訴訟法を定るを得。

     第123条  聯邦立法院は聯邦に関する兵制を議定することを得。

     第124条  聯邦立法院は聯邦の名を以て国債を起し金銭を借り及之を償却するの法を立ることを得。

     第125条  聯邦立法院は通貨に関する法律を立ることを得。聯邦に対する国事犯罪律を立るを得。

     第126条  聯邦立法院は郵便の制を立るを得。

     第127条  聯邦立法院は聯邦の通貨を増減改造するの議を定ることを得。

     第128条  聯邦立法院は聯邦の共有物を所置するを得。

     第129条  聯邦立法院は聯邦政府の保障を為す銀行会社の規則を立ることを得。

     第130条  聯邦立法院は切要なる調査に関し聯邦の官吏を議場に提喚するの権あり。又聯邦人民を召喚する の権あり。又聯邦人民を召喚して事情を質することを得。

     第131条  聯邦立法院は憲法の許す所の権利を行ふが為めに諸規則を立るを得。

     第132条  聯邦立法院は外国人并に国外の者に関する規則を立つることを得。

     第133条  聯邦立法院は聯邦行政府諸執行の職務に関する罪科竝に国事犯罪を弾劾論告し正的の法院に求刑 するの権を有す。

     第134条  聯邦立法院は本院議員の権任を監査するの権あり。

     第135条  聯邦立法院は議員にして其職分に関する命令規則に違背する者を処分するを得。

     第136条  聯邦立法院は既住に溯るの法律を立るを得ず。

     第137条  聯邦立法院は外国と条約を結び連盟を為すを決定するの権あり。 但し国権の独立を失ふの契約 をなすを得ず。

     第138条  聯邦立法院は行政部に対し推問の権を有す。

    第3章 立法議員の権力

     第139条  聯邦立法議員は其職を行ふに附き発言したる意見に就て糾治検索せらるることなし。

     第140条  聯邦立法議員は本院の許可を経ずして開会の間並に其前後30日間は要領の為に拘引拘留せらるる ことなし。刑事の為に掌捕せらるるなし。 但し現行犯は此限にあらず。

    第4章 議員選挙及被選挙の法

     第141条  聯邦議員は聯邦人民之を直撰す。

     第142条  聯邦議員は一州各7名と定む。

     第143条  現に租税を納めざる者、現に法律の罪に服し居る者、政府の官吏は議員を選挙することを得ず。

     第144条  現に法律の罪に服し居る者、政府官吏は議員に撰挙せらるることを得ず。

     第145条  日本各州は何れの州の人を撰挙して議員となすも自由とす。

    第5章 議員の任期

     第146条  聯邦の立法議員は三年を一期とし、3年毎に全員を改撰す。

    第6章 議員の償給旅費

     第147条  聯邦の立法議員は年々国庫より3千円の手当金を受く。又其会議に出つる毎に往復旅費を受く。

     第147条  (欠落)

    第7章 議員の制限

     第148条  聯邦の立法議員は聯邦行政官を兼るを得ず。

    第8章 立法会議

     第149条  聯邦の立法会議は毎年1回之を為す。其の他事なきに於ては10月第1の月曜日に之を開く。

     第150条  議事の多少に依り皇帝は時々期日を伸縮するを得。然れども議員過半数の同意あるときは 皇帝の命ありと雖も議会其伸縮を定む。

    第9章 立法会議開閉集散

     第151条  非常の事件ありて会議を要するときは皇帝は臨時会を開くことを得。

     第152条  聯邦会議の開閉は皇帝之を司る。

     第153条  毎年の常会は皇帝の命なしと雖も聯邦議員は自ら会して議事を為すことを得。

     第154条  皇帝崩去の時に在りては聯邦議会は臨時会を開く。

     第155条  現在議員の年期已に尽くるの際未だ交代す可きの議員の撰挙せられざるの間に於て皇帝崩すること あるときは前期の議員集合して新議員を生するまで議会を為す事を得。

     第156条  立法会議皇帝の為に解散せられ、皇帝国法の通りに復立せざる時は解散せられたる議会は自ら復 会するを得。

    第10章 会議規則

     第157条  聯邦立法議案は立法院国王倶に之を出すことを得。

     第158条  聯邦立法議会の議長は立法院に於て議員より公撰す。

     第159条  凡会議は議員全数の過半数の出席なれば之を開くことを得。 但し同一事件に付再度以上集会を 催したるときは過半数の出席なしと雖も議事を為すことを得。

     第160条  特別に定めたる規則なき事件の議事綜て出席員過半数の議を以て決定す。両議同数なることあるときは 議長の傾向する所に決す。

     第161条  聯邦の立法会議は公に傍聴を許るす。其特異の時機に際しては秘密にするを得。

    第11章 立法院の決議を国法となすに就て皇帝と相関する規則

     第162条  聯邦立法院にて決定したる成説は皇帝に呈して承認を得るを必とす。

     第163条  皇帝立法院の成議を受取らば3日以内に必ず其答を為さざる可らず。若し其熟考せんと要する ことあらば其趣を申通して20日以内に可否を示す。

     第164条  聯邦立法院の決定する所にして皇帝準許せざることある(と)きは、立法院をして之を再議せしむ 。立法院之を再議したるときは議員総数過半以上の同意あるを見れば更に奏して必ず之を行ふに定む。

    第7編 行政権に関する諸則

    第1章 行政権に関する大則

     第165条  日本聯邦行政権は日本皇帝に属す。

     第166条  日本聯邦の行政府は日本皇帝に於て統轄す。

     第167条  日本聯邦の行政権は聯邦行政府に於て開施す。

     第168条  皇帝の行政権を行ふに就ては国家に一の主相を置き、又諸政の類を分て其各省を設け、 其各主務官を命ず。

     第169条  皇帝より出す諸件の布告は主相の名を署し、当該の本任長官副署して之を発す。執政の副署なき ものは実行するの効なし。

     第170条  皇帝より発する諸件の布告に就ては主相及当該の本任長官其責に任ず。但し執政の副署なきものは 執政は責に任ぜず。

    第2章 行政官

     第171条  聯邦行政官は皇帝の命に従ふて其職務を取る。

     第172条  主相は皇帝に奏して諸省の長官を任命するを得。

     第173条  聯邦執政は議案を草して立法議会に提出するを得。又議会に参するを得。決議の数に入ること を得ず。

     第174条  聯邦行政官は聯邦立法議員を兼ぬるを得ず。

     第175条  聯邦行政官は其執行する政務に就き、皇帝並に国民に対して責に任ず。其一執政の分て為せし ことは当該の一執政乃ち其責に任ず。其衆執政分て為せしことは衆執政連帯して其責に任ぜず。

     第176条  聯邦行政府官たる者職務上の罪犯過失に就て弾劾せられ糾問せらるる間は、其の職を辞するを 得ず。

    第3章 行政府

     第177条  聯邦行政官府は毎歳国費に関する議案を草し、立法議会に出す。

     第178条  聯邦行政府は毎歳国費決算書を製し、立法議院に報ず。

    第4章 統計局

     第179条  国家歳出入の予算表・精算表は行政府統計局に於て之を調達す。

     第180条  統計局の長官は立法院之を撰任す。

     第181条  統計局は国家の出納会計を検査観察することを得。

     第182条  統計局は行政各部より会計に関する一切の書類を捨聚することを得。

    第8編 司法権に関する諸規則

    第1章 司法権に関する大則

     第183条  聯邦司法権は法律に定めたる法衙に於て之を実施す。

     第184条  特別の定めなき民事刑事の裁判詞訟は司法権の管理に帰す。

     第185条  非常法衙を設け非常法官を撰て臨時に司法権を行ふことを得ず。

     第186条  軍人の軍律を犯すものは其軍の裁判所に於て其軍の律に処す。

    第2章 法官

     第187条  凡そ聯邦法官は立法議院に於て任免す。

     第188条  法官は俸給ある職任を兼ぬることを得ず。立法議院を兼ぬることを得ず。

    第3章 法衙

     第189条  聯邦法衙は憲に遵ふの外不覊にして他の管轄を受けず。

    第4章 裁判

     第190条  凡そ裁判は理由を附し所以を明にす。

     第191条  民事裁判は代言を許す。

     第192条  刑事裁判陪審を設け弁護人を許す。

     第193条  裁判は衆人の傍聴を許して公けに之を行ふ。風俗を害する事件に限りて傍聴を禁することを 得。

    第5章 高等法院

     第194条  諸法衙の外日本全国に一の高等法院を置く。

     第195条  高等法院は執政の職務に係る事案を審判す。

     第196条  高等法院は皇王に対する犯罪・聯邦に対する犯罪の如き、通常犯罪の他なる非常の大犯罪を 審明す。

    第9編 土地

     第197条  国家土地は全国家の共有とす。

     第198条  国家の土地は立法院の議に非らざれば一も動かす事を得ず。

     第199条  国家の土地は立法院の議に非ざれば之を他国に売り、若くは譲り、若くは交換し、若くは抵当に 入るることを得ず。

    第10編 租税

     第200条  聯邦の租税は各州より課す。其額は法律之を定む。

     第201条  聯邦の租税は聯邦立法院の議を経るに非ざれば一も徴収するを得ず。

     第202条  聯邦の租税は毎年1回立法院に於て議定す。

    第11編 国金

     第203条  聯邦の金銭は憲法に非れば之を使用し、之を消費するを得ず。

    第12編 財政

     第204条  憲法に依るに非れば政府は国債を起すを得ず。

     第205条  憲法に依らざれば政府は諸債の立つことを得ず。

    第13編 会計

     第205条  毎年一切の出納は預算表並に掲げて必ず国家に告示す。

    第14編 甲兵

     第206条  国家の兵権は皇帝に在り。

     第207条  国家の大元帥は皇帝と定む。

     第208条  国家の将軍は皇帝之を撰任す。

     第209条  常備兵は法律に従ひ皇帝より民衆中に募りて之に応ずるものを用ゆ。

     第210条  常備軍を監督するは皇帝に在り。非常のことあるに際しては皇帝は常備軍の外に於て軍兵を 募り志願に随ふて之れを用ふるを得。

     第210条  他国の兵は立法院の議を経るに非らざれば雇使するを得ず。 本編初条に置く見込み軍兵は 国憲を護衛するものとす。

    第15編 外国人帰化

     第212条  日本国は外国人の帰化を許す。

    第16編 特法

     第213条  内外戦乱ある時に限り、其地に於ては一時人身自由・住居自由・言論出版自由・集会結社自由等の 権利を行ふ力を制し、取締の規則を立つることあるべし。其時機を終へば必ず直に之を廃せざるを得ず。

     第215条  戦乱の為に已むを得ざることあれば相当の償を為して民人の私有を収用し、若くは之を滅尽し 、若くは之を消費することあるべし。其最も急にして予め本人に照会し、予め償を為す暇なきときは後にて 其償を為すを得。

     第216条  戦乱あるの場合には其時に限り已むを得ざることのみ法律を置格することあるばし。

     第217条  新に鉄道を造り、電信を架し、陸路を啓き、水利を通ずる等のことは、通常会議に於て之を議す るを得ず。立法議院特別の会議を以て之を定むるを得。議員過半数の同意あるものは之を行ふことを得。

    第18編 憲法改正

     第218条  日本国憲法を添刪改正するときは必ず立法会議に於て之を定む。

     第219条  憲法改正の議事は其日の出席議員数如何に関する議員惣数の過半数の同意に非らざれば決定する を得ず。

    附則

     第220条 日本国憲法施行の日より一切の法律・条例・布告等の国権に抵触するものは皆之を廃す。

                            1881(明治14)年8月起草稿本


    さんへの返信

    日本国憲法には自由民権運動の伝統が結実しています。マ草案は彼の案ではなく鈴木安蔵の案が下敷きで、鈴木案のベースは自由民権の植木枝盛憲法草案です。憲法は支配層には「押付け」ですね。民衆にとってはファッショに奪われた人権を「取り戻した」といえます

    あざらしじいさん泥憲和さんが中指イモータン美和をリツイートしました

    たった1件の事件に関することだけど、偏執的攻撃的粘着コメントを発して警察に取り調べを受けたユーザーの25%が精神疾患を抱えていたというデータはさもあらんと思いつつも、データの用い方を誤ると危ういな
     




    「偏執的攻撃的粘着コメントを発して警察に取り調べを受けたユーザーの25%が精神疾患を抱えていたというデータはさもあらんと思いつつも、データの用い方を誤ると危ういな」

    「偏執的攻撃的粘着コメントを発して警察に取り調べを受けたユーザーの25%が精神疾患を抱えていたというデータはさもあらんと思いつつも」

    本音に後から建前をつけても、結局、精神疾患差別ですね。

    反差別運動?

    お笑い草ですね・泥憲和先生。

    韓国は日本よりも世論の力が強い。国民の意向を抜きに政府同士で話をつけようったって無理だ。そのあたりを日本政府は分かっていない。韓国民は日本国民みたいに大人しくもなければ物分かりが良くもないし、もっと人権感覚が高い。





    2015年9月25日

    社 民党の中に極左に甘い感覚があるのは反共産党つながりのせい。民主党にはかつてソ連派共産主義者だった「日本の声」メンバーがいる。彼らは共産党は体制内 化したと批判する暴力革命派。本来民主党には合わないはずだが、反共産党つながりでくっついた。いい加減にそんなせこい考えから脱却しなよ。



    「日本のこえ」正確には、「日本共産党日本のこえ」別名、志賀派、国会で党議拘束に反して反対票を投じ、国会のかつての、日本社会党控室に逃げ込んだ人々、日本共産党さんの分派なんて山のようにあるではないですか?


    というより、国際派と所感派に分裂、最大の内紛、一部武力闘争に走り、中共に脱出して、消えた人々が多数。


    いわゆる、毛沢東派、山口県委員会ごと、分裂しましたしね。


    模索舎あたりだと、まだ残党の機関誌おいてあるのかもしれませんね。


    謎の日本共産党(行動派)とか、色々ありますね。

    わざわざ、日本共産党さんの分派を隠さなくても、日本共産党さんの歴史って、ツリーのように分派があるくらい、常識ですよね。

    京浜安保共闘と日本共産党革命左派が、ある事件を起こしてしまったりとか。


    日本共産党さんの正当性ばかり主張されますと、国民連合政権構想、せっかく上田健二郎先生が、発案したのに、譲るところは譲らないと、まとまりませんよ?

    ⑫「拐買」。「牛馬に異ならず」。英語のslaveを当時の人たちが知恵を絞って表現した言葉です。列強のすさまじい圧力をはねのけながら、貧しく弱小だった帝国日本は正義実現のため、それも清国人の権利のための懸命のがんばりが、この言葉に凝縮されています。

    「第15師団について行ったという本人の記憶は、間違っていると考えた方がよい。 
      しかし以下に示すとおり、「第15師団」という条件さえはずせば、金福童さんの証言は極めてリアルなのだ。」

    ご本人の記憶が間違っている?

     「このとき、満年齢で20歳、 数え年で22歳であったはずだ。 
      右派は満年齢と数え年を混同して、計算が合わないと騒いでいるのだ。
      それは合うはずがないだろう。
      ご苦労なことである。」

    「金さんは戦前の人だから、満年齢ではなく数え年を使う。 
      連れて行かれた数え年14歳 は、1939(昭和14)年である。」
    「このとき、満年齢で20歳、 数え年で22歳であったはずだ。 
      右派は満年齢と数え年を混同して、計算が合わないと騒いでいるのだ。
      それは合うはずがないだろう。
      ご苦労なことである。」

    数え年って、どういうものかご存知ですか?

    数え年の計算方法

    • 数え年は、生まれた時点の年齢を1歳とし、以後元日が来るごとに1歳を加算する。それに対して満年齢は、生まれた時点の年齢を0歳とし、以後誕生日前日午後12時に1歳を加算する。したがって、満年齢と数え年の関係は次のようになる。
      • 現在の日本では太陽暦を用いており、和暦と西暦の日付は一致するので、自分の今年の数え年は、元日から誕生日前日午後12時までは「満年齢+2」、それ以降は「満年齢+1」で計算する。
      • 現在も太陰太陽暦を用いている国や、太陰太陽暦(旧暦)を用いていた時代の物故者については、その国の当時の暦法の元日を基準として加算される。
    「金福童さんの証言「第15師 団」は、「第18師団」の記憶違いではあるまいか。 
      そう仮定すると、年齢にも経歴にも矛盾が見あたらず、ほとんどの地名が漏れなくピッタリと符合する。
      ただし、「台湾」だけが不可解だ。
      そこだけは、裏付けが取れない。
      つまり金福童さんの証言は、年代はぴったり合うのだが、9ヶ所の地名のうち、1ヶ所だけ資料的な裏付けが見当たらない。
      その程度には、「当てにならない」のである。 
      彼女がニセの慰安婦で、デタラメを語っているのだとしたら、まぐれ当たりでこれほど見事に地名が符合することはあり得ないと私は思う。
      残り1ヶ所にこだわって、まだウソだデタラメだニセ慰安婦だと言いたい向きには、もう勝手にしろと言うしかない。」

    泥憲和先生、学問的論理性ってわかりますよね?

    また、立証という場合、「仮定」をした場合、証明の厳密性が問われる事はもちろんご存知ですよね?

    要するに、「第十五師団」を「第十八師団」と「仮定」した場合、「証明の厳密性」要するに、すべて「証明」しないと
    論破どころか、「論理破綻」になるのはご存知ですよね?

    「1ヶ所だけ資料的な裏付けが見当たらない。」いや「第十五師団」を「第十八師団」という「仮説」を立てた場合、
    「1ヶ所だけ資料的な裏付けが見当たらない。」これ全く証「証明」できていませんよ? 

    「残り1ヶ所にこだわって、まだウソだデタラメだニセ慰安婦だと言いたい向きには、もう勝手にしろと言うしかない。」
    いや、その一か所の「立証責任」は「仮説」を立てた、泥憲和先生にあるのですが?

    「仮説」を立てる「しかし立証できない」そうしたら「立証責任」をほぐらかして、「残り1ヶ所にこだわって、まだウソだデタラメだニセ慰安婦だと言いたい向きには、もう勝手にしろと言うしかない。」

    なんですかこの話は?

    「従軍慰安婦の真実」でも「仮説の立証責任は、放棄」これは、作文としては、書き直しです。

    泥憲和先生、「仮説」の「立証責任」数学的にいうと「証明」全くできていない。

    はては「残り1ヶ所にこだわって、まだウソだデタラメだニセ慰安婦だと言いたい向きには、もう勝手にしろと言うしかない。」それは、泥憲和先生が言ってはいけない、言葉です?

    辻褄を合わせる、「仮説」でも、「証明」も「立証」もできない、で「残り1ヶ所にこだわって、まだウソだデタラメだニセ慰安婦だと言いたい向きには、もう勝手にしろと言うしかない。」
    泥憲和先生、それは私が言いたいです。

    嘘つきは、泥憲和先生の始まり。

    「論破」(笑)「仮説」が「破綻」で「捨て台詞」
    「残り1ヶ所にこだわって、まだウソだデタラメだニセ慰安婦だと言いたい向きには、もう勝手にしろと言うしかない。」

    「泥憲和先生、貴方こそ勝手にしてくださいね。」

    あ、しかしこれぞまさしく「従軍慰安婦の真実」ですね。

    「結論」を先に決めておいて、「つじつまを合わせようとしたけれど」思い切り「立証責任放棄」で「論破」

    1「請求権問題は解決済み」は禁反言

    韓国との賠償、補償問題については「日韓条約で完全かつ最終的に解決した」という意見が根強くあります。 ...

     たしかに日韓両国間では、賠償問題は「完全かつ最終的に解決」しました。
    しかしそれは国と国の間の話。国と個人の間ではいまだに解決していません。

    「第二条

    1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月 八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認す る。」


    「及びその国民(法人を含む。)」


    条約の条文って、無意味なんですか?


    あとー、「許可制」と届出制」正確に言うと、「許認可制」また「届出制」と言っても、行政の裁量権ってご存知ですよね、泥憲和先生。


    質問、泥憲和先生が、かつての陸上自衛隊少年工科学校時代、外出は「許可制」でしたか?「届出制」でしたか?


    自衛官なら、けっこう外出について色々うるさい規則がありますよね?


    それは「許可制」でしたか、「届出制」でしたか?

    日本は賠償支払いを拒否しました。
    韓国にしたのは経済援助であって、賠償ではありません。

    前にも書きましたよね?

    没収資産、日本側がインフラ投資や残していった、財産は日本側に所有権があるのですよ?

    賠償請求自体、国際法上、できないのですが?

    ただ、日本側が経済協力金として、話をつけただけですけど?

    [文書名] 日韓請求権並びに経済協力協定(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)

    [場所] 東京
    [年月日] 1965年6月22日
    [出典] 日本外交主要文書・年表(2),584‐586頁.外務省条約局「条約集・昭和40年(二国間条約)」.
    [備考] 
    [全文]

     日本国及び大韓民国は、

     両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し、

     両国間の経済協力を増進することを希望して、

     次のとおり協定した。

    第一条

    1 日本国は、大韓民国に対し、

    (a)現在において千八十億円(一◯八、◯◯◯、◯◯◯、◯◯◯円)に換算される三億合衆国ドル(三◯◯、◯◯◯、◯◯◯ドル)に等しい円の価値を有する 日本国の生産物及び日本人の役務を、この協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて無償で供与するものとする。各年における生産物及び役務の供与は、現 在において百八億円(一◯、八◯◯、◯◯◯、◯◯◯円)に換算される三千万合衆国ドル(三◯、◯◯◯、◯◯◯ドル)に等しい円の額を限度とし、各年におけ る供与がこの額に達しなかつたときは、その残額は、次年以降の供与額に加算されるものとする。ただし、各年の供与の限度額は、両締約国政府の合意により増 額されることができる。

    (b)現在において七百二十億円(七二、◯◯◯、◯◯◯、◯◯◯円)に換算される二億合衆国ドル(二◯◯、◯◯◯、◯◯◯ドル)に等しい円の額に達するま での長期低利の貸付けで、大韓民国政府が要請し、かつ、3の規定に基づいて締結される取極に従つて決定される事業の実施に必要な日本国の生産物及び日本人 の役務の大韓民国による調達に充てられるものをこの協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて行なうものとする。この貸付けは、日本国の海外経済協力基 金により行なわれるものとし、日本国政府は、同基金がこの貸付けを各年において均等に行ないうるために必要とする資金を確保することができるように、必要 な措置を執るものとする。

     前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない。

    2 両締約国政府は、この条の規定の実施に関する事項について勧告を行なう権限を有する両政府間の協議機関として、両政府の代表者で構成される合同委員会を設置する。

    3 両締約国政府は、この条の規定の実施のため、必要な取極を締結するものとする。

    第二条

    1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月 八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認す る。

    2 この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。

    (a)一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益

    (b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて千九百四十五年八月十五日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの

    3 2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対 する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかな る主張もすることができないものとする。

    第三条

    1 この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする。

    2 1の規定により解決することができなかつた紛争は、いずれか一方の締約国の政府が他方の締約国の政府から紛争の仲裁を要請する公文を受領した日から三 十日の期間内に各締約国政府が任命する各一人の仲裁委員と、こうして選定された二人の仲裁委員が当該期間の後の三十日の期間内に合意する第三の仲裁委員又 は当該期間内にその二人の仲裁委員が合意する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員との三人の仲裁委員からなる仲裁委員会に決定のため付託するものとす る。ただし、第三の仲裁委員は、両締約国のうちいずれかの国民であつてはならない。

    3 いずれか一方の締約国の政府が当該期間内に仲裁委員を任命しなかつたとき、又は第三の仲裁委員若しくは第三国について当該期間内に合意されなかつたと きは、仲裁委員会は、両締約国政府のそれぞれが三十日の期間内に選定する国の政府が指名する各一人の仲裁委員とそれらの政府が協議により決定する第三国の 政府が指名する第三の仲裁委員をもつて構成されるものとする。

    4 両締約国政府は、この条の規定に基づく仲裁委員会の決定に服するものとする。

    第四条

     この協定は、批准されなければならない。批准書は、できる限りすみやかにソウルで交換されるものとする。この協定は、批准書の交換の日に効力を生ずる。

     以上の証拠として、下名は、各自の政府からこのために正当な委任を受け、この協定に署名した。

     千九百六十五年六月二十二日に東京で、ひとしく正文である日本語及び韓国語により本書二通を作成した。

    日本国のために

    椎名悦三郎

    高杉晋一

    大韓民国のために

    李東元

    金東祚

    「第二条

    1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月 八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認す る。」


    あのー、第二条よんでいますか?


    「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認す る。」

    「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認す る。」

    「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認す る。」

    「前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない。」
    「前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない。」

    ■日韓請求権並びに経済協力協定
    (財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)
    http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19650622.T9J.html

    「第一条

    1 日本国は、大韓民国に対し、

    (a)現在において千八十億円に換算される三億合衆国ドルに等しい円の価値を有する日本国の生産物及び日本人の役務を、この協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて無償で供与するものとする。

    (b)現在において七百二十億円に換算される二億合衆国ドルに等しい円の額に達するまでの長期低利の貸付けで、・・・事業の実施に必要な日本国の生産物及 び日本人の役務の大韓民国による調達に充てられるものをこの協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて行なうものとする。

    2014年8月10日 泥 憲和」


    切り張りの捏造と言われたらどうしますか?

    泥憲和先生。
     
    文章をきちんと読まない方って、意外に多いのですね、ちょっとびっくりしました、本は奥付まで読むと、思っている人間にとっては、不思議ですね?

    「債務奴隷」都合のいい言葉ですが、たとえば、「横山源之助」「日本の下層社会」「松原岩五郎」「最暗黒の東京」

    「小作農」「丁稚奉公」「女中奉公」「あゝ、野麦峠」

    泥憲和先生、貴方は所詮61歳、私から言うのはなんですが、若造ですね。

    まあ、明治・大正・昭和の様々な変遷、社会構造の変化、大正デモクラシー、ほとんど理解されていない。

    ご経歴からすれば、大学には進学していらっしゃらない、あまり普通の勤め人でもない、言い方は良くないですが、
    「かたぎ」ではないですね?

    勉強と言っても、独学それも、4000冊くらい、楽に読んでいるともおもえない。

    【資料1 ビルマ敗走記? 敗走モールメンへ】
    「私たちは経理部の者ですが、これから車両と荷物を焼き捨てます、入用の物があったら何でも持って行ってください」という。私は兵にしては年配で態度がで かいから、将校と間違えたのだろうか、「将校服もだいぶありますから、2,3着持って行かれたら・・」という。

     何食わぬ顔で「いや、折角ですが、服は持っていますから」と答えたら「じゃ、金はどうです?今から焼却するところだから必要なだけ持って行って下さい。 2,3十万どうですかー」と言うので「荷物も多いし、じゃー当座の用に3万円ほど頂きましょうか・・」と新札の軍票3万円を貰い、礼を言って別れた。戦前 の感覚では普通の会社員が一生稼いでも3万円残せば上等の方である。それにしても始め30万円と聞いた時には驚いた。今の金なら恐らく億単位であろう。あ とでこんな事ならも少し欲張っていたらよかった、と思った。 」

    あれっ?「軍票はルピー」
    お札

    「しかし3万円と言っても十円札で3万円の札束は大きくて重い。人目につかぬように両手で抱えて持ち帰り、信頼する上官の沢田伍長に相談して、私ら兵たち全員の生活費に廻すことにした。その後、敗走中の私たちは食料調達などこの金で随分助けられたものだ。」

    十円札で三万円?

    ビルマの軍票は、「へ号券・単位はルピー」

    「十円札で3万円、
    敗走中の私たちは食料調達などこの金で随分助けられたものだ。」通用している謎の軍票?

    それも、単位は円、「へ号券・単位はルピー」全く話が合っていませんね?

    「十円札で3万円、敗走中の私たちは食料調達などこの金で随分助けられたものだ。」


    紫蘭
    男性 / 非公開
    人気度

    92歳ブログ「紫蘭の部屋」

    1月3日、また一つ馬齢を重ねて92歳になり、来訪者も40万名を越えました。老いの一徹であと少し頑張るつもりです。よろしく。。

    「誰かわからない、個人ブログ、しかも十円札、敗走中の私たちは食料調達などこの金で随分助けられたものだ。」


    あれっ?あれっ?あれっ? 十円札、しかも通用している謎の軍票、でもビルマの軍票は、「へ号券・単位はルピー」
    いやはや、なんとも、話が合わないのに、会っている事にするとは?

    兵庫県出身。姫路在住。泥は珍しい名前だが本名である。涅槃などを意味する仏教用語に姓 の由来があるらしい。「憲法+平和」が命名の由来と思われたことがあるらしいが、
    実は親の名付けは「昭和の憲兵」である。

    中学卒業と同時に自衛隊に入隊し、ミサイル部隊要員として青森に配属される。本人曰く、思うところがあって除隊。
    ミサイル部隊のアメリカにおける発射訓練の前であった。その後、事業活動、そして法律関係の仕事に就き、「多重債務」や「生活保護」などの社会的問題に取り組む。

    差別感情が強く残っている現実に直面し、被差別部落の解放運動に関わり始めた。その延長で、平和運動にも携わる。

    1954年兵庫県姫路市生まれ。1969年陸上自衛隊入隊。少年工科学校(現在の陸上自衛隊高等工科学校)を経てホーク地対空ミサイル部隊に所属。
    1978年工場経営。1992年神戸及び姫路の弁護士事務所に勤務。現在は集団的自衛権、改憲問題、人種差別など様々な社会問題に体を張って取り組んでいる
    (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

    同和問題に関わる、そうすると、政府が交渉団体として公認しているのは、残念ながら三団体

    部落解放同盟・旧全解連・全国自由同和会、「1978年工場経営」まずピンとくるのは、時限立法であった

    「同和対策事業特別措置法」・基本的にまあ、ここまで書けばお分かりでしょう?

    泥憲和先生。

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